ここから本文です

なぜベラルーシ人は親ロシア感情が強いのに、ウクライナ人は反ロシア感情が強いの...

アバター

ID非公開さん

2018/6/1623:25:16

なぜベラルーシ人は親ロシア感情が強いのに、ウクライナ人は反ロシア感情が強いのですか?

閲覧数:
82
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

glo********さん

2018/6/1700:58:54

ベラルーシは第二次大戦後に国内にいたポーランド系住民の殆どをポーランドに強制的に追放するなどいわゆる「民族浄化」を行いました。
この結果、ベラルーシでは民族対立は起きなくなったのです。

一方のウクライナではロシア革命後に起きた強引な農業集団化により飢餓が発生しましたがソ連は飢餓と餓死者の存在を1980年代まで認めず、この結果「飢餓は存在しない」という建前で救済措置も行われず数百万人が餓死する事となりました。
これは現在のウクライナでは「ウクライナ人に対するジェノサイド」とされておりこれによりウクライナ人はロシアに対する強い反感と警戒心を抱いているのです。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

cha********さん

2018/6/1722:52:23

1922年ウクライナはソビエト連邦に組み込まれ、1931年スターリンはウクライナの収穫高1830万トンの中から770万トンの供出が要求した。
そして収穫は豊作だった1930年時の3分の2にまで落ち込んだ1932年、スターリンがまた770万トンの徴発を要求したのである。

集団農場で作られる農作物は国家の所有であり、これに反する罪を犯したものは人民の敵とみなし、財産を没収され少なくとも10年の禁固・銃殺刑に処された。畑でわずかな小麦を拾い集めた農婦も有罪となった。二束のとうもろこしを盗んだために銃殺刑にされた例もある。
ある農婦は自分の自営地で実ったとうもろこしをを刈り取ったために10年の刑が下され、その2週間後に夫が餓死した。
別の農婦は玉ねぎを十個畑から掘り出して10年の刑になった。
多数の農民が、死んで埋められた馬の肉を食べたとしてOGPU(合同国家政治保安部)によって銃殺刑になった。
集団農場では銃を持った監視員が常駐し、農民たちは常に見張られ、食べ物は全て奪い去られていった。

こうしてウクライナは1933年の冬までにスターリンによる人為的飢餓で、ウクライナの農民人口2000~2500万人のうち四分の一から五分の一が餓死した。(これらをホロドモールという)
この時ロシア人はウクライナから奪った食料で、餓死とは無縁であった。

また第二次世界大戦では、ナチスドイツ侵攻においてウクライナはロシアの盾とされ、餓死者以上の戦死者を出しています。
戦後はチェルノブイリ原発事故もあり、こういったことがウクライナ人の反ロシア感情の背景です。

1922年ウクライナはソビエト連邦に組み込まれ、1931年スターリンはウクライナの収穫高1830万トンの中から77...

プロフィール画像

カテゴリマスター

na_********さん

2018/6/1623:32:33

ペラルーシは、ロシアによって、ポーランドから開放されたという感情が強いからです。
ポーランドが広く支配していた時に、ポーランド市はいに反発してポーランドと戦ったのがロシア

ポーランドに支配されながらも、ルーシの文化を守り抜いたのがベラルーシ

ポーランド支配を受け入れ、ロシア文化からポーランド文化に置き換えたのがウクライナです。

そのためウクライナでは、ポーランド支配が短かった東部ほどロシア文化が強く、親ロシアで、ポーランド支配が長かった西部ほど親ポーランドです。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる