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おはようございます。哲学者ソクラテスの思想について質問させていただきます。

lon********さん

2018/5/2610:28:04

おはようございます。哲学者ソクラテスの思想について質問させていただきます。

ソクラテスはプロタゴラスと違って、絶対的な真理の存在を肯定しました。プロタゴラスは相対的な真理の存在を肯定しています。
ソクラテスは、プロタゴラスの発言について、無知を自覚していないことから生じる誤りに過ぎない。
絶対的な真理は存在するが、人間がまだそれを知るに至っていないと主張しました。

質問です。
なぜソクラテスは無知を自覚しているはずなのに絶対的な真理の存在を肯定することができるのでしょうか。無知であるならば、そもそも絶対的な真理の存在を肯定することもできないはずだし、プロタゴラスの主張も否定できないはずです。

それとも私の解釈が間違っていて、無知の自覚=何も知らないということを自覚する という意味ではないのなら説明をお願いします。

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qqq********さん

編集あり2018/5/2807:43:24

ソクラテスの問答法の意味は、おのれ自身の魂の良さを知るとはこれこれである説明されてわかるというものではなく、各人が、真の自己自我に目覚めることによつて自己自身を実践的主体として自覚すること。善いことだと知っているが行なわないというのでなく、善いと知ったらどうしても
行なわずにいられないような、そういう知り方、理論と実践との統一としての主体的自覚それが
魂の良さを知ること。従ってこの自覚には、自分で積極的に考えぬくこと以外の道で真理に到達できるものではない、そういう産婆術、産みの手助けする役割をすること。真理へ導くための方法です。




プロタゴラスは人間は万物の尺度であるの相対主義。
ソクラテスは、思考するものとしての人間が万物の尺度であるとした。
ソクラテスはプラトン、アリストテレスとともに古代哲学を代表する人物です。彼は街頭で誰彼の区別なく問答し、相手の考えを批判します。そのため多くの者ににくまれ、古代の神々を礼拝せずくだらない議論で青年を惑わすとして告訴され、死刑の判決を受けます。友人のクリトンが救出しようとするのに対し、ソクラテスは、「たましいができるだけすぐれたよいものになるよう」(「ソクラテスの弁明」プラトン全集①八四ページ)にしただけであり、「たとえ何度殺されねばならないようなことになっても、これ以外のことはしないだろう」(同八五ページ)として、毒杯を飲んで死ぬのです。
このようにドラマチックな人生を送ったソクラテスですが、彼の第一の功績は、正面から人間の生き方の真理を探究したところにあります。人間哲学の最大の課題は、人間としてより善く生きるための「徳」とは何かを探究する道徳論、倫理論にありますが、それに最初に立ち向かったのがソクラテスでした。彼は「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」(「クリトン」同一三三ページ)として、そのために「たましいのよさ(徳)」(「ソクラテスの弁明」同八五ページ)、つまり道徳を追求したのです。ソクラテスがソフィストのプロタゴラスに論争を挑んだのも、プロタゴラスが「国家社会の一員として持つべき徳性」を一種の技術ととらえ、したがってそれを身につけた知者は徳を教授することができるとしたのに対し、真実の徳はけっしてソフィストのようなやり方では教えられないことを強調したいためでした。
利潤第一主義の資本主義のもとで利潤を生みだすことにつながる自然科学は尊重されても、人間としていかに生きるべきかという道徳ないし倫理の問題は意図的に排除され、無視されています。それだけにより善く生きるとは何かを終生追求しつづけたソクラテスの功績は現代においてこそ高く評価されなければなりません。
ソクラテスの第二の功績は、ソクラテス的問答法という弁論術(弁証法)にあります。例えばプロタゴラスが、徳には正義、節制(分別)、敬虔といったものがあると説明したのに対し、ソクラテスは次のように問いつめていくのです。
「徳は一つなのか、それともそれを構成する正義、節制、敬虔という部分に分かれているのか」「分かれているとしたら、それらは互いに別のものか」「別のものだとしたら、その部分のひとつひとつは、それぞれに固有の部分を持っているのか」「もしそうだとすると正義とは敬虔な性格のものではなく、敬虔とは正しくないような性格のものということになる」(「プロタゴラス」プラトン全集⑧一五三~一五八ページ)。
こうしてプロタゴラスのいう「徳」とは「敬虔な性格のもの」ではなく、「正しくないような性格のもの」という結論に導き、プロタゴラスを回答不能に追いこむのです。
「かれはその会話において常に、問題になっている事柄をもっとよく教えてほしいようなふりをし、そしてその事柄について色々な質問をあびせることによって、相手をかれが最初正しいと思っていたものとは反対のものへ導いた」(『小論理学』上二四八ページ)。
しかしこの問答法は、けっして相手をやっつけるための手段として用いられたのではなくて、問答における弁証法的否定を積み重ねることによって、「徳とは何か」という真理を探究していったのです。そこからこの問答法は、真理を生みだす手助けの方法という意味で、「ソクラテスのアイロニー(産婆術)」とよばれています。彼の母親が助産師だったことに引っかけてそうよんだのです。
「ソクラテスにおいては弁証法は、かれの哲学的思索の一般的な性格と一致して、なお主として主観的な形態、すなわちエイロネイア(アイロニー――高村)の形態を持っている」(同二四七ページ)。
三つめの功績は、この「ソクラテスのアイロニー」によって、彼は事物の「概念」、事物の「定義」、事物の「真の姿または真にあるべき姿」、つまりプラトンのいうイデアを探究しようとしたのです。つまり「徳とは何か」の問いを発することは、徳の概念、定義を定めることを意味していますが、それはつまり事物の真の姿、または真にあるべき姿を規定しようとするものにほかならないのであって、それがプラトンのいうイデアなのです。ソクラテスはその意味でイデア論に道をひらいた哲学者ということができるでしょう。




一つは、「精神と自然」「思考と存在」のカテゴリーです。近代哲学において、世界を大きく精神と自然、思考と存在というカテゴリーでとらえる二元論が確立します。そのうえで、どちらがより根源的なものであるかという「哲学全体のこの最高の問題」(『フォイエルバッハ論』全集㉑二七九ページ)が提起され、「この問いにどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂」(同)し、「自然に対する精神の根源性を主張」(同)した人々は「観念論の陣営」(同)をつくり、他方「自然を根源的なものと見なした他の人々」(同)は、唯物論の陣営を構成することになったのです。
二つは、「当為と存在」のカテゴリーです。ノモスというカテゴリーは、人間の本質を「為すこと」にあるととらえ、「在ること」にとどまるピュシスに対立させたのです。ここから、後に当為(まさになすべきこと、まさにあるべきこと)と存在(在ること、在らざるをえないこと)という対立するカテゴリーが生まれてくることになります。当為のカテゴリーは、まさにかくあることに価値があるとすることにつながりますので、当為と存在の対立するカテゴリーは、「価値と事実」のカテゴリーと重ねあわせて用いられます。
三つには、「偶然と必然」のカテゴリーです。人間の「為すこと」は、為す人の主観性によって異なるところから、いわば人さまざまであって、人為には偶然性が支配するのみにすぎないのに対し、自然は自然の法則という必然性によって貫かれているとの考えが生まれます。すなわちノモスは偶然であって、そこでは真理といわれるものも単に相対的なものにすぎないのに対し、ピュシスにおいては自然必然性という絶対的真理が存在すると考えたのです。そこからノモスとピュシスは、偶然と必然のカテゴリーを媒介して、「真理の相対性と絶対性」の問題にまで発展してくることになります。
プロタゴラス(BC四八一~四一一年頃)はソフィストの筆頭格の名士であり、その名声は死後においても少しも消えることがなかったといわれています。彼の命題として最も有名なのは「あらゆるものについて尺度は人間である。存在するものについては、それが存在するということ、存在しないものについては、それが存在しないということ」(『哲学史』中の一、三四ページ)というものです。人間を万物の尺度ととらえることによって、人間を基準として人間と自然、思考と存在との関係にはじめて光をあてることになりました。つまり人間は自然をあますところなく認識し、真理に到達することができるのかという認識論を哲学史上はじめて俎上にのせることになったのです。


この質問はやはり体系の宝の意味円環認識の人類史の意味がわからない知らないのです。
理論と実践の統一

http://takamuratetugaku.org/012/012_03_text.html
http://takamuratetugaku.org/012/012_02_text.html

哲学史講義
ヘーゲルとレーニン
http://takamuratetugaku.org/001/001_12_text.html

http://takamuratetugaku.org/001/001_13_text.html

ギリシア古代哲学ミレトス学派
タレスらに始まり、

ソフイスト

ソクラテス
プラトン
アリステレスらの哲学らの哲学史上の意味がわかりませんか



http://takamuratetugaku.org/012/012_text.html


エンゲルスのフォイエルバッハ論を解説した本を読んでます。
唯物論で世界や歴史を語ろうとしているのは分かりましたが、なぜ唯物でないといけないのかが不明です。
唯物... #知恵袋_
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q131906929...

ベストアンサー以外の回答

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twe********さん

2018/5/2611:58:26

とりあえずはソクラテスがデタラメ。ボクはそー思ってるよん♪(*^^*)

geo********さん

2018/5/2610:48:34

まず、プラトンの対話篇におけるソクラテスは、あくまでプラトンから見たソクラテスで、ソクラテスの実像を伝えるものではないことです。

プラトンの哲学の方法は「弁証法」で、ソクラテスの哲学の方法は「イロニー」と「産婆術」です。
そしてソクラテスは「無知の知」なんて言っていません、「知らないことは知らない、知っていることは知っている」と言っただけです。
ま、当たり前ですけどww

プロタゴラスはソフィスト・グループに属しましたが、ソクラテスも同じソフィスト・グループの一員でした。
ソフィストというと詭弁家と考える人が多いですが、それは彼らが市民に弁論術を教えて金をとったことから、反感を持たれたにすぎず、アテネの広場・アゴラで民会が開催され、市民が集まって政治的決定をする為に弁論を戦わせましたが、みんなシロウトなんで、その市民に弁論術を教えていたわけです。
金をとるのは当然でしょ?

このようにプラトンの対話篇における、プロタゴラスも、ソクラテスも、プラトンが自分の哲学を論じるために、持ちだした人形のようなものですので、あまりマジに受け取らない方がいいです。

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