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ハプスブルク家が強大化した過程を出来るだけ・出来るだけ簡潔にバカでも分かるよ...

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ID非公開さん

2018/9/517:36:37

ハプスブルク家が強大化した過程を出来るだけ・出来るだけ簡潔にバカでも分かるように教えてください。

最初はどっかの伯だったんですか?
その後、神聖ローマ帝国の皇帝にもなってましたよね?
婚姻政策で大きくなったという話も聞いたことがあります。が知らないうちにめちゃくちゃデカかったですよね?

よろしくお願いします!

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rur********さん

2018/9/521:39:09

1.最初の皇帝選出&オーストリアゲット
ホーエンシュタウフェン家(皇帝家)が断絶して、有力諸侯(選帝侯の皆さん)による醜い皇帝位の奪い合いが始まる(大空位時代)

この争いを治めるために皇帝選ぶ権利持った有力諸侯の皆さんが妥協して、次期皇帝に選んだのがハプスブルク家のルドルフ1世。

ルドルフ1世が選ばれた理由としては、婚姻によりちょっと皇帝家(ホーエンシュタウフェン家)の血を引いている事や、皇帝(ホーエンシュタウフェン家)への忠誠心が評価されたことがあげられるが。

まあ要は、有力諸侯性質がYESマンになってくれそうな性格した(旧皇帝家への忠誠心)弱小諸侯という、有力諸侯が操りやすそうなお飾りの操り人形を皇帝に選んだだけ。

だったのが、このルドルフ1世が存外に優秀な人物で、ハプスブルク家も大飛躍。
オーストリアを手に入れたのもルドルフ1世。ハプスの祖と言われる人物です。


2.アルブレヒト1世
ルドルフ1世死後、有力諸侯は予想外に手強かったハプスを避け、操りやすそうな弱小諸侯からの皇帝選出する。ルドルフ1世の息子アルブレヒト1世は、皇帝位を狙い、アドルフ・フォン・ナッサウ(新皇帝)と対立する。

が、アドルフ・フォン・ナッサウもやっぱり自身の権益を拡大しようとして使いにくくかったので皇帝を首になり、対抗馬やってたアルブレヒト1世に皇帝位が回ってくる。アルブレヒト1世も有能で、ハプス飛躍。この二代でハプスは到底「弱小諸侯」とは言えない感じになる。


3.ルクセンブルク家とヴィルテルバッハ家による皇位の独占と大嘘つき

アルブレヒト1世の息子フリードリヒ3世を最後にハプスは皇帝位からは遠ざかり、皇帝位は有力諸侯のヴィルテルバッハとルクセンブルクで争うようになります。

ルクセンブルクはアルブレヒト1世の次に操り人形に適した弱小諸侯として選ばれたんだけど、やっぱりいう事聞かずに使いにくくしかも超有能で、一気に最有力の家に躍り出た。(選帝侯位もゲット)

もうこの辺で、流石に有力諸侯(選帝侯)達も「弱小諸侯を皇帝にして操り人形にするプランは駄目だ」と悟り、自分で皇帝位につくことにした。ので、選帝侯を得たルクセンブルク家と、元々名家なバイエルンのヴィルテルバッハ家で皇帝位を独占。


この時期は、ルクセンブルク・ヴィルテルバッハ・ハプスブルクが三強。
但し、ハプスは実力あっても選帝侯位(権力)持ってないので皇帝争いに絡めない。

ところで、そんな時期のハプス当主にルドルフ4世という人がいました。ルドルフ4世は有能で、ハプスは更に発展したのですが、彼には一つ大きな不満がありました。
つまり、既に名門で有力諸侯といって差し支えないハプスブルクが選帝侯位を持っておらず、格下扱いだという事です。

そこで、勝手に自分が持ってない偉い地位を名乗り始めました。
挙句、自分は公より偉い大公(そんな地位はない)であるとか言い始めました。
しかも、自分は大公という特別偉い存在なので、色んな特権を持ってるとか主張し始めました(持ってない)

この辺になると、カール4世(時の皇帝。ちなみにルドルフ4世の義父)もお前は何を言ってるんだと突っ込まざるを得なくなりました。
で、そう名乗る根拠あるなら証拠出せ。(ないなら名乗るな)と言ったところ、ルドルフ4世は証拠として、特許状と手紙(偽造)を持ち出してきました。


