ここから本文です

明治維新は下級藩士たちが起こしたとされていますが、なぜそれが昭和の時代になる...

bun********さん

2018/10/1103:17:52

明治維新は下級藩士たちが起こしたとされていますが、なぜそれが昭和の時代になると財閥に牛耳られて551事件や226事件、

果ては第二次世界大戦までと当時の明治維新の担い手であろう層は没落していったのですか?

また岩崎家などの財閥はどうやって短い間に勢力を伸長させたのでしょう?
英仏と違って日本の産業化はトップダウンによって計画経済的に行われたという認識だったのですが、それなのに財閥なる資本家が戦前にはあそこまで強い力を持ったのには何かワケがあったのでしょうか?

補足515事件を打ち間違えました

閲覧数:
124
回答数:
7

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

bot********さん

2018/10/1110:31:41

実は財閥はそんなに強くないです
強いなら戦争は起きません、だって財閥の取引相手は「豊かな英米」ですから
実際阪急財閥の小林一三は、岸信介や軍部を批判しています
計画経済的になるのはむしろ30年代後半以降です
最たる例が39年の国家総動員法と日本電力発送電設立ですね
財閥系の電力会社は事実上、資産を接収させられました

それはさておき
財閥の力の源はやはり金融、銀行や保険ですね
産業にはお金が必要
なのでお金を持っている銀行や金融を掌握する財閥は融資という形で財界に大きな影響力がありました
特に
世界恐慌などで一般ピープルは中小銀行に不安を抱え、財閥系の大銀行に資金を移しました

お次は
少し日本の官僚制について説明を
メリットシステムといいますね
つまり(高文などをクリアした)有能な新卒を組織に入れて、組織内で徹底的に育て上げる仕組みです
これだと比較的短期間にテクノクラートを育て上げることが容易です
事実、メリットシステムを採用したプロイセンドイツや日本は短期間に英米に(辛うじてですが)渡り合えるだけの国力(を支えるだけの人材)を確保できました
ここまではいいと思います
なので学力エリートがのさばる土壌があったわけです
今の日本だって、たたき上げの経営者が財務官僚になるなんて考えもできませんよね?
例えば本田宗一郎を大蔵省事務次官にするとか
アメリカの場合はスポイルズシステムといい、そうしたことが可能です
こうすることで官民の人材を入れ替え、組織の風通しを良くする効果はあります
デメリットとしてどーしても癒着の温床になりがちなのはあります
要するに情実人事、合法的コネ採用ですから
閑話休題
バーデンバーデンの密約がそうですが
つまり陸軍内部で何年も出世街道を歩いてきた連中が天下を取る
近代化のためにも人的資源を促成栽培する道を選んだ為、明治維持のようなある種の中途採用組を入れることを躊躇われたというのは指摘可能です

この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/6件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

mar********さん

2018/10/1513:34:55

いつの世であろうと、社会を牛耳るのは支配者層であって、それに反発するのが下層民です。
当然ながら、明治維新の担い手であろうが、一兵卒は最後まで一兵卒に過ぎません。従って、彼らは没落などしてません。現状維持です。

プロフィール画像

カテゴリマスター

zeu********さん

2018/10/1513:26:31

幕藩体制・封建時代の江戸時代と資本主義・近代の昭和時代では社会階層が違います。

比較対象できませんよ。

軍部の青年将校たちは自分たちを幕末維新の志士になざらえて昭和維新などと言いましたが、二二六事件では天皇に反乱者呼ばわりされて処刑されています。

計画経済というのは社会主義経済のことです。
日本は社会主義を導入したことはないです。

明治政府は資本主義の移植を熱心にやりましたよね。
資本主義の基本というのは、自由放任でした。
国家はなるべく経済活動には介入しないというのがアダム・スミスが唱える資本主義。

日本の財閥は自分たちの富を得るために(市場を独占するため)、政府や軍部との結びつきを強めていっただけです。

政府や軍はいわば財閥のカネの力に買収され、財閥は自分たちが肥え太っていったということです。
持ちつ持たれずの関係が資本家と政府が結託するのが独占資本主義。

その財閥の要請で海外植民地拡大に国家が動くことを俗に帝国主義といいます。

幕末には資本主義なんてないですからね。
戦国時代の社会経済に気が生えた程度の進歩しかしていなかったのが江戸時代。

昭和になると日本は立派な資本主義国家です。
この資本主義の悪しきところを正そうと、社会主義や共産主義の活動が活発化して、日本政府はこうした活動を『アカ』と呼んで弾圧しました。

ohx********さん

2018/10/1507:42:25

明治維新が1886年。太平洋戦争開戦が1941年。55年が経過してます。
封建制が消滅したので、国家運営を担う層が入れ替わるには、十分な年月です。

財閥が、クーデターや戦争の原因になったとお考えの様ですが、見当外れです。
むしろ、軍閥でしょう。
青年将校らは、一部の金持ちを敵視してました。

産業化がトップダウンで進められたのは、初期だけで、早い段階から自立しました。
そうでなければ競争力を失い、倒産するだけです。
産業を国が保護し続ければ、ソ連の様に国がなくなります。

資本家が力を持ったのは、既に資本主義社会だったからです。

その事は、現代と変わりません。

tlk********さん

2018/10/1209:14:30

岩崎弥太郎は土佐藩では地下浪人と言う郷士株を売って仕舞った身分の出身でしたが藩の重役に目を掛けられて出世して行きました。海援隊の土佐藩から派遣された会計監査官の役割も行っていました。(この時に海運業に付いて学んだと言われています。)
明治維新になると土佐藩の借財が莫大な金額になっている事に悩んだ藩の重役が借財全てを岩崎弥太郎に押し付けたのです。借財を引き受ける代償として土佐藩の財産を引き渡されています。(海援隊の所有船舶と土佐藩の船舶も含まれていました。)
引き渡された船舶で海運業を始めたのです。

nic********さん

2018/10/1109:44:27

>財閥はどうやって短い間に勢力を伸長させたのでしょう?
開拓使官有物払下げ事件や山城屋事件を見ればわかります。
モラルの欠片もない金の亡者である薩長人どもが国政を牛耳ったので、国を私物化して食い物にしていたんです。
薩長人なんかに国政を委ねるとこうなるんです。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる