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石田三成が秀吉の死後、前田利家や奉行衆との間で徒党を組んでいて、それが「秀吉...

kok********さん

2018/8/3120:18:24

石田三成が秀吉の死後、前田利家や奉行衆との間で徒党を組んでいて、それが「秀吉の遺命に反している」というご意見を見るのですが、徳川家康もまた何人もの大名との間で、

縁戚関係を結んで勢力を拡大しているのですから、徳川の力を過剰に強めないためには当然の対応ではないでしょうか?

最近の日本史カテに寄せられるご意見で、三成のやったことが秀吉の遺命に反しているという声が大きく、家康が明らかに自分の勢力を拡大しようとするれっきとした遺命違反行為をしていることが薄らいでいるような気がします。
もちろん家康が自分の天下取りへ乗り出すことは悪いことであるとは思いません。三成もまた豊臣政権を護ろうとしていたので、悪く言われるようなことではないでしょう。

歴史に詳しい方、ご意見をお願いします。

余談ですが、表示されるIDの3文字を同じにして、私が過去に投稿した質問を私の文章を使って再投稿しているなりすましの質問者様がいらっしゃいますが、プロフィールの参加日が古い方が私です。区別していただけると幸いです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2018/9/223:08:46

家康の場合、縁戚関係者を結んでるので明らかに徒党を組んでます。三成の場合、秀吉の遺命以前の話だし、あまり有力と言えない大名が相手です。徳川を押さえる為の談合まで、秀吉の遺命に反してると言われれば、豊臣を守る事も出来ません。

質問した人からのコメント

2018/9/7 19:08:17

回答ありがとうございます。あくまで力の均衡を図り、豊臣政権を維持するための行為ですから、そこまで責められるものだろうかと感じます。それと前田利家というのは間違いで、毛利輝元でしたね。

ベストアンサー以外の回答

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loo********さん

2018/9/623:27:13

Q「石田三成が秀吉の死後、前田利家や奉行衆との間で徒党を組んでいて、それが「秀吉の遺命に反している」というご意見を見るのですが」

これは、おかしい言い分と思います。

前田利家と石田三成は「遺言、条例」で禁じられたような
「徒党」は組んでいません。
それは「毛利輝元と石田三成&三奉行」との間で交わされた
禁止された「起請文」を通しての徒党結成であり
「前田家」は違います。

むしろ「徳川家VS前田家」の政争の際には
「石田三成」は家康にも接近し政争を止めようとしており
言われるほど前田家と徒党を組んでいません。

Q「徳川家康もまた何人もの大名との間で、
縁戚関係を結んで勢力を拡大しているのですから、
徳川の力を過剰に強めないためには当然の対応ではないでしょうか?」

当然とは思えませんが、石田三成は
遺言で豊臣政権や政務を任された「徳川家康」に敵対し
政権奪取を考え「毛利家」などと派閥を作ろうとしています。

Q「家康が明らかに自分の勢力を拡大しようとするれっきとした遺命違反行為をしていることが薄らいでいるような気がします。」

ここなのですが「家康の婚姻問題」に対する家康の弁明は
「秀吉存命時に伝えていた。秀吉死後の婚姻(松平忠輝)は
奉行衆に伝えていた。」と述べ、これが通り許されています。

よく言われる「忘れてた!」と開き直る名シーンは
「関ケ原大成記」などの講談のみで実際は弁明し、これが
通り許されているという点は見るべきでしょう。

Q「もちろん家康が自分の天下取りへ乗り出すことは悪いことであるとは思いません。三成もまた豊臣政権を護ろうとしていたので、悪く言われるようなことではないでしょう。」

ここは違うでしょう。

少なくとも石田三成は「家康の婚姻」を問題とし訴えましたが
その実「石田三成も違法していた」のですから
「民主党ブーメラン」同じく問題です。

これが家康を訴えずに互いに「違法」し「派閥」結成していれば
五分五分で問題ない政権闘争の構図です。


単に「家康&三成」と政権奪取のために違法も行い
謀略合戦もし最後は決戦をした
政権闘争が「関ケ原の戦い」だったと見ます。

ire********さん

編集あり2018/9/421:32:49

『御掟』五箇条ですね。

一、大名・小名深重に契約せしめ、誓紙等堅く御停止の事

8/28付で毛利輝元は四奉行宛に誓紙を提出しています。内容は輝元と四奉行の結託ですが、家康の私婚(?)に先行しています。違反行為を先に行った三成を、まずはどう捉えるかです。


続いて、同じく『御掟』五箇条から、

一、諸大名縁辺の儀、御意を得、その上をもって申し定むべきこと


婚儀には、秀吉の『御意』を得る必要があります。では、秀吉が死んでいる場合はどうします?
秀吉遺言において『政務を託された』家康が、決裁権限を持つことに全く違和感はないと思いますよ。組織では当然の部類に属する話です。

「縁戚関係を結んで勢力拡大」との事ですが、秀頼・千姫の婚約は他の追随を許さない圧倒的な勢力強化だと思いますよ。この婚約を主導したのは秀吉です。

家康の『勢力拡大』とは何なのか、具体的に示す必要があるのではないかと思います。

han********さん

2018/9/319:37:37

毛利輝元では

奉行と毛利の密約は秀吉の死後の十日後で内容は秀頼様に敵意がなくとも奉行と意を同じにしないものを同心して討つとしています

家康の婚姻
奉行が問題にしたのは婚姻の決定権のことですね
秀頼の外祖父で豊臣一門であり唯一の大臣職の家康が秀頼に代わって決定権を出すのは当然でしょう
秀吉が禁止したのは生前秀吉に無断で婚姻をしてはいけないということだし

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