偽造した証拠の内容
「オーストリアは超特別で別格だから大公って名乗って良いよbyカエサル&ネロ」

明らかに偽物です。もう内容からして明らかにおかしい。
明らかにまともに従う気が無いのでハプスと対決するのを避けたのか、
単にあまりな内容にまともに相手する気力も失せたのか、
カール4世はこの件は全力でスルーしてなにも見なかった事にして有耶無耶にするという解決策を取りました。

どう考えても全てが明らかにおかしいので、ルドルフ4世が「あいつ頭おかしいんじゃないのか」という目で見られるだけで済みました。
済んだ筈だったんだ……(後への伏線)


4.さらばルクセンブルク~ハプス婚姻伝説の幕開け

ボヘミア王とブランデンブルク選帝侯の二つの選帝侯位を持ち、皇帝家の片割れとして栄華を誇ったルクセンブルク家ですが、跡取りの男子が得られず断絶しました。

その、最後のルクセンブルクの主、神聖ローマ皇帝ジギスムントの跡取り娘エリーザベト・フォン・ルクセンブルクを娶ったのが、ハプスのアルブレヒト2世です。ドイツは女性は自分で継承する事が出来ません(旦那や息子が継承する事は出来る)。

ルクセンブルクの跡取りエリーザベト嬢のハプスの嫁入りに、ボヘミアとハンガリー、そして皇帝位がくっついてきました。

5.帝国の大愚図
オスマン帝国との戦争中、アルブレヒト2世は急死しました(病気で)

オーストリアとボヘミアとハンガリーは幼いって言うかまだ赤ん坊の息子が受け継ぎました。(ハンガリーは少し揉めたけど)

次の皇帝に選ばれたのは、ハプスの傍系、アルブレヒト2世の又従兄、フリードリヒ3世です。幾らなんでも赤ん坊を戦時の皇帝にはできなかったので中継ぎに選ばれました。

このフリードリヒ3世、見るからに冴えないダメ親父といった風貌で、ド貧乏で
(ハプス当主は本家の赤ん坊のラディスラウス。フリードリヒ3世自身はマジで僅かな領土しか持っていない田舎の貧乏領主)

フリードリヒ3世の前に立ちはだかる敵!
ラディスラウスの後見人の座を狙う、ボヘミアとハンガリーの大貴族達!
……に、碌な力を持ってないフリードリヒ3世が敵う筈もなく後見人の座はあっさり取られました。

フリードリヒ3世の手の届かぬところで熾烈な権力争いを繰り広げるハンガリー貴族達と成長したラディスラウス。
が、病気で死んだり敵対者にやられたり病気で死んだりして、誰もいなくなったのでフリードリヒ3世にオーストリア(ハプス当主の座)が転がり込んできました。


悪政を引く君主として領民からの評判良く無いフリードリヒ3世!
の前に立ちはだかる領民の支持を受けた共同統治者の弟による反乱!
あっさりごめんなさいして弟に全てを譲り渡すフリードリヒ3世!

4カ月位で子どもいない弟(アルブレヒト6世)が急死して、利子(弟自身の領地)がついて戻ってきました。
フリードリヒ3世どころじゃない圧政を敷いた暴君だったんで暗殺されたと言われています。

なんかこんな感じで、フリードリヒ3世はなにもしてないのに敵対者が次々勝手に自滅して、フリードリヒ3世はどんどん力をつけていきます。

家康型の「長生きしたものが強い」を極端にした感じ。
フリードリヒ3世超長生きしたので、53年の長きにわたり帝位を独占し、最終的にいろいろ転がり込んできました。

フリードリヒ3世は伏線(?)として紹介した誰も相手しなかった『大特許状(ルドルフ4世の恥ずかしい捏造証拠)』を、正式な物として帝国法で定めてしまいました。

>オーストリアは皇帝が介入できない永遠の封土であり、オーストリア大公は皇帝の助言者で、彼の知らないところではいかなる決定も下せない。オーストリアはあらゆる帝国税が免除されるが、帝国はオーストリアの安全を守る義務がある。オーストリアは義務で帝国に属しているのではなく、帝国に頼まれて帝国の臣になっている。
(Wikipフリードリヒ3世頁より大特許状の内容)

