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江戸の住人にとって魚河岸、魚市場はどのような存在であったのか、どのくらいの頻...

chi********さん

2018/8/2810:07:20

江戸の住人にとって魚河岸、魚市場はどのような存在であったのか、どのくらいの頻度で住人は利用していたのかを教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2018/9/321:11:46

魚河岸、魚市場は、
問屋仲間以外取引できなかったよ。
だから、一般住人は利用できなかった。

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ベストアンサー以外の回答

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axy********さん

2018/8/2814:41:54

幕府の支配の強かった関東では利根川水系の付け替え工事が行われ(利根川東遷事業)、銚子経由で東北地方から江戸までが接続されるようになった。
また、江戸川、荒川、隅田川を横に繋げて神田川に船で物資を運ぶようにして江戸橋と日本橋の間の北岸、現在の日本橋室町1丁目、三越本店のはす向かいの場所に日本橋魚河岸が出来た。
江戸の魚河岸は、日本橋のほかにも、四日市、小船町、新肴場、本芝、芝金杉、千住仲、深川、大森、羽田、不入斗、築地、浜町と合わせて13カ所が存在した。
これらの魚河岸は江戸時代から、さらに明治、大正まで活動していましたが、関東大震災により壊滅し、現在の築地市場に統合された。
冷蔵庫のない時代、その日のうちに売り切らなければ大損害になってしまうから、午後になれば投げ売り状態となり、庶民でも魚を口にする機会はあった。

ojy********さん

2018/8/2810:08:34

一般人は利用できない
今と同じ

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