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虐待された女性の支援施設の記事を読む機会がありました。その中に戦後 10年から...

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ID非公開さん

2018/11/1614:57:51

虐待された女性の支援施設の記事を読む機会がありました。その中に戦後 10年からあるということでしたが、その頃の職業でお手伝いさんや子守という人達を保護する、とありました。今では家事

代行サービスという言い方がありますが、昔のお手伝いさんというのは虐待される立場の人が多かったという意味でしょうか。私は還暦になりましたが、中学生の頃、母から、あんたはお手伝いさんになれば、と言われた事があります。今でも良い意味で言っているのではない、と思っていましたが、だいたい雇い主から虐待されることを含んだ意味だったのでしょうか。思春期の娘に嫌なことを言う母が別の顔があったのかと今でも時々、母の本心を疑っています。一般的にも戦後10年経ったくらいではお手伝いさんとか子守とか、テレビドラマおしんのような意味で言っていたのでしょうか。保護施設に詳しい方教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mim********さん

2018/11/1816:25:40

前後10年ですと言葉はなかったものの、DVは日本の家庭ではよくあることだったかと思います。
復興も程遠い、極度の貧困、女性の就業場所がない、選挙権さえ当たり前ではない、立場の弱さ、女性への教育の不足、根強い家父長、血気の多い日本男児を美徳とする永年の風潮…。
その頃の、虐待された女性の支援施設ってそういう人のシェルターとして産声を上げた施設だったのではないでしょうか。
その中に、お手伝いさんや子守っていう人たちも保護される傾向にあったのだと思います。
派遣先や里親からの虐待は確かにあったでしょう。
また、悲しいですが人身売買に近い形で就業した女性たちも数知れないわけですから。当時もまだあったと思います。
一方で、手放す側は、経済事情で泣く泣く子供をという場合もあれば、子女を労働力とみなす家庭もあったはずです。
敗戦だ、それ民主主義だと突然浸透する日本でもありませんでしたしね。

で、質問者様の個人的なお話で、お母様の言葉ですね。
疑ってしまわれるんですね。
何年経っても、母から思春期にかけられた言葉って、引っかかるものですよね。
お母様、きっと何かとお疲れだったのでしょう。だいたい更年期前後のお年でしたでしょう。
ちょっと意地悪や挑戦的なことを娘に言うことで、心理的な体勢を整えてらしたんだと思いますよ。意地悪言っちゃった、でも明日からまた優しくしよう。って。

保護施設には別に詳しくないですが、質問者様の素朴な質問に、ちょっと思いを馳せてみました。

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質問した人からのコメント

2018/11/18 17:20:10

私の気持ちに沿って回答頂き、ありがとうございます。私は五人兄弟の末っ子ですから上から順に教育費がかかる最中だったように思います。

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