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ヴェルティの作曲した「アイーダ」なんですが!

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ID非公開さん

2018/7/1900:03:17

ヴェルティの作曲した「アイーダ」なんですが!

作曲された経緯やエピソード、その時の時代背景や楽曲の特徴について教えてください!
至急お願いします!!
まとめなければいけないのでぜひお願いしますm(*_ _)m

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sin********さん

2018/7/1917:10:52

スエズ運河開通を記念し、
エジプト提督イスマーイール・パシャからの
要請で1871年初演された、ヴェルディの代表作。

エジプトに因んだオペラが望まれ、
ファラオ時代のエジプトの、次王候補である将軍ラダメスと
エチオピアの王女でエジプトに捕らえられているアイーダの
悲恋物語。

全4幕。
2幕2場が「凱旋の場」として壮麗にして勇壮なシーンと
なっている。

敵国エチオピア征伐に出動した将軍ラダメスは勝利し帰国。
この凱旋シーンが2幕2場。
この結果、王から王女アムネリスが与えられ、次王が確定
する。アムネリスも望んだ。
しかしラダメスとアイーダは愛し合っていた、、、。

という悲劇。
結末は想像できるでしょう。
二人は扉が二度と開かない地下牢で結ばれるのでした。

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ベストアンサー以外の回答

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mom********さん

編集あり2018/7/1923:13:19

スエズ運河開通を記念して、当時もっとも実力の在った、ワーグナー(1813- )ヴェルディ(1813- )グノー(1818- )

の三人から、オペラの作曲を依頼しようと動いたのです。結局ヴェルディに、白羽の矢が立てられて、この傑作が描かれたわけです。。。

音楽的には、後のヴェルディの傑作、オテロとファルスタッフは、後期ロマンは様式ですから、この曲が、前期ロマン派の完成された、最後の作品であると同時に、前期ロマン派最高の作品の一つとなったと思います。。

同じ役割を担ったのは、ブラームス(1833- )でした。彼の作品は言うまでもありません。楽聖です。。。

世界的なオペラ上演回数でも、近年は、一番多いといわれています、。

私の聴き始めた頃は、同じく、ヴェルディ歌劇リゴレットでしたが・・・・。

スエズ運河の実際の開通は、1869年です。
この曲のこの地での初演は、1871年です。この年はどんな年だったのでしょうか???
前年(1870年)から、フランスとプロシャの間で、普仏戦争が起こっていて、この年に、プロシャがパリを陥落させて、終わりました。。

もとはと言えば、プロシャの王子が、スペイン皇帝に即位しようとしていたことに、ナポレオン三世が仕切っていた、フランスが反対したことによります。。

ナポレオン三世は、闘いの敗北の中で、とらわれてしまうという、最悪の結果を招いていました。

フランスはこの敗北で、屈辱的な条件で、合意します。。アルザス、ロレーヌという、鉱工業に勝れた地域を、ドイツに割譲しなくてはならなかったのです。。。

スエズ運河は、イギリスにとって生命線でした。エジプトはフランスにその利権(株)を売りたかったのですが、金額があまりに莫大なもので、フランス政府は、困惑し戸惑っていました、。

財政も逼迫していたのです。

その情報を得たイギリスは、国運を賭して、この莫大な権利金を支払い、この運河を手に入れました(1875年 )

イギリスの大きな植民地である、インドなどが、この運河を通過する事によって、大きな利益を生むのは間違いありません、

フランスに権利を取られていたら、常に運河の使用について、お伺いを立てなければなりません。
イギリスは、この事によって、世界のリーダーたりえたのです。。。

この時代は、一次大戦を結論とする、帝国主義が始動し始めていた時代でした。植民地政策の成功と産業革命の成熟。などで、西欧が一気に世界のリーダーに駆け上がった19世紀初頭。

