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「マレーの虎」と呼ばれた山下大将ですが 昭和天皇に終生謁見を許されなかったと...

mfm********さん

2018/8/922:19:36

「マレーの虎」と呼ばれた山下大将ですが
昭和天皇に終生謁見を許されなかったとか。

想像するに開戦前の同盟国タイランドへの上陸とバターン死の行軍が
原因か?

と考えていますが本当のところはどうだったのでしょうか?
よろしくお願い致します。

謁見,終生謁見,バターン死,同盟国タイランド,フィリピン,マレー,行軍

この質問は、活躍中のチエリアン・専門家に回答をリクエストしました。

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ベストアンサーに選ばれた回答

bou********さん

2018/8/1012:36:35

先の回答者様のお答えにもあるように、
2.26事件の際に山下が事件収拾のために
叛乱軍将校へ「賜死」を願い出たことが
昭和天皇の逆鱗に触れたわけですが、
この件を取り次いだ侍従武官に、

「そのようなことで
軍の威信が保てるか。山下は軽率である」と
異例の名指しでの叱責をしたと言われており、
この件で皇道派の一員だと
判断されてしまったのでしょう。

ただし、
>昭和天皇に終生謁見を許されなかった<
というのは間違いです。

彼は昭和19年の9月に
満州の第1方面軍司令官から、
フィリピンの第14方面司令官に転じるに当たって
ほんの数日間だけ帰京したのですが、

その際宮中への参内が許され
昭和天皇と香淳皇后への謁見が実現しています。

山下は謁見後侍従武官に
「わが生涯において最も幸せな時間でありました」
との感想を残しています。

昭和天皇も2.26事件から8年が過ぎて、
山下の心根に裏が無かったと知ったのか、
実質的な死を意味するフィリピンへの転任に対して
過去の慰労や謝罪や惜別の意味を込めたのか、

謁見を許した理由は
昭和天皇以外知る由もありませんが・・

  • 質問者

    mfm********さん

    2018/8/1410:52:32

    なるほど謁見はなされているのですね。
    ウィキの記述は修正する必要がありますね。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

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質問した人からのコメント

2018/8/14 10:53:58

有益なご教示ありがとうございました。戦前の事件が影響していたのは初めて知りました。ほかの方の回答もとても参考になりました。

ベストアンサー以外の回答

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syu********さん

2018/8/1007:00:13

山下奉文は陸軍の皇道派の主要メンバーで、太平洋戦争緒戦は25軍司令官としてマレー作戦を指揮したが、統制派の東条首相に疎んじられたので、昭和天皇への拝謁の栄誉に浴せず、その代わり、部下である島田戦車連隊長が「マレー電撃作戦の指揮官」として、拝謁している。
戦後に書かれた彼の手記を読んだ。最敬礼していて、直接陛下の顔を見ることを許されずお誉めの言葉を読み上げられ、すぐに引き揚げられた、とある。これが「拝謁」の通例。

山下は、親分格として2・26事件の時に反乱将校の説得に当たり、現場を収拾するにあたり、「反乱将校の自決に際し、勅使を出してくれ」との案をだしたのは事実らしい。
木戸日記によると、「暴徒が自殺するなら勝手にやれ、このような者に勅使を出すなどもってのほかだ」と天皇は激しく怒った、とある。


質問者のいう「同盟国への上陸」は25軍の仕事ではないし、タイに対してはそれなりの措置をとっているので、指揮官が責任を問われるような失策ではない。

バターン死の行軍は、フイリッピンを攻撃した本間中将の責任でしかも、当時の日本軍ではどうってことのない強行軍だから、非人道的だ騒いだのは戦後の連合軍である。

山下奉文には無関係だ。
もう少し歴史をまともに勉強しましょう。

zez********さん

2018/8/922:41:34

そもそも軍人で帝に正式な謁見を許されるのは参謀総長や軍令部総長といった「帷幕上奏」を認められた軍のトップ級くらい。あとは武勲卓越たる軍人への特別の栄誉として謁見の機会が与えられる、といった程度です。そうそうほいほい会うようではありがたみがないですよ。

で、山下が昭和帝に嫌われていたのははっきり理由があります。2.26事件の際に、昭和帝が「朕の股肱の老臣を殺戮す」と激怒し、自ら近衛師団を率いてでも鎮圧するとまで言った反乱軍首脳陣について「天皇から検視の使者を出したうえで自殺させる」という処理案を提示したんですね。「使者を出す」というのはその人物が軍務のひとつとして死んだと認めることを意味するため、反乱軍の行為を「朕が首を真綿で絞めるがごとき」とまで怒り狂っていた昭和帝の感情を完全に逆なでしたんですよ。以後、山下は完全に昭和帝に「見捨てられ」た格好になり、もともと皇道派の将官と見做されていたこともあってマレー戦の凱旋をもってしても謁見の資格なしと見做された次第です。

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