と、言う訳で、ルドルフ4世の妄言は事実となり、オーストリアは大公家となり、
なんだか色々特別な存在という事になってしまいました。と、言う訳で此処からハプスによる帝国皇帝位独占が始まります。



6.中世最後の騎士
貧乏で苦労したフリードリヒ3世は、息子マクシミリアン1世は金持ちの娘と縁談を整えてやりたいと頑張ります。
(全くの余談ですがフリードリヒ3世の嫁はポルトガル王女という超金持ち娘で、貧乏なハプスに嫁いで苦労して早死にしました)

マクシミリアン1世も皇帝の息子とは名ばかりの田舎の貧乏皇子ではあったのですが、母親似で美形で、母の影響により敬虔で学問や芸術にも造詣が深く、誰の影響か知らんが武芸にも秀でているという立派な貴公子に育ちます。

そして、腐っても皇帝家&マクシミリアンが個人的に気にいられたという事で、当時欧州で最も豊かな国といわれた、ブルゴーニュ公国の一人娘との縁談が調います。

そこにブルゴーニュを狙うフランスがやってきてブルゴーニュ継承戦争してハプスとフランスの因縁が始まったりとか色々ありましたが、マクシミリアンは無事ブルゴーニュの跡取り娘と結婚しました。

ブルゴーニュは女性君主ありだったので、マリー・ド・ブルゴーニュがブルゴーニュを継ぎ、マクシミリアンは共同統治者になります。が、次代では二人の息子がブルゴーニュ継ぎますから、この婚姻でブルゴーニュもハプスの手に収まりました。婚姻により領土拡大及び、念願の経済力ゲットです。



7.ハプスブルク最盛期
マクシミリアンの息子フィリップ(フェリペ)はスペイン王女と結婚してマクシミリアンの娘はスペイン王子と結婚しました。(二重結婚)

スペイン王子は早逝したので、スペイン王女フアナ(マクシミリアンの息子の嫁)がスペインの跡取り娘になりました。はいスペインゲット。スペインには南イタリアもくっ付いてきます。

フェリペの息子、皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が、オーストリアとスペインを統べるハプスブルクで最大の領土を治める君主ですが、流石に領土が広すぎたので、分割して、オーストリアは弟フェルディナント1世にあげました。
以降、カルロス1世の血筋がスペイン=ハプス、フェルディナント1世の血筋がオーストリア=ハプスです。

  • rur********さん

    2018/9/521:42:05



    話は変わりますが、ハンガリーとボヘミアは、フリードリヒ3世があっちの貴族に後見人の座を奪われてからハプスの手を離れ、ハプスのアルベルトというか、その妻エリーザベト・フォン・ルクセンブルクの血を引くヤギヴォ家というのが王様してました。

    フィリップの息子フェルディナント1世はヤギヴォ家の王女アンナと結婚しました。ハンガリーとボヘミアの王位はアンナの弟が継いだのですが、弟が跡取りなくして亡くなったので、ハンガリーとボヘミアが改めてハプスに転がり込んできました。
    はいハンガリーとボヘミア改めてゲット(以降ハプスの世襲)



    国がついてくる跡取り娘ばっかり娶って婚姻で拡大しまくってハプス最盛期まで辿り着いたからこの辺でいいよね?

    ソースは到底貼ってられないんで、紹介されてる本読むか、
    ネット上ならWikipでハプスブルク家と上がった名前全部と、他色々上がってるキーワード調べて下さい。

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r_a********さん

2018/9/518:34:55

●皇帝ルドルフ1世とアルブレヒト1世
元々はスイスでハビヒツブルク城(鷹の城の意味)という城を築いた家系が先祖で、スイスからオーストリアの方に支配地を広げていきました。
最初に皇帝になったのはルドルフ1世(在位:1273~91年)、この時ボヘミア王国のオタカル2世というのが勢力急拡大で皇帝になる気満々だったんだけど、強過ぎて困るので、弱小のハプスブルク家のルドルフが皇帝に選ばれました。ところが皇帝になってみると、予想以上にしたたかで、オタカル2世を戦いで破ります。
続いて、アルブレヒト1世(在位:1298~1308年)も皇帝になりますが、スイスの反乱を鎮圧する遠征の時に暗殺され、以降、警戒されて、皇帝には選ばれなくなり、衰退します。

