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フランスの国民公会でロベスピエールの独裁が始まるまでは誰が政治の中心にいたの...

mim********さん

2018/5/1512:57:05

フランスの国民公会でロベスピエールの独裁が始まるまでは誰が政治の中心にいたのですか?

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zez********さん

2018/5/1515:53:01

いわゆる「ロベスピエールの独裁」、もうちょっと専門的に言えば「山岳派独裁」の前に国民公会で山岳派と並ぶ大派閥だったのが「ジロンド派」です。といっても、当時はジロンド派という名前はありませんでしたが。

後に言うところの「ジロンド派」に属する人たちは「山岳派」と同じく、パリのジャコバン修道院を本拠にしていた「ジャコバン派」に出自を持ちます。もともとジャコバン修道院には立憲君主制を志向するフイヤン派となる人たちも集まっていたのですが、まずこのグループがジャコバン修道院から抜けます。そして後にジロンド派と言われる人たちと「山岳派」と言われる人たちは革命への干渉戦争を試みる列強と対決すべきか(ジロンド派)妥協すべきか(山岳派)で対立し、また富裕層を支持母体に持つジロンド派と貧困層に置く山岳派との利害はどんどんかみ合わなくなっていきます。1792年秋以降、ジロンド派とされる人たちはジャコバン修道院から本拠を移したため、これ以降が「ジャコバン派=山岳派」と考えてよい状況となります。

で、ジロンド派主導の対外戦争の苦戦、山岳派の掲げる国王処刑の実行等でジロンド派の影響力は落ちていき、山岳派の主要人物の拘束で対抗しようとするも失敗し、逆にジロンド派の人々が怒り狂った民衆の暴動によって失脚・拘束、処刑されていくという展開となりました。93年6月にこうして山岳派の独裁が成立します。

山岳派の中でもロベスピエールは当初は比較的少数派グループであり、山岳派内の大派閥(ダントン派・エベール派)に対してキャスティングボードを握る形で主導権を握り、その主導権をもって両派の主要人物を粛清して自らの政権を安定させようとするのですが、それが「国王になろうとしている」という風聞をうみ、結局ロベスピエール自身がその恐怖政治に嫌気がさした民衆と「いつ粛清されるかわからない」という立場にあった地方派遣議員たちによって拘束・処刑されることになりました。

ま、そんなわけで、「誰が」といってもひとりには絞り切れません。多党乱立の時代だったんです。

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