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院宣と院近臣、知行国制度について教えて下さい。

chi********さん

2018/9/1306:54:57

院宣と院近臣、知行国制度について教えて下さい。

院宣は上皇からの命令だそうですが、この上皇とは治天の君のことを指しますか。
それとも、上皇だった人全員を指しますか。


院近臣で院司になった人の職務はなんですか。


教科書では知行国、院分国の公領は、知行国主や上皇、国司の私領のようになった、と書かれていますが、知行国主、上皇は遙任みたいなものだったんですか。

また知行国、院分国でも中央に収益は入るんですか。

質問が多くてすみません。

読解力がないのか教科書を読み解くのに時間がかかります。

回答よろしくお願いします。

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ban********さん

2018/9/1318:06:27

「知行国」という制度が生まれた背景には、「荘園」の増加と「国衙領」つまり公領の減少、があるようです。
国の税収は、「公田」つまり国が所有する農地からの税金です。ところが、平安時代も進むと、高級貴族や大寺社の、「荘園」がどんどん増えていき、公田はどんどん少なくなっていきます。高級貴族の荘園は「不輸不入の権」をもってますので、ここからの税収は直接、貴族個人のもとに入ります。政府高官(関白や大臣たち)の個人収入は増えるのに、国の収入は激減、という、困ったことになっていきます。
本来、貴族は朝廷で官位官職をもらって仕事をすれば、それに見合った給料(のようなもの)が出るはずでしたが、国が財政危機で、それが払えなくなってしまったのです。
荘園からの収入がある高級貴族は別にかまわないのですが、中級以下の貴族はたまりません。そこで、摂関家などの家来になって、そちらから収入を得るようになります。「公務員」のはずが、実質上は「関白家の私的な家来」のようになってしまうわけです。
「受領は倒れるところに土掴め」というくらいで、平安時代、中堅貴族にとって、国司(=受領)になるのは、おいしい仕事でした。京都から離れなければならない代わりに、その国の徴税権を持ち、取った税金のうち国庫に納める一定額を除いたぶんを自分で貰うことができるからです。
やがて、受領が自分で土地を開発したり公領を取り込んだりして荘園領主になってしまい、最後は「京都に帰ってもいいことがない、土地は持って帰れないし」とばかりに土着してしまいます。これが「武士」です。
平安時代も進むと、地方に新たに国司として赴任してくる受領にとって、「公田」は激減してはいますが、税を取る先がなくなってしまったわけでもないんです。大貴族の「荘園」から税を取る仕事も代行するようになるし、権限を利用して自分で土地をさらに開墾して領主になることもできます。依然として国司(受領)は「オイシイ仕事」です。
しかし、そのオイシイ仕事にありつくためには、人事権を持つ高級貴族に取り入り、実質上の家来になることが必要です。高級貴族たちは、朝廷でも発言力の割合に応じて、自分の家来から国司を任命させるわけです。
こうした実態が進むと、平安末期には、「もう面倒だから、どの国とどの国の国司任命権は誰、と公に認めてしまおう」ということになったのです。こうなると、受領のポストを与えた子分を通じて、その国からの収入はまるごと親分のもとに集まるわけですから、実質的に国を「領地」として与えてしまうのと同じです。これを「知行国」、この制度を「知行国制」というわけです。
自身が国司になるのとは違って、知行国には赴任する必要は全くないので、複数国を同時に知行国としてもらうことも可能です。たとえば京都で左大臣をやってる者が、三カ国を知行国として貰えば、三人の家来を国司に任じて地方に行かせて、自分は京都にいながらにガッポリ収入を取れるわけです。
院(上皇)が、おきにいりの貴族や武士、味方につけておきたい大寺院に、褒美を与えようとします。そのとき、自分の手持ちの荘園を与えてしますと自分の腹が痛みます。でも「知行国」を与えれば、これは国の徴税権をやっちまうということですから、自分の懐は痛まないわけです。
さらに、上皇が自分でもそういう収入源の国を設定すれば。それが「院分国」になります。お手盛りです。
地方からの収入は、中央に送られます。ただし、その「中央」というのは、知行国主や院「個人」のことで、「国」の公の財政には入りません。当然です、そういう制度なんだから。
上から下まで利権のカタマリ、国は破産でも貴族は富豪、っていうのが「知行国制」の日本です。
こんな体制が、いつまで続くでしょうね。
鎌倉に武家政権ができて、ガラガラと朝廷が崩れていくのは、もう目に見えています。

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met********さん

2018/9/1312:54:49

院の近臣の一部が院司になるのではなく、院司の中の重要な地位にいる者が院の近臣です。院の近臣は上皇の意に沿って文書を作成したり、上皇に助言したりします。

知行国主は知行国の国司を任命したり、知行国の税の使い道を決める権限を持っています。
知行国主は国司よりもさらに上の地位で国司を任命するだけなので現地にはいきません。

税収が中央に来たかどうかはすみませんがわかりません。

ただ当時公領が著しく減っていたことなどを考えると中央に送っていたかどうか。
税を現地で使って知行国主のための荘園開発をさせたのではないでしょうか。

院分国は税収がまるまる院の収入になったようです。

knz********さん

2018/9/1310:11:16

上皇(法皇)の家政組織として院庁があります。この運営員として院司(長官が別当)がいます。上皇が家政運営上で発給する文書が院庁下文と、簡略化した院宣です。院政期に限りませんが、上皇は複数存在することはあります。各上皇がそれぞれ院庁下文・院宣を発給します。院政となると、「治天の君」となった上皇が国政の主導権(とりわけ人事権)を掌握します。そこで、院庁下文・院宣が国政上に影響力を持ちます。院司は院の日常的な家政運営、とりわけ所領管理を行ない、これのため院庁下文・院宣を起案して署判して発給事務を行ないます。

院近臣は本来は院司として上皇に仕える者です。院に近侍していますから、院政期に入ると、院近臣は国政上にも上皇を通じて影響力を持つようになります。もちろん上昇志向を持った者は治天の君の回り集まってきて、院近臣となろうとしますが。

院分国・知行国とは守補任の推薦権をえた国のことです。この推薦権を得た者を知行国主といいます。知行国主は近臣・家人を推薦して国守とします。国守は従来通りに徴税請負人として一定の税を京の朝廷に納入する義務を負っていますが、徴税額は自身で決められて、この差額から国衙の運営費を除いたものが収入となります。但し、朝廷から直接補任された国守(非知行国)と異なり、その収入の多くは知行国主に納める必要がありました。すなわち、知行国では知行国主が最大の収益者となります。

nic********さん

2018/9/1309:15:51

院宣は院庁が出した宣であり、全ての院が家政機関として院庁を持っていました。治天君の出した院宣だけが極めて大きな影響力を与えていたのです。
院司の仕事は様々。院庁で事務仕事をする人、荘園の管理をする人など色々です。
知行国についてですが、一般の貴族が知行国主であれば、官物と呼ばれた税を朝廷に納める義務がありました。皇族の場合、院宮分国制という知行国制の元になった制度が適応され、こちらは官物を納める義務はありませんでした。

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