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戦国時代の上洛について。 戦国時代に、各地の大名は上洛を目指したとかいう記述...

ica********さん

2018/9/2922:45:06

戦国時代の上洛について。
戦国時代に、各地の大名は上洛を目指したとかいう記述が教科書にあったんですが、これって京都に近い大名の方が有利に上洛できませんか?ましてや京都を支配していた

大名は上洛という概念はあったんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

上洛を目指したのは極一部の大名
ほとんどは領土の切り取りで忙しいです

朝倉なんか足利義昭に上洛を頼まれても
スルーでしたし

京都を支配した大名
三好や松永のことかな
まぁ 彼らは上洛という概念はあったでしょうね

質問した人からのコメント

2018/10/1 10:38:59

アイコンがすごいインパクトだったので、ベストアンサーに選びました。ありがとうごさまいます。

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met********さん

2018/9/3011:04:26

ええと、まず常識ある大名は上洛を目指しません。

当時、戦国大名が上洛するとは、無償の行為として将軍を助けて幕府を建て直すことです。

あまり成功確率は高くないし、代償が大き過ぎます。

たとえば近所に怠け者の浪人生がいるとして、あなたは会社をやめてその子の無償の家庭教師になりますか?
まず奥さんが反対しますよね。
子供達も親父バッカじゃないの、とそっぽを向きます。
奥さんは子供をつれて実家に帰っちゃいます。
いや、あなたの方が家を追い出されます。

戦国時代にこの無償のボランティア活動をやったのが、山口の大内氏です。
その結果どうなりましたか?

家臣達は京都に進駐している間に敵に攻め込まれたり、所領を親族に奪われたり、家来が分離独立したり、舎弟に家を乗っ取られたりと、散々です。

毛利元就の兄も大内に動員されて何年も都に留まり、あげくボロボロになって帰ってきたのではなかったでしょうか。元就が兄の後を継いだのって綺麗事ばかりじゃないでしょ?

お屋形様に愛想をつかした家臣達は、女房役の陶隆房のほうに付き、大内は追い出されるどころか滅ぼされてしまいました。

三好は中央政治にかまけて地元阿波を顧みない細川をクーデター的に追い出した国家老です。その三好も中央政界に足をとられているうちに松永にやられる。

義昭が頼ったとき朝倉が腰をあげなかったのもそういう理由でしょう。

そんな物好きは信長だけでした。

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2018/9/2922:57:18

当然、京に近い大名の方が有利ですが、全ての大名が上洛を目指した訳ではありません。

地元での地盤を強化し、自家の存続を第一にした大名の方が多かったでしょう。

kot********さん

2018/9/2922:55:42

京都を支配していた 大名って 誰の事
支配などした人はいないし
屋敷だって京都の中には入りませんよ

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