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真珠湾攻撃ってなんでやったんですか?アメリカにハルノートを突きつけられたから...

ags********さん

2018/9/620:18:41

真珠湾攻撃ってなんでやったんですか?アメリカにハルノートを突きつけられたからって別に無視して支那の侵攻を続ければ良かったじゃないですか。それでアメリカが攻めてきたら、自衛の戦争をすれば良かったんですよ

。それを真珠湾奇襲なんてやったら完全に日本が悪者じゃないですか。当時の指導者はどう考えてもおかしいと思いませんか?

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cel********さん

2018/9/1313:37:55

真珠湾攻撃の前から、日本は国際社会で(日中戦争を理由として)侵略国として認定されていました。(『真珠湾攻撃をしたから悪者認定された』のではないです)

また、1941年7月2日の御前会議で決定した南部仏印進駐を米国に事前通告したら、米国は石油禁輸を含む強力な対抗策を示唆して来たにも拘らず、かつ、実は政府&軍首脳の本音では(アジアの英国植民地を取る)「対英限定戦争」の決意しか共有されていなかったのに南部仏印進駐を実行してしまい、警告通り石油禁輸を受け、

そのままだと、石油備蓄は減り、米国の軍部増強は進むだけのジリ貧

という状況に陥ってしまった為に、自分から先に戦争を始めるしかなくなった、って事です。

そのままジッとしていれば、いずれ石油が尽きて日中戦争も当然ながら負けで終るので、米国からすれば戦争せずに目的が達成される、ってだけの事です。
米国の要求通り、日本が中国から撤退する(=端的に言えば“実質負け”で終る)形で日中戦争をやめる決断が出来ない(陸軍にとっては、海軍が「米国には勝てないから戦争は勘弁してくれ」とでも言わない限り、メンツ上絶対に受け容れられない)当時の指導部からすれば、先に開戦するのは『それしかない』とも言える選択肢でした。

ですから、『指導者はどう考えてもおかしい』と言うのならば、それは、その時点では「それが一番マシに思えた」決定が実は裏目に出る、というのを繰り返して行った、その時々の指導者の問題です。



一体何を根拠に?、と質問者の方が考えられた場合の為に、根拠史料を挙げますが、全部挙げると文字数制限に引っ掛かるのは間違いないので、あまり「有名」でないもののみにします。
長くなるので読んで頂くかはご自由にどうぞ。

日本への経済制裁が国際連盟で(一応は)決まったのは、1938年9~10月です。

この時は、中国が(既に日本が国際連盟を脱退していた為) 非加盟国との紛争の調停に関する国際連盟規約第一七条の適用を求め、国際連盟が十七条にある非加盟国である日本を事情調査などの為に勧誘し、それが拒否された事を受けて、日本を国際連盟規約第十六条にある制裁の対象としたものです。因みに、一六条の一は『第一二条、第一三条又ハ第一五条ニ依ル約束ヲ無視シテ戦争ニ訴ヘタル聯盟国ハ、当然他ノ総テノ聯盟国ニ対シ戦争行為ヲ為シタルモノト看倣ス』ですので、理屈上は、日本は(かつては自ら制定に参加した国際連盟規約通りの手続きで)、国際連盟加盟国全体にとっての“敵国”として認定された、という事になります。

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫で見られる大阪朝日新聞の1938年11月3日付の『連盟と協力を終止 帝国、正式に通告す』という記事には、政府情報部長談として、

~~

昨年支那事変発生し九月十二日支那側がこれを連盟に提訴して以来総会および理事会は帝国の対支行動を九国条約および不戦条約違反と認定し支那に対する精神的援助を約するとともに連盟国に対し個別的に対支援助を勧奨し、またわが軍の無防備都市空爆や毒ガス使用を云々し帝国を非議する諸決議を採択したが今秋の理事会はさらに支那側の要求を容れ規約第十七条を支那事変に適用し遂に九月三十日同条第三項により各連盟国は帝国に対し規約第十六条所定の制裁措置を個別的にとり得との報告を採択するにいたった、

~~

とあります。

もっとも、この理屈上の『敵国認定』の時点では、制裁措置を加盟国の義務として課すかについて多いに紛糾し、『各国の自由において適用しうる』という議長報告を採択する形になりました。

この「侵略国」認定後も日本は(その理由になっていた)日中戦争を終らせる事が出来ず、米国による経済制裁が(さして実害のないものから)始まったぐらいの時点で、ちょうど欧州で英国が絶対絶命のピンチだったので、対英限定戦争を(一応は)国家方針として決めました。1940年7月27日の大本営政府連絡会議で決定された『世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱』が、国立公文書館アジア歴史資料センターのwebで公開されています。(レファレンスコードC12120237300)

