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細川ガラシャの死について

kok********さん

2018/12/221:09:26

細川ガラシャの死について

関ヶ原の戦いへの一連の流れの中で、挙兵した石田三成ら奉行衆が、東軍についた諸将の家族を人質に取ろうとした際、細川忠興の妻である細川ガラシャが人質となるのを拒み、家臣に自らを殺害させるという形で自害した、というエピソードがあります。

このエピソードは大河ドラマなどでは、夫の足枷にならぬよう自ら命を絶った、武家の妻の悲劇の美談とされたり、恋愛を重視するドラマでは夫の愛が離れ、この機会にキリスト教に殉じたように描かれることもあり、いずれも悲劇として扱われることが多いと思います。

しかし、もっと悲劇的なパターンもあり得るのではないでしょうか。

関ヶ原への一連の流れの中で、三成ら奉行衆が討伐対象としているのは徳川家康ですが、家康に対するのと同じくらい、細川忠興を討伐すべしとしています。
奉行衆によると、細川忠興は「家康を徒党軍にした張本人」であり、「秀頼様への拝謁にも来ない」としており、かなり詰っています。「丹後征伐」も考えられており、西軍の細川家への風当たりはかなり厳しかったのではないでしょうか。

テレビでとんでもない事件を起こした容疑者が報道されると、その容疑者の家にパパラッチや野次馬が押し寄せ、その中には家の壁に落書きをしたり、家に石を投げつけたりする心ない人がいて、容疑者の家族がノイローゼになるということは、よく耳にすると思います。

これと同じように、人質にするために西軍の面々が屋敷に押し寄せてきたが、「叛逆者の妻」という扱いをされ、その苦痛でガラシャは自ら命を絶った、というパターンもあり得るのではないでしょうか。
西軍の記録でも「人質にするつもりだったが、(ガラシャは)勘違いしたのか、家臣に自らを殺させ自害してしまった」とあるようです。

完全に想像でしかありませんが、ご意見をくれるとうれしいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

tos********さん

2018/12/509:03:32

??????。関ヶ原の戦いの前、細川幽斎は、息子の細川忠興が、会津攻めに参加してしまっていたため、居城をすて、要害な田沼城(?)に信頼できる少数の家来を率いてたてこもって、大軍相手に、戦っています。
又、徳川家康も、今川氏の人質時代から支えてくれた鳥居氏などの老臣を伏見城(?)の攻防戦で亡くしています。

石田三成は、忠臣として同情されていますが、秀吉が、人に恨まれる、様々なことをたくさんしました。三成は、その実行役でもあったのです。有能であったため、より過酷でもあったのです。
関ヶ原の戦いを恨みを抱えていたことで見ると、気力は、だんぜん東軍が、優っていたと思います。

質問した人からのコメント

2018/12/9 20:00:32

回答ありがとうございます。
細川忠興がガラシャが自害したことを除いて関ヶ原の戦いで触れられることはあまりないですよね。討伐対象になっていたことは有名ではありませんが、なぜでしょうか。

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