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関ヶ原の戦いを起こし、豊臣政権を徳川家康から護ろうとした石田三成は「義の人」...

kok********さん

2018/9/808:17:28

関ヶ原の戦いを起こし、豊臣政権を徳川家康から護ろうとした石田三成は「義の人」と称されることが多いのに対し、織田信長の死後、

羽柴秀吉の台頭に対し「天下はもともと織田家のもの」と正当性を主張して対抗した織田信雄と、それに助力した家康は「義の人」と扱われることはないですよね。これはどうしてでしょうか?

歴史好きな方、詳しい方、質問につきあってくれるとうれしいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

nao********さん

2018/9/1314:11:32

そもそも石田三成も織田信雄も德川家康も「義の人」ではありません。

織田信雄が羽柴秀吉に対抗したのは、織田家のために(自分のためにもなる)戦ってくれていると思っていた秀吉が徐々に織田家に圧力をかけてきたことに対する反発です。三法師の後見役として安土に入ったはずがすぐに秀吉に追い出されたりしています。
その頃には家老衆が秀吉になびいており、後に信雄は彼らを処刑しています。それほど、秀吉からの調略は進んでいた状況でした。
信雄は徳川家康を頼りますが、もちろん突如頼ったわけはなく、家康からの事前のアプローチがあったはずです。「一緒に羽柴と戦いましょう。私は信長公時代からの織田家の同盟者であり、これからもずっとお味方ですよ。秀吉は織田家を滅ぼして自らが天下人になる気です」と。もしかすると信雄を焚き付けたのは秀吉ではなく家康の方だったのかもしれません。

そんな事を言う人間が「義の人」なわけはありません。義では家臣・領民は飢えてしまいますし滅んでしまいます。信雄も家康も自家を守るために「織田家」「正当性」という大義名分を掲げていただけです。大義なく戦争を起こす事は当時でも良くない事だ、という認識は持たれていました。地域の地侍や寺社、周辺大名の協力を得るためにも、大義名分というのは非常に大事なのです。

信雄は「阿呆」と当時から言われていましたし、家康は後に豊臣家を滅ぼしますので結果的に「義の人」という枠には入らなかっただけです。仮に家康がいなければ別の大名が豊臣を滅ぼしたと思いますけどね。


石田三成が「義の人」というのは、近年のゲームの影響です。また、関ヶ原の首謀者である、豊臣家を牛耳ろうとした等の話も江戸時代の創作です(直江兼続もゲームの影響でしょうか)。
石田三成の実態は有能な官僚であり、地方大名の頼りになる申次です。徳川家、関ヶ原で勝った大名、負けたが許された大名が都合よく三成を悪く書いただけです。

質問した人からのコメント

2018/9/14 21:43:35

回答してくれた皆様、ありがとうございます。しかし、正直に言いますと今回は少し腑に落ちません。信雄は秀吉の力を借りていて一貫性がないという意見が多かったですが、三成(というより奉行衆や豊臣政権)も家康の力を借りています。「正当性」という大義名分があるというところで信雄と三成は共通していますので、三成を義の人とするならば、信雄も義の人とすべき(あるいはどちらも義の人としない)ではないでしょうか。

ベストアンサー以外の回答

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lel********さん

2018/9/1419:22:09

石田三成の場合はともかくも筋を通してるからでしょう。
彼は最初から最後まで秀吉・豊臣家の配下としての立場を貫いています。秀吉自身が不義理であろうが、三成自身は配下としての道を貫いたからこその評価でしょう。

関ヶ原の戦いは豊臣家内の内紛という見方もできますが、これを契機にして徳川の天下に移った結果からすれば、どうしても豊臣VS徳川です。西軍総大将の毛利輝元が大坂城に入ったことも西軍は豊臣方という名目が立ちます。ですから、その首謀者であった三成は正統な豊臣方だったわけです。

仮に関ヶ原で西軍が勝利して石田幕府のようなものを開いていれば、彼が義の人と称されることは無かったでしょう。幸か不幸か三成は敗死したので、彼の生涯は"豊臣家のために尽くしたという形"で終わったことになり、故に義と称されたのでしょう。


織田信雄は確かに織田家相続の資格がありましたが、本能寺に際して明智方と一戦も交えずにいたり、家康を巻き込んで小牧・長久手の戦いを起こしていながら独断で秀吉と講和してしまうなど、どう見ても義やら節度やらをわきまえているとは言いがたい。その後、豊臣家に仕えましたが、大坂の陣の直前に徳川に鞍替えする辺りも、功利的でこそあれ義という評価には全く繋がらないでしょう。


家康については論外だと思います。彼が義の人であると評価する人間はいないんじゃないでしょうか?家康は偉大な存在だと思いますが、忍耐とか、政略能力であるとか、そういう面での偉大さだと思います。

ysm********さん

2018/9/812:56:55

小牧・長久手って
清州会議の延長戦
みたいなモンという風に
考えています

pea********さん

2018/9/812:00:00

まず秀吉に織田家殲滅の意図がなかったこと。
信雄は賤ヶ岳で秀吉に味方したこと。

突如、「織田家を守る」という趣旨のことを主張し、本能寺の変の後、甲斐・信濃の織田領に侵攻していた家康と同盟。しかし、戦局が悪くなると家康に無断で単独講和。

その家康自体も、桶狭間で今川方先陣でしたが、今川義元が討ち取られると織田家と同盟します。

信雄・家康には一貫性がありません。「義の人」ではなく、たぬきとかがせいぜいでしょう。

gwt********さん

2018/9/810:25:52

負ける者、
滅ぶ者こそ美しい、と感じるのは
日本人特有の考えかた。

判官びいきってヤツ。

特に政治的敗者に対し、
鎮魂の意味も込めて「美化」することは
歴史上連綿と続いている。

神様になった「菅原道真」。
美男子だと言われた「源義経」。
やあり美男子で建の達人と言われた「沖田総司」など
多数。

ski********さん

編集あり2018/9/809:43:21

自分、子どものころから、石田を義理の化身のような扱いをする創作などかけらもみたことがない。

ゲームに毒されたオタクだけです。

信雄は安土を失火で焼いたのがよくありません。中に女子どもがいるかもしれないのに、不注意です。

家康は結局豊臣と共存せず一人残らず亡ぼしていますから、言われるわけないでしょう。

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