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墓参りや、法事

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ID非公開さん

2018/11/1901:11:49

墓参りや、法事

20代後半の男性。
大学入学を期に地方から上京し、首都圏に就職しました。
実家は浄土真宗で、新興宗教などではありません。
法事や墓参りに関しては一般的な家庭で、私は長男です。


私は小さい頃から、法事や墓参りには得体のしれない気味の悪さを感じてきました。
恐らく、死者の魂?が云々など科学的に説明出来ないことが盲信的に信じられていることがこわかったのだと思います。

その結果墓参りをしたくないと駄々をこね、父親に無理やり墓参りに連れて行かれたといったトラウマのような記憶があります。
また、なんで坊主なんかに高い金払わないといけないんだ、なんで墓石を新しくするのにそんなに高い金払うんだ…今いる人のためにお金を使ったほうが有意義じゃないかなど言って怒られたり。

加えて世間体を過度に気にする田舎の親戚も好きになれず、親戚付き合いをを嫌がるし。
(私が大学に入るときにもいちいちどこの大学か聞かれたり)

当時は怒られましたが私が大人になり、法事も嫌がるし墓参りも行かないので親も半ば諦めたようです。


血が繋がっていてもそうでなくても、お世話になった故人を偲ぶ気持ちは勿論あります。
しかし、墓参りをしないとバチが当たる…などと聞いてもよく理解できませんし墓を守ると聞くと嫌悪感がわきます。

時々心の中で故人を思い出し故人に感謝する気持ちがあればそれで十分であり、単に石の前で手を合わせるよりよほど故人を大事にしていると思います。

皆さんは墓参りをするべきだと思いますか?
それはなぜですか?
故人に感謝するだけでは不十分ですか?

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tav********さん

2018/11/2001:01:02

死者の魂とか、墓参りをしないとバチが当たるとか、一体だれが言ったのでしょうか。
いかにも安っぽいTVのオカルト番組かアヤシイ新興宗教の使いそうなフレーズですね。こどもの頃にそんな番組を見たか怪談話でも聞いて毒されちゃったんじゃないでしょうか。

なにより、仏教の始祖であるお釈迦さまも、浄土真宗の親鸞も、そういった類の話を「外道」とか「鬼神信仰」として、因縁果の道理とは相反するものだから捨てなさいとしています。
ありもしないものを拝んではイケナイということです。
なにか運命を支配しているかのような天の存在とか、怨霊・動物霊・幽霊・守護霊など霊魂というものがあって死んだあとも私たちに禍福を与える力があるとか、そんなものを根拠にできない。全ての事象には、キチンと原因・いろんな縁があって結果となっている。その因縁果を正しく見ていくことが成仏(覚った者に成る)の道だというのが仏教の基本的な考え方です。
「私の仕事がうまくいかないのは、ひいひいばあちゃんが‥」
「自殺した私の姉が、私のことを‥」
「死んだじいちゃんが護ってくれて、事故を起こしても大怪我もなく‥」
「偉人のパワーをいただいて、元気に‥」
明治神宮の明治天皇・靖国神社の日本の軍人・天満宮の菅原道真・東照宮の家康・稲荷のキツネ・仏壇の位牌etc.
本当の原因を追究しないで誰か(魔物)のせいにしてしまうんですね。

では、なぜ法事をするのか。仏壇や墓参りをするのか。
何か頼みごとをするわけでもないですし、何かを怖がって「どうか静かにしててください」とお願いしてるわけでもありません。
素晴らしい人・感謝すべき人だからでもないと思います。人間、誰だってタイミングさえあれば悪いこともしますし、嘘もつきます。「二度と嘘はつくまい」と思っても、縁があればまた嘘をつきます。
私たちも、自分に都合が良ければ感謝しますし、自分に都合が悪ければ悪態をつきます。

私や質問者さんと同じく、ままならない人生・思ったようにいかない人生を、「でも、人生とはそういうものだ。真実とはそういうものだ」と悩みながら苦闘しながらも全うしていった先輩だからでしょう。
その先輩の背景にあるものに手を合わせ聞いていく。
だから、お参りをするべきだと思います。

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    質問者

    ID非公開さん

    2018/11/2006:32:04

    ありがとうございます。

    その先輩の背景にあるものに手を合わせ聞いていく。
    だから、お参りをするべきだと思います。

    の部分が話が飛びすぎて理解できないのですが、どういうことでしょうか?

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fxb********さん

2018/11/2117:28:32

今はわからなくてもあなたが大切に想ってる方が亡くなった時に何となくわかるのではないですか?