この『世界情勢の推移に伴ふ時局処理要綱』の

~~

第三条 対南方武力行使に関しては左記に準拠す
一、支那事変処理概ね終了せる場合に於ては対南方問題解決の為内外諸般の情勢之を許す限り好機を捕捉し武力を行使す
二、支那事変の処理未だ終らざる場合に於ては第三国と開戦に至らざる限度に於て施策するも内外諸般の情勢特に有利に進展するに至らば対南方問題解決の為武力を行使することあり
(三は省略)
四、武力行使に当りては戦争対手を極力英国のみに局限するに努む
但し此の場合に於ても対米開戦は之を避け得ざることなるべきを以て之が準備に遺憾なきを期す

(以下省略)

~~

…は、

・まずは、日中戦争の解決が優先
・日中戦争が解決したら(=蒋介石政権を屈服させたら)、状況が許す限りはチャンスを捉えて南方に武力進出する
・日中戦争が終わらなくても、状況が特に有利になれば南方への武力進出はありうる

と言う事ですね。

但し、南方での武力行使の相手は極力英国のみに限る、って事になっていました。
『対米開戦は之を避け得ざることなるべきを以て之が準備に遺憾なきを期す』(対英戦争が対米戦争を不可避にするかも知れないから、準備はしっかりしておく)と言って居るのは、陸軍の中には『英国の東南アジアの植民地を日本が奪っても米国は対日戦には踏み切らない』と言う英米可分論が強く、海軍の中には逆に『対英戦は対米戦につながる』と言う英米不可分論が強く、その意見対立がこう言う形の“作文”になったものです。

実はこの対英限定戦争の方針を、その「可能性」は松岡外相は政府の広報誌や記者会見での発言で大っぴらに匂わせていました。

政府広報誌「週報」の第199号(1940年8月7日付)の記事『皇国外交の指針(松岡洋右)』(アジ歴レファレンスコードA06031036100の5/30)から一部引用します。

~~

日満支をその一環とする大東亜共栄圏の確立に南洋の含まれてゐることは言うまでもありません。
従来、我が国は欧州戦争に対しては不介入の方針をとって参ったのでありますが、この方針については差当り変更を見ることは無いものと考えます。ただ今後の形勢如何に依っては、これを放棄するの已むなき事態に立至ることも予想されるのでありまして、従って我が国の外交方策はあくまで国際的大変局を達観し、建設的にして、弾力性ある施策を講じなければならぬのであります。

~~

南洋を含む大東亜共栄圏の確立を唱えた上で、『欧州戦争への不介入方針』が『今後の形勢如何に依っては、これを放棄するの已むなき事態に立至ることも予想される』というのは、欧州戦争に介入するかも…、という意味ですね。当時は、ドイツがノルウェー・デンマーク、ベネルクス三国、フランスを短期間の内に占領し、いよいよ英国を屈服させる為の戦いが始りそう、そんな欧州の状況でした。日本の立場は、日独伊防共協定を結ぶドイツに近いのは明らかで、一方中国問題で蒋介石政権を支援している英国とは対立関係にありましたから、日本が介入するとしたら、ドイツ側に立つと考えるのが当たり前ですし、介入するといっても、日本の目的が遥々欧州まで軍隊を送ってドイツと一緒に戦うというよりは、アジアの英国植民地をとるのがメインだろう、と考えるのも当たり前です。つまり、「日本は英国のアジア植民地を取っちゃうかもね…」と外相自身が政府広報誌で匂わせていた、という事です。

そしてその年の9月下旬に日独伊三国同盟が締結されますが、これは「”大東亜”はは日本の勢力圏である」事を独伊に認めつつ、米国に対して「日本と戦争すれば独伊も含む世界戦争に米国は巻き込まれるぞ」といわば「脅し」たものですね。

三国同盟締結を決める御前会議では、伏見宮海軍軍令部総長の『この同盟で、対米関係が悪化し最悪戦略物資の禁輸を受ける恐れがあるが資源は大丈夫か』とか、原枢密院議長の『これ迄米国は日本がドイツと手を結ばないように自制してきたのに、三国同盟で関係が更に悪くなるのでは?』みたいな質問が出たのに対して、

