ここから本文です

青森県の弘前市は昔は青森の中心都市だったらと聞きましたが、それならなぜ弘前市...

yat********さん

2018/7/3111:07:18

青森県の弘前市は昔は青森の中心都市だったらと聞きましたが、それならなぜ弘前市が県庁所在地でなく青森市がなったのですか?

閲覧数:
656
回答数:
7

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

hid********さん

2018/8/200:26:30

先のかたの回答にもある通り、かつては弘前に県庁が置かれました。

そのころ、弘前県(今で言う青森県)には3つの勢力がありました。①現青森県の東南部(形式的には東半分)を領していた南部、②現青森県の西半分を領していた津軽、そして③会津藩が戊辰戦争で破れ下北半島(とその根っこ)に移封されてきた。


その3勢力のおおよそ中央にあって中立だったのが商業港として栄えていた青森でした。県庁としてここを提案したのは会津から来た広沢安任だそうです。松平容保公の右腕だけあって、おそらく3者の中では抜きん出て有能な人物であったでしょう(発足間もない新撰組の面倒を見ていたこともあった)。


今でも弘前市の人は、青森市に対してそのころの恨みを持っているらしい。「県庁を持って行きやがった」と。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/6件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

dem********さん

2018/8/511:24:44

青森は大まかに津軽と南部に別れてます。明治維新後、青森県として一丸となる時にやはり津軽、南部争いがあり元々、津軽の政治中枢だった弘前に置くと八戸を中心とする南部が抵抗する可能性が高いので青森市に置かれました。

kli********さん

2018/8/104:19:11

弘前のねぷた祭りはケンカが始まると死人がでたほど住民の気性が荒く、統治しにくいとのことで、中間の青森にきまったのです。

朝ドラの、おはなはん、にも出てきます。

祭りで騒動を起こした露口茂のやくざを改心させたのがおはなはん、の夫の軍人で以後忠義をつくすようになります。

n22********さん

2018/7/3114:06:01

弘前は寒いので「やり過ぎだ!」との声を受けてねぶた漬を食べでいます。

cor********さん

2018/7/3111:50:08

青森県は廃藩置県の際に、津軽(弘前藩、黒石藩)と南部(八戸藩、七戸藩、斗南藩)と北海道の松前藩を一緒にして、弘前県として発足しましたが、明治政府から派遣された初代の野田知事が青森町に県庁を移し、青森県としました。
青森県は太平洋と日本海に面し、津軽半島や下北半島に加えて、北海道の一部も含める大きな県だったので、中央に位置して海にも面している青森町が県庁所在地として最も適していると判断されました。
弘前市に置けば、弘前藩士から抵抗を受ける可能性もあり、それを避けるためとも考えられています。

ken********さん

2018/7/3111:33:34

たしかに弘前は元来は津軽地方の中心地で、明治維新後に弘前県として発足しましたが、当時の大参事(知事)が北海道へすぐ行ける港があって交通の便が良い青森に県庁所在地を置くように政府に働きかけたからです。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる