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ガンダムシードの世界について

S・Fセイエイ・マイスターズさん

2008/9/1014:11:00

ガンダムシードの世界について

ガンダムシードではのコスミック・イラの世界では、ナチュラルとコーディネイターの「能力格差」が問題となっています。それ故にナチュラルがコーディネイターを妬みます。しかして、それは「違う」と言うべきではないでしょうか?
能力主義・結果主義の世の中に限定すれば、「コーディネイターはその理に適っている存在」です。
しかし能力主義・結果主義の社会を構築したのは、コーディネイターではない、「ナチュラル自身」であります。
もし能力主義・結果主義の世界で自分たちが不利で有るなら、ナチュラル自身が「努力主義」みたいな社会を構築すれば良いのでは?
コーディネイターは「ただ人としての利点が多いに過ぎない」のに、何故、ナチュラルが彼らを憎悪する必要が有るのでしょうか?
道義的にはそこが可笑しいのでは?っと思います。

原則として「ナチュラル」が生きづらいのは、ナチュラル自身が「能力主義・結果主義の社会」を採用したからです。

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2008/9/1014:53:47

ん~、何度でも繰り返させていただきますが、

「競争主義社会」自体は、問題ではない

のですよ。
ただ、

「競争するに当たり、お互いの立脚点が異なる(それなのに、競争だけは同列)」
というところが問題

なのです。
確かに、ナチュラルオンリーの社会でも、競争自体はあります。
でも、それは、まがりなりにも「許容範囲」なわけです。
なぜなら、
「お互い、生れ落ちた能力そのままに、競争(努力なんかも含めて)をしているから」
です。
生れ落ちた能力そのまま・・・、要するに、我々一人ひとりが持っている能力は、
いわゆる「天からの授かり物」という性質のものであって、
さすがに、そこにケチをつけるわけには行かない。
(それを言い出したらきりがない。)
そういう、「まあ、ある程度割り切れる(っていうか諦めがつく?)」能力差の範囲で
競うわけだから、
「これは、納得の範囲」
なわけです。
オリンピックの競技だって何だってそうでしょう。
「俺ァ日本人に生まれちゃったけどよ、お前、黒人に生まれちゃって、
そりゃフェアじゃねえだろ」
とかケチつける人はいないでしょ?
その辺は、偶然(たまたま)なのか運命論的なものが働いているのか、
それはわかりませんけれども、
(ご質問の主旨からも外れますし、それについては論じるつもりもありません)、
とにかく、
「人智の働く範囲の外で、」そういうことになってしまっているのだから、
それを「各々の手持ちのカード」と考えるしかないわけです。
けれども、「コーディネイター」という概念は、どうなのか?
一度ならず回答申し上げておりますが、


「高い能力を得るため」なら何でもアリか?

と。
経済的・物理的に可能かどうかという話ではなく、
「そこまでやるか?それを是認するか?」
・・・ここで、人々の意見が分かれる問題なのです、「コーデイネイター」という概念は。
人に遺伝子操作を施していいのか。
やむを得ない事情(病気の治療とかね)ならばともかく、
「高い能力を得たい」という理由で遺伝子操作を容認していいのか。
これまた毎度の繰り返しですけど、
人類各々の「倫理観」次第で、これの答えはガラリと変わります。
(ゆえに、容易に結論が導き出せる問題ではない。)
こういった事情のために、
「コーディネイター化に対して“否”と答える人たち」
がいるわけですよ。
でも、一方で「是とする人たち」もいる。
ここで、お互いの立脚点が分かれているわけです。


【なのに、競争だけは同じ土俵でせねばならぬ。】

これが、あの世界の元凶なんです。
そこが問題なんですよ。
能力主義社会・競争主義社会自体が問題・・・というのとは違うんです。
そりゃまあ、コーディネイターという概念自体、
「競争主義社会が暴走した結果」と言えるかも知れませんけれども、
それは、暴走した方が問題でしょう。
これもまた、過去に例として挙げた覚えがありますけれど、

ドーピングが許されないのは何故ですか?

あれも「競争に勝つため」という代物です。
でも、いくら勝つためだからと言って、
スポーツの世界では、「そこまでの暴走は認めない」わけでしょう?
競争主義社会だからと言って「何をしても許されるわけではない」。
であるならば、
「原則として「ナチュラル」が生きづらいのは、
ナチュラル自身が「能力主義・結果主義の社会」を採用したから」
ということでも、ないわけです。
しつこいようですけど、
「同じ立脚点でからスタートして、同じ土俵で競う分には、ナチュラルも納得」
なんです。
ナチュラルが採用したのは、「そういう競争社会」なんですよ。
でも、その枠を飛び出して(立脚点を異にして)、
それでいて、「競う土俵だけは、ナチュラルと同じ」という連中が現れてしまった。
それが「コーディネイター」ということです。
コーディネイターの人たち、あるいはコーディネイター化という概念自体を、
根底から否定するつもりはありませんけれども、


この「アンフェアな競争状況」だけは、とにかく何とかしないといけない、あの世界は。

それは間違いないことだと思うのです。
いかがでしょうか。

質問した人からのコメント

2008/9/10 15:47:56

降参 毎度の事ながら、詳しい回答を有難うございます。これから、「競争」について、自分なりに考えてみたいと思います。
後、ninomae18さん、先ほどから不実な回答が多いのですが、どういう事ですか?

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

nin********さん

2008/9/1014:53:53

そもそも、あの世界においてはコーディネイトは違法です。
初期に産まれてきた極一部の例外をのぞいて、コーディネイターは犯罪の結果産まれてきたのです。
コーディネイター本人は意図して産まれてきたわけでは無いでしょうが、ルール違反の結果であることは事実です。
そして、ルールを破った方が得をするようなら社会秩序は保てません。
あとコーディネイターがマイノリティであることも忘れてはならないでしょう。
犯罪の産物であるコーディネイターに甘い汁を吸わせるよりも、ナチュラルを尊重するという政策の方が利益を得る人間は多い。政治の原則である『最大多数の最大幸福』はナチュラルを尊重して初めて可能になるんです。

それと誤解しているようですが、ナチュラルがコーディネイターを憎む最大の理由は選民思想にとりつかれたコーディネイター至上主義組織ザフトによる全世界規模の無差別大量虐殺です。
親兄弟、子供や恋人などと大切な人を殺されていない人間の方が少数派である地球において、彼らを憎むのは極当然です。

「コーディネイター」が生きづらいのはコーディネイターがナチュラルとの共存を拒否し、「コーディネイター至上主義の社会」を作ろうとしてナチュラルを虐殺したからです。

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