~~

今や米国の対日感情は極端に悪化しありて僅かの気嫌取りして恢復するものにあらず。只々我れの毅然たる態度のみが戦争を避ぐるを得べし。

~~

と答えています。(アジ歴レファレンスコードC12120181500の41/50)

つまり「米国との関係は悪化しても、強気に出る事が対米戦を避ける唯一の方法」と松岡は言っていました。

南部仏印進駐については、大本営陸軍部戦争指導班の機密戦争日誌から引用します。

アジ歴C12120318700の中の昭和16年7月24日分

~~

連絡会議開催せらる
外相南仏進駐に対する米国の動向に就き資金凍結、石油禁輸等強硬態度取るべきを発言す。
野村大使よりの電「ヒステリック」なるに一驚せるならんか 当班右不同意
外相逐次本性を発揮しつつあり
警戒を要す

~~

C12120318800の中の7月25日分

~~

一、軍務課長全面禁輸絶対なりとして南方武力進出案を提議し来る。
(中略)
陸軍省は南方必至を強調す。二、三日中に全面禁輸あるべしと、是れ当班と意見を異にす。
二、米大統領今迄日本に油を供給したのは南太平洋の平和を欲したるに在りと演説す
「日本の南進に依り今や遂に平和は破る全面禁輸も已むなし」と云うが如き口吻なり
当班仏印進駐に止まる限り禁輸なしと確信す
(以下略)

~~

同じ陸軍内ですら、米国の警告の受け止め方が「本気VS脅し」という相違があった、という事ですね。

こうして「対米戦の決意が共有されていないまま」南部仏印進駐を実行し、事前警告通り禁輸を受けてしまったが、今更後には引けず、さりとてジリ貧も堪えられず、結局、勝てる気が殆どしない対米戦に突入しました。

質問した人からのコメント

2018/9/13 20:54:14

勉強になりました。しかしなんとも言えない、結局真珠湾攻撃は正しかったのか間違っていたのか?歴史は残酷ですね

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pop********さん

2018/9/1312:21:05

>>真珠湾攻撃ってなんでやったんですか?

当時、欧州ではナチスドイツが破竹の勢いで進撃していました。
日本政府はアメリカではなく、ドイツこそ戦後世界で覇権を握る存在だと認識したのです。いわゆる「バスに乗り遅れるな」というやつです。
日本は勝ち馬に乗る形でアメリカとの開戦を決断し、真珠湾奇襲作戦もドイツの成功に依存していました。
真珠湾の太平洋艦隊を潰して、一年間アメリカ相手に粘っていれば、ドイツがイギリスとソ連を倒してアメリカを屈服させると楽観視していたのです。

しかし、日本の開戦直後にドイツはソ連に惨敗。イギリスも反撃を開始し、ドイツは一気に劣勢に追い込まれます。
日本政府が後悔した時には全てが手遅れでした。

アメリカよりもドイツが強いと勘違いした結果が真珠湾奇襲です。



>>アメリカにハルノートを突きつけられたからって別に無視して支那の侵攻を続ければ良かったじゃないですか。

まず日本がハルノートを受け取る一日前に、真珠湾へむけ南雲機動艦隊が出撃しています。真珠湾攻撃自体、日米交渉が始まる前から周到に準備が進められていましたし、1940年9月の御前会議では米英との戦争も辞さないと決定しています。
そして、正式に開戦が決まったのが1941年11月です。

日本はハルノートで追い詰められて真珠湾奇襲を決行したわけではありません。
そもそも、真珠湾奇襲のような大規模な軍事行動は何年も前から準備しなければ、実施できません。日本政府にとって対米戦は既成方針です。


>>それでアメリカが攻めてきたら、自衛の戦争をすれば良かったんですよ

まず当時のアメリカは日本に関心がありませんでした。
アメリカが潰したかったのはナチスドイツであり、対日用の海軍予算を凍結して1000万の陸軍を動員して欧州に送る準備を進めていました。
当時の一次資料をみれば真珠湾陰謀論が嘘だということは一目瞭然です。

そんな時、日本がナチスと同盟を結び極東地域での侵略行動を繰り返すようになりました。
アメリカは自分が欧州に遠征している隙に、日本が背後を脅かすことを恐れ、経済制裁に踏み切ったのです。

よくある誤解なんですが経済制裁は戦争を止めるための手段です。物資を止めて侵略国の軍事行動を抑止する。それが経済制裁の趣旨です。現在、北朝鮮に実施している経済制裁となんら変わりません。
大戦時のアメリカは日本だけでなく、エチオピアに侵攻したイタリアやフィンランドに侵攻したソ連に対しても経済制裁を実施しているので、日本のみが標的にされたわけではないのです。

