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新田義貞は名門意識が強かったのですか?

風船猫さん

2018/10/3012:41:33

新田義貞は名門意識が強かったのですか?

閲覧数:
69
回答数:
2

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ベストアンサーに選ばれた回答

lit********さん

2018/10/3015:03:38

新田氏は足利氏に並ぶ血筋


一つには先の回答者さんも回答されているように
尊氏と対立した後醍醐帝によってほとんど無理やり作り上げられたもの

あるいは『太平記』という物語の中で
物語を面白くするために作り上げられた

そう解釈できると思います。


義貞の”義”の字

この字は河内源氏の通字ではあるものの
義貞の場合
尊氏の兄で先代の足利氏当主である高義の偏諱を受けてのもの
と解釈されています。

偏諱を受ける
これは実質的に臣従関係にあることを示していて
新田氏は足利氏の従属関係にあったんです。

足利氏は頼朝以来鎌倉殿や北条得宗と良好な関係を築いて幕府内で高い地位を保持し
経済的にも恵まれていました。

一方新田氏は頼朝から疎まれ
北条得宗と良好な関係を築くこともできなかったため経済的にも恵まれず
得宗に名前もまともに覚えてもらえないような忘れられた、末端の御家人でしかなかったんです。

それで同族であり本拠地も近い足利氏と従属関係を結ぶことで家を維持しようとしていて
両者は対等だとかというものとは程遠いものでした。

よく
血筋、家柄
などと言われますが
そもそも新田氏が足利氏の兄の家系

そのようなものはあまり重視はされていなかったと考えた方がいいと思います。

公家の頂点となっていたのは
摂関家と呼ばれる
藤原氏の中の北家の
御堂流と呼ばれる道長の子孫。

それに対して
南家の系統が
うちの方が北家の兄の系統
うちの方が藤原氏の嫡流である!
などと言っても無駄なこと。

頼朝以来の足利氏と新田氏の立場の差は歴然。

その実績の積み重ねが
家柄

それを背景にしているから
多くの武士が足利氏に従おうとし
新田氏に従おうとする武士は少なかったんです。

質問した人からのコメント

2018/11/3 21:38:14

皆さん、ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

nic********さん

2018/10/3013:05:55

新田の名門意識は、尊氏牽制のために後醍醐が意図的に煽って盛り上げたのだと思う。
鎌倉時代には普通に足利氏に頻繁に頼っていたし。

あわせて知りたい

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