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天皇の交代の際の遷都にはどの範囲の人員が同行したのか。 古代(平城京以前)では...

his********さん

2018/6/2523:51:30

天皇の交代の際の遷都にはどの範囲の人員が同行したのか。
古代(平城京以前)では、天皇が交代するたびに遷都を行ったようですが、遷都の際にはどの範囲の人員が同行したのでしょうか。

後代の幕府や政府に比べて小規模とはいえ、朝廷の体をなすには全員が同行し、その執務場所なども丸ごと移動しなければならなかっただろう、とは思います。
しかし天皇交代のたびに遷都し、さらに全員が同行するとなると、その費用が当時としては莫大なものになり、簡単に財政が行き詰まったりしてまともな政権運営ができたのだろうか、という気がするのですが。
それとも、移転費用が気にならないほど実際には当時の“都”は小規模だったのでしょうか。

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ait********さん

2018/6/2600:46:40

天皇が交代するたびに行ったのは、「遷都」ではなく「遷宮」です。飛鳥京以前の日本には計画的に作られた都(みやこ)はなく、あったのは天皇が居住・執務する宮(みや)だけでした。

「執務場所」とおっしゃいましたが、律令国家ができる前の日本では官人の執務場所はかなり小規模でした。宮の中に収まる範囲だったと考えられます。たとえ「丸ごと移動」したとしても、(朝廷から見れば)無理な規模ではなかったでしょう。

「全員が同行」とおっしゃいましたが、遷宮に同行するのは天皇ときさきを中心としたごく少人数のみでした。
律令国家ができる前の日本では、官人は宮から離れた場所に本拠を置き、そこから宮に通勤するという形をとっていました。よって、遷宮が行われたとしても、職場が変わるだけで自宅を移動させることはほとんどなかったと考えられます。

「財政」とおっしゃいましたが、当時の日本にはお金は存在しません。税の一種としての役(えだち)というものがありました。これは労役を負担するものであり、遷宮にはこれがあてられたと思われます。天皇陵の造営も同様です。

質問した人からのコメント

2018/6/26 23:47:49

回答有難うございました。具体的な状況までわかり、助かりました。

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ski********さん

編集あり2018/6/2523:59:46

都といっても当時は一軒やの引っ越しと変わりません。

占いで場所を選び宮殿を建造するか、すでにある他人の家で代行したことさえあります。

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