自分も子供の頃は墓参りは嫌いでしたし退屈でした。
高校生の時に大好きだった祖母が亡くなってからは自分の意思で墓参りなどするようになりました。

墓参りや法事など気持ちがないなら行く必要ありません。気持ちがあるから故人の為に集まる人と一緒に故人を思い出し感謝の気持ちを共有しますし、明確にイメージできるように仏壇やお墓などの対象物が必要な人もいるのです。
理屈を捏ねる必要もありません。
ご両親もあなたの事は諦めてますから、せめて心の中で故人に感謝をしてあげて下さい。昔からの慣習だったりお墓参りや法事をキチンとする人はいますが、わざわざ自分の意見と比較する必要もないし、非難する必要もありません。

ファンだったアーティストが亡くなって、追悼アルバムを買ったり、グッズを買ったり、年忌の集まりに行ったり、熱狂的なファンはお墓参りに行く人もいます。そんな方々にも単に石だよ!って思うのもまた個人の自由ですが、わざわざ言わないですよね。
自分はZARDが好きだったので命日は同じファンだった友人と飲んで語り合ったり今でもしてます。
アーティストと比較するのも微妙ですが、亡くなった方を偲ぶ行為としては近い感覚があります。

kus********さん

2018/11/2006:29:12

尊い命を失った方への感謝を捧げること、この一点でいいんじゃないでしょうか。余計な理屈はいらないと思います。

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wrb********さん

2018/11/1919:22:26

『20代後半の男性。 大学入学を期に地方から上京し、首都圏に就職しました。』
ホント?
反抗期のお子ちゃまじゃないの?

『時々心の中で故人を思い出し故人に感謝する気持ちがあればそれで十分であり、単に石の前で手を合わせるよりよほど故人を大事にしていると思います。』
イイ年した大人が、そう思ってるんなら人の意見など聞く必要無いでしょ

ino********さん

2018/11/1914:32:26

インドにおける佛教では中有、中陰と言われる期間、つまり49日で何かに生まれ変わってお終いです。それが支那に佛教が伝えられるとともに支那の儒教や道教と習合し独自の死後の世界が考えられました。儒教の孝の思想が取り入れられ死者の転生先を少しでも善いところへという思いから十王経というものが作られました。支那産の経のため偽経と言われます。

十王は冥土を支配する10人の王のことで死者の生前の行状により行き先を審判決定するのです。閻魔大王はその中の一人です。元は審判は7日ごと49日までの計7回ですが、100ケ日、1周忌、3回忌の3回が追加され10回という形になりました。3回の再審が行われることになったのです。
再審してもそのままでは同じ判決になるので、生き残っている者が佛を供養すると善行を行い、その功徳を死者に振り向けるのです。これを回向といいますが、下駄を履かせてランク上の世界に行けるようにする、これが追善供養なのです。

この十王経による追善供養は3回忌で終わりなのですが、江戸時代の寺請制度の実施された中で7回忌、13回忌、33回忌の3回が追加されました。これを13佛(13王)信仰といいます。
この13佛で決まっているものが追善供養とされるものです。
ところが17回忌等の他の回忌も行われていますが、寺のお布施稼ぎのためにはめ込まれたものに過ぎないのです。それが習わしとなってしまったのです。

しかし、浄土真宗では追善供養というのはありません。臨終即往生、亡くなると同時に極楽往生するというのです。回忌法要をする口実はないのですが、他宗に合わせてやっています。

宗祖親鸞は「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」(歎異抄)と言っています。追善供養の否定されているのですがね。

そして、宗祖は他にも過激な発言があります。

「それがし閉眼せば、賀茂河に入れて魚に与うべし」(改邪鈔)

十王:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%8E%8B

十三佛:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E4%BB%8F

従って、法事は亡くなった人のためにやるのではなく、生き残っている者が故人を偲び、縁者の親睦を図り、同時に信心を深めるためのものです。

寺側からすれば本来集まって人に信心を深めてもらう大事な場のはずなのですが、大概はどうでもいいような法話をちょこっとして世間話をして、お布施を貰って帰るものになってしまっていますね。

そんなことにどの程度意味があるのか、やはり、考えてみるべきでしょうね。

man********さん

2018/11/1910:47:30

墓参り、法事、過度に世間体を気にする親戚、この3つが複合された気持ちですね。

日本の葬儀の歴史を知ると、謎が解けます。
①室町時代まで・・・・お墓とお寺は別の物でした。葬儀は村人が合同で行い、お寺は無関係でした。「お盆に先祖の霊が帰ってくる・・」というのも、日本古来からの先祖供養の習俗です。仏教的には、ありえません。

②江戸時代・・・・徳川幕府が檀家制度を始めました。お寺で葬式をやれ!というものです。キリシタン弾圧などが目的です。
そのため、もともと別であったお墓が、お寺に取り込まれてしまいました!ここで歪みました!!

③明治以降・・・檀家制度は、明治に廃止されました。しかし多くのお寺は、先祖の墓を人質に口約束で、継続させました。

④現代・・・・・先祖の墓を引き継がない人(次男、三男)、およびお寺と縁を切った人は、公営の無宗教の墓や、散骨したりして、お寺と無関係に供養しています。

⑤供養とは。
人は2度死ぬと言われています。1度目は肉体の死、2度目は人の記憶から消えた時です。個人を忘れない、時に故人を思い出すことこそ最大の供養です。
その手助けとなる「故人の象徴」がお墓や写真です。

あなたが「故人に対する感謝だ」というのは、正しいです。
でも宗教関係なく、「故人の象徴」としてのお墓へはお参りしても良いと思いますよ。坊主に金を出す必要はありませんが・・

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