アメリカからすれば経済制裁を実施すれば、日本は引き下がると安心していました。
その油断を突かれたのは真珠湾奇襲です。
太平洋戦争序盤でアメリカが劣勢だったのは、経済制裁で日本を止められると楽観視し、海軍予算を凍結していたのが原因でした。
もし、アメリカが最初から日本を潰す気なら、海軍予算を拡充して大艦隊を作り上げ、真珠湾奇襲など返り討ちにしていたでしょう。
よってアメリカから攻めてくることはありえません。

kai********さん

2018/9/1301:38:43

当時の日本は軍部の暴走で、世界中に
戦争を吹っかけまくっていました。
これを止めさせようと米英が考えて
石油の輸出制限などを宣告したのですが、
これに逆切れした日本軍が無謀にも
米国への戦争を始めたのが真珠湾攻撃です。

自衛がどうの、国際法がこうのと右翼は
言い訳しますが、戦争の勝敗はおおまか
物量で決まります。日米でのガチ戦争など
無謀以外の何物でもありませんでしたね。
その意味では”おかしい”です。

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kou********さん

2018/9/1301:27:16

真珠湾攻撃の時は、日本政府は狂っていましたね・・・!

sup********さん

2018/9/1301:07:57

>>真珠湾攻撃ってなんでやったんですか?

不当な経済封鎖を受けて国家存立危機事態になったから、やむを得ず自存自衛のために宣戦布告した。本来自衛戦争の場合、宣戦布告は必要ないけどね。


>>アメリカにハルノートを突きつけられたからって別に無視して支那の侵攻を続ければ良かったじゃないですか。

ハル・ノートの前に既に不当な経済封鎖を受けて国家存立危機事態になってた。
経済封鎖の解除が約束されてないため、無視できない。
そもそも日本は北京議定書に基づき支那に軍隊を駐留できる権利を有してた。
国際法上は合法だから最初から侵攻する必要がない。
支那に軍隊を駐留させていたのは、日本以外に米国、英国、仏国、伊国など。
米国と英国は軍隊駐留だけでなく1927年に軍事行動もとっていた。
詳細は1927年南京事件を参照してくれ。


>>それでアメリカが攻めてきたら、自衛の戦争をすれば良かったんですよ

経済封鎖は戦争行為。
英米から不当な経済封鎖を受けた時点で自衛の要件を満たしてた。
だから真珠湾攻撃は自衛の一環でもある。


>>それを真珠湾奇襲なんてやったら完全に日本が悪者じゃないですか。

日本の立場では真珠湾攻撃は自衛になるためパリ不戦条約に違反しない。
国際法上は合法である。
悪いのは日本に対して不当な経済封鎖をして追い詰めた米国や英国など。


>>当時の指導者はどう考えてもおかしいと思いませんか?

思わない。
日本は不当な経済封鎖を受けたにも拘らず、日米戦争を回避しようと一生懸命努力した。しかし米国は回避する気が全くなく、最初から日本と戦争をやる気だった。
米国は真珠湾攻撃の情報も事前に入手できていた。
日本は自存自衛とアジア解放のために自衛戦争をしただけ。
自衛戦争はパリ不戦条約で容認されている。

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ava********さん

2018/9/1220:13:52

待っていれば石油の貯蓄量が減っていくだけです。
一滴の石油も無くなれば、飛行機も軍艦も動けず日本は何の抵抗もできません。
また当時は、ロンドン軍縮会議の決定が有効で各国の軍艦保有量が均衡を保っていました。アメリカが絶対的な国力によって、軍事力を増すことができたのは開戦の1年後です。日本にとって戦争に突入するのであれば早ければ早い方が良かったのです。

ルーズベルトは「日本に先に手を出させ、アメリカの被害が最も少ない方法」の会議を開いていました。開戦は時間の問題だったのです。
あなたは日本の輸入品が食料まで止められ、数百万人の餓死者が出るまで我慢するべきとでもいうのでしょうか?

当時のアメリカ人(議員)でさえ、「ハルノートの提出を知っていれば、戦争の開始に賛成などしなかった」と語っています。
アメリカでは大統領に開戦する権限はなく、議会の賛成が必要でした。ルーズベルトは賛成を得たいためにハルノートの存在を秘密にしたのです。アメリカ人でさえ、ハルノートのようなものを日本に渡せば戦争が必然と理解していたのです。

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