●フリードリヒ3世(在位1452~93年)、《帝国の大愚図》
皇帝の地位がハプスブルク家で世襲されていくのは皇帝フリードリヒ3世(1452~93年)の時からですが、この時、ハプスブルク家の本家は、スイスの領地も失い、オーストリアの領地も分家にとられ、山がちな2州を持つだけの無力な存在でした。財力も武力もなく、ハンガリーに攻め込まれても逃げ回るだけだったので、「帝国の大愚図」と呼ばれました。

●マクシミリアン1世(在位1493~1519年)、《ハプスブルク家中興の祖》
ところがこの無力な皇帝の息子マクシミリアンが、文武両道に優れ見事な騎士ぶりで、フランスのヴァロワ王家の分家のブルゴーニュ公家に婿入りしたことで、大きく変わります。
ブルゴーニュ公家は当時、フランス王ルイ11世と争っていましたが婿入りして2年目の戦いで、フランス軍を打ち破ります。(1479年ギネガテの戦い)
ブルゴーニュ公家の領地であるネーデルラント(現在のベルギー・オランダ・ルクセンブルク)がハプスブルク家の領地となります。

この頃、ハンガリー王が神聖ローマ帝国の南部に攻め込み、現在のオーストリアの半分ほどを占領、ウィーンも陥落します。無力な皇帝は逃げ回るだけでしたので、選帝侯は戦える皇帝が必要ということで、フランスに勝った戦歴のあるマクシミリアンを次の皇帝に選びます。
マクシミリアンはハンガリーと戦って勝利し、オーストリアをハプスブルク家本家の領地とし、帝国最大の勢力となります。
さらに商人のフッガー家に鉱山の採掘権を与えて、資金源も確保します。フッガー家は皇帝との関わりから、教皇とも関わり、後の贖宥状販売にも関わります。

☆スペイン王家との婚姻
ここでスペイン王家との二重結婚の縁組をします。スペイン王は、オスマン帝国やフランスとの争いを見越して、戦える皇帝と手を結んだわけです。
ネーデルラントにいた皇帝の息子にはスペイン王女が嫁入りし、孫のシャルルが生まれます。また皇帝の娘がスペインに嫁入りし王太子妃となりました。が、スペイン王太子が病死し、子供が死産だったため、結局スペイン王の地位は、マクシミリアンの孫のシャルルが継承することになり、スペイン王カルロス1世となります。(シャルルのスペイン語読みがカルロスです)

マクシミリアン1世は1519年に病死しますが、孫のカルロス1世を皇帝にするように遺言します。この選挙では、フランス王フランソワ1世も立候補しますが、フッガー家から資金を借りまくって、ハプスブルク家が勝利します。
こうして、スペイン王カルロス1世は皇帝カール5世となります。(シャルルのドイツ語読みがカールです)

●カール5世(在位1519~56年)、《スペイン王も兼ねた最強の皇帝》
父方からはネーデルラントとオーストリア、母方からはスペインを相続し、史上最大の領土を誇る封建領主となり、フッガー家からの資金で選挙にも勝ち、皇帝に即位しました。が、早々に、ルターの起こした問題への裁判をする羽目になります。
そして宗教改革の混乱に散々悩まされることなりますが、スペインは圧倒的なローマ教会支持ですので、ハプスブルク家はカトリック教会擁護の最大勢力となります。
というわけで、選帝侯のうち、3聖職諸侯はカトリックですので、ハプスブルク家を支持し、後にベーメン(ボヘミア)王の地位もハプスブルク家が確保して、以降は安定してハプスブルク家が選挙に勝ち、実質的に世襲となります。

↓詳しくはこちらをどうぞ。
「ハプスブルク家とは何ですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111805824...

har********さん

2018/9/519:39:54

この本を読んでください 講談社現代新書1017 ハプスブルグ家 江村洋 先の回答者さんの意見は全部(はるかに詳しく)出ています。

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