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幸福の科学の会員の方たちは、今の幸福の科学や大川隆法に何の疑問も感じないので...

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ID非公開さん

2018/12/419:42:18

幸福の科学の会員の方たちは、今の幸福の科学や大川隆法に何の疑問も感じないのでしょうか?

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tak********さん

2018/12/907:22:04

疑問には二種類あります。

非常に否定的な感情としての疑いと、「なぜこういう結論になるのだろうか」という純粋に知的好奇心に基づく疑問です。

両者は完全に区別できるものではありませんし、両方の間を揺れることはあります。

ただ非信者の場合は疑問をもつと肯定感情にはなりません。
後者のように、疑問は持ってもそこから知的探求に入ることが多いし、幸福の科学の教えにはその疑問に対する答えがどこにもないのです。

幸福の科学の教えはたしかに世間の常識と違うものが出てくるときばかりです。
また霊言などは相互に矛盾する言葉がでてくることがあります。

「考えること」が好きなタイプの方はその時に「これはおかしい」と言うのです。
「なぜそのような違和感が起きるのか」ということについて、ゆっくりと考えるのがバカ臭いのでしょう。

ホッシーのように学歴が高くても暗記型の学問だけの人にもそういう傾向があります。

最初はなんでもかんでも鵜呑みにして機械的に教えを学び暗記もされるのですが、どこかでその人の常識ではどうしても理解できない所が必ず出てきます。
そのときに深く思索できない人は信者としての残りますし、〇×式の受験勉強型・暗記型の奴隷的知性から抜けられない人は、信仰を続けることがあるのです。

では信者が、自分の中にある常識と教団の教えがぶつかったときにどうするべきなのでしょうか。

第一に考えるべきことは自分が常識だと思っていることが単なる思い込みではないのかという視点です。
意外に生まれ育った家庭環境や親の価値観に支配されていて、それ以外の考え方をはじく人というのがいます。
よくネットなどで「マナー違反」を騒ぐ人がいます。しかしそのマナーが実は本人のマイルールに過ぎないこともよくあります。ホッシーのように信念の押し付けをする人は要するに視野が狭いのです。

第二に考えるべきことは「教えの理解が間違っているのではないか」ということです。
特に中道の論点が大切です。
たとえば「人を許せ」という教えと「悪を許してはならない」という教えは一見すると矛盾しているでしょう。
ホッシー型の人はここで「幸福の科学は矛盾している」と言っても疑わないのです。

しかし普通に考えればわかることです。昔から「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますね。

悪事はやめさせなくてはならないけれども、悪を犯した人を助けたいという気持ちは持たなくてはならないわけです。これが小道です。

「人を許せ」という教えを極端に解釈して、「悪人も許さなければならない。だから悪事に対しても応援するべきだ」と考えてはいけないのです。
しかし反対に「悪を許してはならない。だから悪人はすべて殺せ」などと考えてもいけません。

幸福の科学に対して疑いを持たない人はこれがわからない人が多いのです。


第三に考えるべきことは慢心しているのではないかということです。
幸福の科学の教えはこの世で通用する教養人としてのレベルの教えもありますが、創造主にしかわからない宇宙創世の秘密などの論点もあるわけです。

それについてホッシーの頭で正邪を判定できるはずがないのです。
心の教えの大部分は考えればわかることですが、いくら考えても理解すらできない部分はありますね。
その部分については謙虚に学ぶしかないのです。

小学一年生が学校の先生の見識を疑って成績が上がるということがあるでしょうか?
「あんたは本当に先生か?教員免許を持ってるのか?」などと生意気に質問する小学生の学力が上がることもあり得ます。

大人になると一人前だという意識になってしまい、自分の知らない世界を知っている人が要るということ自体が認められなくなることがあるわけですが、これは上記のような優秀な小学生と同じなのです。

教えと自分の価値観とがぶつかったら、まず相手を変える。これが反省です。
これは洗脳とは根本的に違うものです。

洗脳においては一つの価値観しか認めないし、それ以外の考え方を一切させないのですが、科学においては多数の説が出されていて、正しさの多様性を学び、いろんな意見に正当性があるということをまず学ぶのです。

