キリスト教の教えではある神様が創ったアダムという男こそが世界で初めて誕生した人間であるというのがあるそうですが、ではキリスト教を信仰している人たちは進化論についてはどう思っているのでしょうか、ほんとに

キリスト教の教えではある神様が創ったアダムという男こそが世界で初めて誕生した人間であるというのがあるそうですが、ではキリスト教を信仰している人たちは進化論についてはどう思っているのでしょうか、ほんとに 神様が人間を創ったと信じているのですか? ※決してキリスト教を信仰するのを否定しているわけではないです

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アダムが始祖人と言うのは、キリスト教が創作した幼児向けの 神話で、その神話が書かれてる創世記そのものは、古代ユダヤ人 がユダヤ人と言う民や国家を造った経緯が書かれたものです。 その意味では日本の古事記と似てるんですが、創世記の神話は あくまで神話上の話であって科学的における進化論とは全く 次元の違う話であるとするのが、現代的な人間の考え方の帰結点 だと思うのですが、キリスト教はアダムを始祖人とする神話の 時代が長く、キリスト教の宗派によってはキリスト教の ファシズム的教理も災いして、創世記の編者がなぜ創世記を 書いたのかと言うテーゼに対しての現代的な論議も全くなされて いません。 その為中世の時代錯誤した教理が、未だにまかり通ってると 言った方が良いと思います。

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物事を進める為には設計や段取りとか細かいことをきっちりと考慮しておこなわなければならない。自然には進まない。やはり背後には、なにかしらあると思う。それがなにかは分からない。しかしこの問題は,今後も絶対に人類は解明できないと思う。

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もちろん本当に信じています。 無神論者による仮説が進化論しかないから有名なのであって、進化論はまだまだたいして有力な証拠もありません。 まだまだ進化論を信じれる気はしないです。

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猿・ゴリラのような猿人は、たしかにいただろう。北京原人もネアンデルタール人もクロマニヨン人もいたであろう。 しかし、完全に現代の我々と同様の善悪をわきまえ、神の律法・戒めを理解でき、読み書きできる知性を持つ、責任能力の持てる人間は、神が直接創造されたアダムとイブなのです。 サルやゴリラや猿人等は、サル・ゴリラ・猿人の霊が宿り、神の備えられた不死不滅の救いを受け継ぐ神の息子・娘たちの霊が宿る人間は、アダムとイブの子孫たちなのです。 将来先祖となつかしの対面をする日がくるでしょう。サルが先祖と信じている人はサルとハグすればいい。男らしいアダムと美人のやさしい母イブを先祖とする人は、人間のアダムとイブとハグをすることができるでしょう。 進化論も、仮説なのです。新しい発見で次々と変わっていく類のものなのです。 説明のつかない場合、学問は「突然変異」節を唱えたりもしています。 神の意志、御手による創造を認めない学問は、限界があるのです。近年、人の意志・精神が物質に影響を与えることがあることが科学的に知られ始めてきているようです。

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私自身はクリスチャンではありませんが、福音派クリスチャンの方と少しだけ議論したことがあります。 そのときクリスチャンの方の主張の要点は、「それを学ぶことで神への信仰を揺らがせるのであれば、自然科学などは子供に教えるべきではない」というものでした。 進化論はその最たるもので、子供にそれを教えることは有害であると主張される理科の先生でした。 キリスト教徒にとって聖書は絶対的な真理であり、それを否定する事象事物を一切排除するのが当然ということのようです。 私自身は進化論を肯定する立場です。 進化論それ自体が完全なものではないのは確かですが、現在までにわかってきている様々なことは進化という現象の傍証として十分なものばかりだと考えます。 例えば両生類から人類まで、凡そ陸上生活をする脊椎動物の身体構造がほとんど共通していることや、多くの生物がミトコンドリアを介した酸素呼吸によって生活エネルギーを得ていること、さらに言えばすべての生命がDNA・RNAを遺伝物質としていてその情報がAGTC(U)の塩基の配列で記述されていることなどは進化論によるなら当然のことですが、個別の創造を主張するのであればそこには必然性がないと思えます。 あと、「ニワトリとタマゴ」の問題は、生物学的にはタマゴが先と答えが出ています。タマゴとそれを生んだニワトリは別の存在ですが、タマゴとそこから生まれたニワトリは同一存在ですから。

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科学は、この世のすべてを創られた神様の叡智を知る学問。アダムとエバの話は信仰上の話(たんに神話とかたづけられる話ではない!)です。