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日本のキリスト教福音派について質問いたします。

アダリーさん

2018/11/1401:08:57

日本のキリスト教福音派について質問いたします。

1954~55年に文語約聖書(新約は大正改訳、旧約はそれ以前の明治訳)に替わって日本聖書協会から新しい口語訳聖書が出版されましたが、その訳に納得せず新たに新改訳聖書を作り、日本聖書協会の口語訳を用いることなく新改訳聖書を用いている人たちのことについてです。

彼らが口語訳を用いるのを肯んじなっかったのは口語訳は神への尊敬の念が表されていないとかだったと思いますが、具体的に何処がどういけなかったのでしょうか?具体的に説明いただけないでしょうか?

あとこの新改訳完成のためにアメリカの福音派が資金を出し、新改訳の著作権はアメリカが持っていたという話も聞きます。それは本当ですか?聖書の翻訳の著作権ってどういう意味があるのでしょう。

あと口語訳は1980年代に新たにカトリック教会を含めた新共同訳に取って代わられましたが、この新共同訳に対して新改訳を用いている人たちはなぜ参加しなかったのでしょうか?
カトリック教会はこの新共同訳に参加してずいぶん譲歩している様に思います。
イエズスではなくてイエス、旧約外典の位置も正典の後に旧約続編として一括して置くなど。
さらにバルバロ訳はともかく半世紀もかかったフランチェスコ会訳を差し置いて新共同訳を教会の標準版に採用しています。
カトリックがこうなのにそれに対してプロテスタントの一派である福音派は新共同訳を用いる様子はありません。なぜなのでしょう?

なおわたしはキリスト教の信者ではありません。
別に福音派を貶める気持ちは全くありませんので誤解なさらないように。

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aki********さん

2018/11/1700:39:48

簡単に言えば、福音派は逐語霊感説を取っていますから
聖書に間違いはないという前提があります。

自分達に都合の良い聖書の翻訳であることが重要であって、
学問的に翻訳が正しいかどうかは一番の重要な問題ではないのです。

実際はそこまでひどくはないのですが、エホバの証人の
新世界訳聖書、これはエホバの証人にとっての大変
都合の良い翻訳です、例えて言えばそのような
向きがあるということです。

新共同訳は福音派を除く多くの翻訳者が参加しているので
文書によって訳出の出来不出来がありますが、その時点での
聖書学の成果は取り入れてあります。(今度聖書協会から
新しい訳がでます)

完璧な聖書はありませんし、直訳では日本語になりません。
新約をギリシャ語で読むのと翻訳された聖書で読むのとでは
もうずいぶん隔たりがありますよ。

イスラムの聖典のコーランは翻訳されたものはもうコーラン
ではないそうです、あくまでアラビア語で読む時だけが
コーランなのだそうですが、聖書をギリシャ語で読んで
みればその言い分も分かる気がします。

翻訳はその翻訳された時点で翻訳者の解釈を含んでいますし、
日本語になりにくいような文章が少なからずありますから
日本語にするには少し意訳せざるを得ない事情もあるには
あるのです。

しかし新改訳の場合は意図的な改ざんとも言える翻訳姿勢に問題が
あるのです。これはこれで神さまのみ言葉を大事にしていないと
言えるでしょう、福音派が聖書原理主義者であるために翻訳が
それによって縛られてしまい、学問的より信仰的に沿う訳出を
優先しているのです。

  • 質問者

    アダリーさん

    2018/11/1912:13:31

    わたしは信者ではありませんし、最初聖書に興味を持ったのは先年亡くなられた三笠宮崇仁親王が「創世記の冒頭には違う時代に書かれた二つの創造神話がある」と書かれていたからで、そのあと日本聖書学研究所の敷衍訳の部分訳とか読んだりして、モーセ五書やヨシュア記にはJEDPの四つの史料が混在してるとか、サムエル記上にも早期と後期の二つの史料があるとか、福音書は最初にマルコが書かれ、正統派のユダヤ人向けにマタイが、下層民や外国人向けにルカが書かれたとか、そんなとこから読み始めましたので、聖書がどうやって出来ていったかに興味があったんです。
    でも2年ぐらいかけて日本聖書協会の古い口語訳でしたけど全巻読破したんですけどね。
    だから逐語霊感説とかファンダメンタリズムには抵抗あるんですよ。
    福音派のほとんどの人が普通の方達なんですがごく一部にファティックな方がいて、まあアメリカの福音派よりは穏やかなんだろうけど。

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ana********さん

2018/11/2010:00:51

口語訳聖書は、ヘブル語・ギリシア語からもですが、米国の英語訳から訳された部分が含まれ、原典から離れているという認識があります。意訳的な箇所もあります。

新改訳聖書は、ヘブル語・ギリシア語の原典から、より忠実な翻訳を求めて編まれました。

新共同訳は聖書協会がカトリックとともに共同して編まれたものです。新共同訳の前には共同訳がありました。「ルカスによる福音」などです。共同訳ではイエスはイエスス、ルカはルカスと原典への忠実さを求めましたが、違和感があるということで、新共同訳ではイエス、ルカとされました。ペテロはペトロですが。
新共同訳も新改訳同様に原典への忠実さを求めたものです。それぞれの編集時期は重なっていて、新改訳を見て新共同訳ができたわけではありません。

どの訳の聖書を採用するかはその教会の教会員の総意によります。昨年新改訳はあたらしくなりました。今年新共同訳から聖書協会共同訳が発行されましたが、教会により従来の新改訳を使い続ける教会もあるでしょうし、日本基督教団でも現行の新共同訳を使い続ける教会もあるでしょう。

教派によって一律にどうするかということではないのですよ。

聖書研究をする際には、さまざまな訳を比較参照します。編集者がなぜその訳を採用したかを訪ねることも神のみこころの理解に役立ちます。

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2018/11/1414:09:30

A.口語訳の問題点

実例①ローマ9章5節

<文語訳>
先祖たちも彼等のものなり、肉によれば、キリストも彼等より出で給ひたり。キリストは萬物の上にあり、永遠に讃むべき神なり、アァメン。

<口語訳>
また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。

<新改訳(第2版)>
先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。

問題点:「キリスト=神」と訳しているかどうか?
・・・原文では句読点がないので、文法上口語訳のような翻訳も間違いではないですが、あえて「キリスト」と「神」を引き離す翻訳を選んでいること。


実例②箴言11章30節

<文語訳>
義人の果は生命の樹なり 智慧ある者は人を捕ふ

<口語訳>
正しい者の結ぶ実は命の木である、不法な者は人の命をとる。

<新改訳(第2版)>
正しい者の結ぶ実はいのちの木である。知恵のある者は人の心をとらえる。

問題点:後半部分、原文と全く違う翻訳をしており、原文から訳したかどうかも疑わしい。

・・・このような箇所が何箇所かあったので、口語訳をした日本聖書協会に説明を求めたけれど、極めて横柄な態度で応対され、質問にも返答がなかったことにより、新しい翻訳「新改訳」を作るに至りました。



B.翻訳の著作権等

新改訳聖書刊行会のコメント
https://www.seisho.or.jp/archives/about-ssk/



C.カトリックとの共同

カトリックとプロテスタントでは「主要な教義・聖書に対する権威の捉え方が“全く”違う」ので、聖書翻訳を共同ですることは、極めて不適切です。
しかし、信仰を度外視しヒューマニズムによる一致を求めたリベラル派の人たちが、カトリックと手を組んで「新共同訳」というものを作ってしまいました。

ちなみに新共同訳では、上記の聖書箇所は以下のようになっています。

ローマ9:5
先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

箴言11:30
神に従う人の結ぶ実は命の木となる。知恵ある人は多くの魂をとらえる。


ローマ9章5節は「キリスト=神」に変えましたが、第2ペテロ1章1節においては、やはり「キリスト」と「神」を引き離した翻訳を選んでいます。

<新共同訳>
イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。

<新改訳(第2版)>
イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。

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2018/11/1409:14:26

>カトリックがこうなのにそれに対してプロテスタントの一派である福音派は新共同訳を用いる様子はありません。なぜなのでしょう?