そして。19世紀も後半となると、電気と石油と言った、今代人の生活と共通する、社会体制に成り、多くの発明が産まれ、第二次産業革命が、始まりました。

しかし、その反動からか、1870年代に入ると、世界的な不況に見舞われます。。

フランス、イギリスなどの、植民地を多く持つ国家は、購買力を確保するために、本国と植民地などの消費国のガードを固め、資本を流出する事によって、その利潤を手にするようになってゆきました。。

持たざる国、ドイツ、アメリカ、日本などは、勢力範囲を広げて、その解決策としようとしていたのです。。。

ドイツが、ベルリンからバクダットに3B政策をを敷くと、イギリスと営利が競合し始めます。
スエズ運河ルートと並行しているからです。。

そう言った緊張状態が、一次大戦を産む重要な原因の一つとなりました。

この初演の次の年、1872年、オーストリア、ドイツ、ロシアが、三帝協商条約を結びます。次の年には、同盟へと進化しています。。。

西欧列強は、常に緊張状態が続いていましたが、アイーダの初演は、帝国主義への出発の合図と言えると思います。

そして、その結論が、一次大戦の惨禍です。負けた、オーストリアとオスマントルコは
帝国として崩壊します。帝国主義などを支えた、ロマン主義も、消えてなくなります。。。

アイーダは、前期ロマン派の完成音楽で在り、この辺りから、混迷する後期へと、移る西欧の象徴的な作品でもあったと思います。

帝国主義から列強のもみ合い、緊張、破壊、負けた三国同盟(ドイツ、オーストリア、オスマントルコ)は勿論、

ロシアも、帝国は、ドイツの後押しで崩壊、。ソビエト社会主義連邦の始まりです。。イギリスもフランスも疲弊しきって、
ドイツへの莫大な賠償金は、受けなければならない、最低ラインだったと思います。。。

前期ロマン派と、後期ロマン派の違いは、

前期ロマン派が、強く文学的(比較的浅い意識の感情を表現したもの)な面と結びついていて、クラシック音楽本来の芸術性を追求する姿から離れ始めるような存在だったのに対し、


芸術性に飽き足らない、 当時の若い作曲家達は、ワーグナーに続けと、混迷した精神を表現するポストロマン主義へと移行し始め、

そのポストロマン主義が、現在は、後期ロマン派と呼ばれるものとなったのです。。。

このためにクラシック音楽は、聴衆の乖離と社会からの批判。商業的な恩恵の低下
金にもならない、芸術音楽へと突き進みます、。

それは、コンテンポラリークラシック音楽迄、同じ形態で続いています。。。

完成度の完璧で人気も高い音楽は、このアイーダをもって、クラシック音楽では、終了したと考えて良いと思います。。。

同時期のブラームスの作品も同様です。
この二人の作品をもって、人気の高いクラシック音楽は、下降し始めたのです。それは恣意行為であって、
けっして、不測の悪い結果などではありません。。

結果が解っていての、能動的な改革だったんです。

アイーダ と言う歌劇の人気は、
架空の古代エジプトを背景に、そのスペタクルが、存分に発揮されている点が、第一です。
そして、愛一筋の主役の二人の姿の美しさ、

音楽の完成度の高さと、新鮮さにあると私は思います。、

背景は、いつもゴタゴタ、西欧の一幕です。

アイーダの特徴を書かなくてはならないとしたら、
なん度も繰り返しますが、完成された、前期ロマン派の結果が、歌劇アイーダだと思います。

前期ロマン派は、パトロンが、教養初心者の豊かになり始めた市民です。

わかりやすい、でも、感動のでかい音楽が要求されたんです。

前期ロマン派系の作曲家達は何故か?素人っぽい人が多く。ヴェルディやブラームスなどは、例外です。

そう言った流れの最後にあるのが、ツヤツヤに磨かれた、出来過ぎの音楽、歌劇アイーダです。

音楽を文字で説明するのは、不可能ですね!残念!!

長文書いていて、ベストアンサー決まっちゃったのが続いたので、焦って書いてしまいました。
何かの参考になれば、と思います。

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