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南北戦争の原因の一つは 北部と南部の通商政策の違いといわれていますが。

kai********さん

2018/11/514:35:58

南北戦争の原因の一つは 北部と南部の通商政策の違いといわれていますが。

北部は産業が未発達で保護主義を取る必要があった、一方南部は安価な綿花をイギリスに輸出するためには自由主義が必要だったというものです。奴隷を廃止すれば南部のプランテーション農業はたちゆかなくなり壊滅的打撃を受けるというものです。これだと南北対立の根本は 関税ということになると思います。南部は対英輸出品に関税がかかってほしくない、北部は保護主義で輸入品に高い関税をかけたい、だとすると 当時 イギリスからなにか関税について、市場開放すべきだとか 米国は圧力をかけられていたのでしょうか? 経済政策的にどうであったのかが知りたいので、南北戦争の目的は奴隷制度の廃止云々というご説明はご遠慮ください。よろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

oum********さん

2018/11/518:54:54

19世紀のアメリカの対外貿易というのはヨーロッパとの貿易が中心です。

そもそもどうして北部で工業が盛んになったのかというと、19世紀はじめのナポレオン戦争が原因です。
この戦争のときの、ナポレオンの大陸封鎖令とそれに対するイギリスの海上封鎖によってアメリカはヨーロッパとの貿易が一時的に途絶します。これによっておきたのがアメリカ=イギリス戦争ですね。
イギリスとも戦争状態になったことにより、アメリカにはイギリスの工業製品も入ってこなくなったため、それを補完する様に繊維業・造船業・製材業が北部で盛んになるのです。

その後、ヨーロッパとの貿易が復活した訳ですが、興ったばかりのアメリカの産業界は保護貿易を主張します。この要請に応える形でアメリカは1830年代まで高い関税をかける保護貿易政策を行います。

イギリスはナポレオン戦争後、もっとも進んだ資本主義国として「世界の工場」となるわけですが、経済的には自由貿易政策ですね。
この自由貿易主義によるイギリスの成功がヨーロッパ各国やアメリカにも影響し、各国の関税率は下がり始めるのです。
アメリカの関税も1830年代から徐々に下がり始め、南北戦争の直前まで下がり続けます。そういう意味では関税においては南部の主張が北部の主張を押さえ込んでいたんですね。

この関税率の低下が南部の綿花産業とイギリスの織物業の関係をより深くしていた訳です。

つまり戦争当時の世界経済は自由貿易がトレンドで、それに逆行しようとする北部という構造があったのですが、奴隷制との絡みもあってアメリカ国内では共和党のリンカーンが当選し、それに反発する南部諸州が連邦を離脱し南北戦争が始まるわけですが、リンカーンはすぐに1861年に関税を引き上げ、アメリカは1930年代まで保護貿易主義の国となります。

アメリカが自由貿易を主張する貿易大国になるのは第二次大戦後のことです。

  • 質問者

    kai********さん

    2018/11/520:32:58

    とても分かりやすく説明していただき感謝です。質問なんですがよかったら教えてください。そうするとイギリス全体としては南部と同じく自由貿易主義だとすると 南北戦争にイギリスが水面下で一枚噛んでいた可能性がありますか? 米国の関税が低ければ イギリス製品を米国に売りつけられるのでイギリスとしては対米貿易赤字を防げるという意味です。

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質問した人からのコメント

2018/11/10 13:59:37

勉強になりました!ありがとうございました! m(_ _)m~♥

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