不思議に思うことはありません。そう思うのは「キリスト教」という言葉・レッテルの先入観に捉われた誤解にすぎません。「同じキリスト教なのにどうして統一できないの?」という素朴な疑問は、ならばどうして仏教会派は統一しないの、というのと同じです。
信仰とは客観的理論的に証明できないものなので、厳密さを追求すれば、それはひとりひとり違ったものになるのは当然。

新共同訳については少しご存知のようですが、カトとプロが共同で翻訳した。外部から見ればこれでキリスト教は統一できるはずだ、と思うでしょう。しかし事情はそんな単純なものではないんです。

日本のカトもプロも保守的ですから、自分から革命的なことは出来ない。カトとプロ共同訳聖書を発行するという方針は、バチカンとプロテの聖書協会世界連盟が各言語で発行しようと立案した、その一環だったのです。

で、仕方なしに(?)日本でも1966年から作業を始めたが双方の用語を統一するのに3年かかった!ようやく新約を開始したのが1972年、で1978年に完成したのが共同訳。

ところがこの共同訳は大変な不評で10年もたたずに「新共同訳」を作るはめになった。不評の原因はアメリカの聖書協会のある人物がかかわったせいだが詳細は省く。

そんな新共同訳だから、カトプロ共同作業によるものだからキリスト教の「標準」などとは言えないとわかるでしょ。

そして肝心の「新改訳聖書」についてのご質問。
福音派のひとたちは新共同訳や口語訳の表現に不適当なものがあるとして気にいらなかった。「神への尊敬の念が表されていない」という例は、たとえば旧約聖書の申命記13:15 /16
[口語訳]…すべての者をつるぎの刃にかけて、ことごとく滅ぼさなければならない。
[新共同]…住民を剣にかけて殺し…すべてのものも滅ぼし尽くし…
[新改訳]…住民を剣のはで打たなければならない。全ての者を剣の刃で聖絶しなさい。

「聖絶」という造語をして、住民虐殺を「聖なる行為として絶つ」それは捧げ物であるという意味まで込めた。女子供まで剣で引き裂いて地の海野中で肉塊にする、それをきれいごとにした。これがのちの十字軍がエルサレムなど各地で行った同じ行為を正統化する根拠となった。十字軍のあとも世界中で神の名のもとの虐殺は聖なることとして行われてきた/きている。

話をもどして、福音派にかぎらず言葉にこだわる。新約聖書では、新共同訳では「バプテスマ」を「洗礼」という。洗礼者ヨハネ(マルコ1:6)など。こんなものは絶対に許せないだろう、特にバプテスト教会では。

最初に書いたように、信仰をまじめに追及している(と考えている)ひとは言葉にこだわる。言葉が概念を規定するから。当然なことなんですよ。聖書に限らず、教会の用語もそれぞれ差異がある。だから初めての教会に行った人は違和感を感じたり、恥をかかないか気をつかったりするものです。

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編集あり2018/11/1407:10:01

ちょっと狭い範囲の情報しかお持ちでないようですね。

福音派が一様に新改訳にこだわってるわけではありませんよ。
主流は確かに新改訳が多い傾向のようですけど、新共同訳を使ってらっしゃる所もけっこうありますよ。
旧約聖書続編は除外しますけども。

口語訳を、神への尊敬の念が表されてないから用いなくなった…というのも違います。

あくまで、その群れの中の人たち、まぁ、リーダーがたが、「この訳が一番しっくりくる」という程度の採用の違いでしかありません。

新改訳聖書の著作権がアメリカにあるってのも、間違った情報ではないですか?
日本語訳なのに…。

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fub********さん

2018/11/1405:08:37

文語訳聖書は味があり
日本語としての品格がある
リズムがあるね。

姦淫することなかれ。
天の御国は近付いた!

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