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江戸時代の豪商について。

zer********さん

2018/7/1621:24:20

江戸時代の豪商について。

話しとして大名を上回る経済力があったと言われます。只話がオーバーで信じられません。100万両と云えば、1石1両の時代で、加賀100万石に匹敵します。

本当の所を知りたいです。
財産、従業員数で構いません。

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ren********さん

2018/7/1809:27:52

江戸時代の豪商は本業で儲けたお金で大名や旗本を相手に金融業・両替業をやっています。
当時は米による経済だったので収穫したお米を金に換える必要があります。その換金を豪商が受け持ったのです。
大阪に集まった米を豪商が金に両替して武士に渡します。その際に手数料を取るので両替はものすごく儲かります。
更に中期以降になると大名も旗本も藩運営・生活が苦しくなっていくと豪商から金を借りるようになります。武士相手の金融業です。
藩相手となると数百両ではなく数万・十数万両になります。金融なので貸した金に利子をのせて返してもらうのでかなりの額になります。
大阪の豪商淀屋は贅沢を理由に全財産を没収されました。貨幣だけで214万両、家屋1万坪、土地2万坪、更に大名に貸し付けてた銀1億貫(殆どが利子であるが現在に直すと100兆円近く)の財産が没収されました。
表向きには贅沢を理由ですが実際は膨大になった貸付金をなくすためというのが理由らしいです。
大阪屈指の豪商淀屋でこれくらいですからそれ以下の豪商でも凄まじい財産をもってたと考えられます。

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u7m********さん

2018/7/1810:21:34

眉唾物の話も多いでしょうが、例えば18世紀後半の三井の京都両替店だけで、銀40万貫(おおよそ650万両)あったという記録が残ってますから相当なもんでしょう。
商売用の資産ですから全部が私財ではないにせよ、仮に5分の利息で運用できたとすれば年32万両もの収入が生み出されます。中小大名など問題にならないでしょう。

編集あり2018/7/1621:45:55

当時の豪商は、必ず本業の他に両替商をやっています。 大名には限りませんが徳川幕府の家臣になると石高が決められますよね? 石高は、幕府から石高に応じた米が支給される訳です。 しかし、米だけでは、藩の運営どころか何も買えません。 そこで両替商の出番です、幕府から支給された米を貨幣に替えるのが両替商なんです。
しかし、ただ替えるのではなくある程度のマージンを差し引いた貨幣に替える訳です。 しかし、米の取高には毎年ばらつきがありますよね?
飢饉で年貢が取れない年もあります、その時には両替商が大名に貸付をします。 一応商人からすると相手は武士ですから一応丁重に対応するとしても借金はしっかり取り立てます。 だから、豪商は大名より、もしかすると徳川幕府より経済力があったんです。

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goo********さん

2018/7/1621:35:22

薩摩藩が幕府に濃尾平野の治水工事(宝暦の治水)を命じられた時、家老の平田靱負は大阪の豪商から20万両の借金をします。
工事は終わりましたが薩摩藩に返済能力がありません。平田は責任を取って自害します。

債権者の商人は「平田さんへの香典替わりや」と言って20万両をチャラにします。(太っ腹というか義侠心があるというか)

だから大豪商ともなれば100万両ぐらいは持っていたと思います。

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