そのうえで、いちばんバランスの良い結論を学ぶように指導されています。
これは「自分の頭で考えて結論を選ぶ」という意味で洗脳とは根本的に違うものです。

もちろん明らかに間違った言論や思想とは一線を画します。
幸福の科学から導き出されるエゴイズムは完全なる間違いなので、これは排除いたします。

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hoshieiwaさん

2018/12/815:54:38

疑問には二種類あります。

非常に否定的な感情としての疑いと、「なぜこういう結論になるのだろうか」という純粋に知的好奇心に基づく疑問です。

両者は完全に区別できるものではありませんし、両方の間を揺れることはあります。

ただ信者の場合は疑問をもっても否定感情にはなりません。
後者のように、疑問は持ってもそこから知的探求に入ることが多いし、幸福の科学の教えにはその疑問に対する答えがどこかに必ずあるのです。

幸福の科学の教えの中にはたしかに世間の常識と違うものが出てくるときがあります。
また霊言などは相互に矛盾する言葉がでてくることがあります。

「考えること」を厭うタイプの方はその時に「これはおかしい」と騒ぐのです。
「なぜそのような違和感が起きるのか」ということについて、ゆっくりと考えるのが面倒臭いのでしょう。

学歴が高くても暗記型の学問だけの人にもそういう傾向があります。

最初はなんでもかんでも鵜呑みにして機械的に教えを学び暗記もされるのですが、どこかでその人の常識ではどうしても理解できない所が必ず出てきます。
そのときに深く思索できる人は信者としての残りますし、〇×式の受験勉強型・暗記型の奴隷的知性から抜けられない人は、信仰を失うことがあるのです。

では信者が、自分の中にある常識と教団の教えがぶつかったときにどうするべきなのでしょうか。

第一に考えるべきことは自分が常識だと思っていることが単なる思い込みではないのかという視点です。
意外に生まれ育った家庭環境や親の価値観に支配されていて、それ以外の考え方をはじく人というのがいます。
よくネットなどで「マナー違反」を騒ぐ人がいます。しかしそのマナーが実は本人のマイルールに過ぎないこともよくあります。信念の押し付けをする人は要するに視野が狭いのです。

第二に考えるべきことは「教えの理解が間違っているのではないか」ということです。
特に中道の論点が大切です。
たとえば「人を許せ」という教えと「悪を許してはならない」という教えは一見すると矛盾しているでしょう。
受験勉強型の人はここで「幸福の科学は矛盾している」と言って疑い出すのです。

しかし普通に考えればわかることです。昔から「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますね。

悪事はやめさせなくてはならないけれども、悪を犯した人を助けたいという気持ちは持たなくてはならないわけです。これが中道です。

「人を許せ」という教えを極端に解釈して、「悪人も許さなければならない。だから悪事に対しても応援するべきだ」と考えてはいけないのです。
しかし反対に「悪を許してはならない。だから悪人はすべて殺せ」などと考えてもいけません。

幸福の科学に対して疑いを持つ人はこれがわからない人が多いのです。


第三に考えるべきことは慢心しているのではないかということです。
幸福の科学の教えはこの世で通用する教養人としてのレベルの教えもありますが、創造主にしかわからない宇宙創世の秘密などの論点もあるわけです。

それについて人間の頭で正邪を判定できるはずがないのです。
心の教えの大部分は考えればわかることですが、いくら考えても理解すらできない部分はありますね。
その部分については謙虚に学ぶしかないのです。

小学一年生が学校の先生の見識を疑って成績が上がるということがあるでしょうか?
「あんたは本当に先生か?教員免許を持ってるのか?」などと生意気に質問する小学生の学力が上がることはあり得ません。

大人になると一人前だという意識になってしまい、自分の知らない世界を知っている人が要るということ自体が認められなくなることがあるわけですが、これは上記のような生意気な小学生と同じなのです。

教えと自分の価値観とがぶつかったら、まず自分を変える。これが反省です。
これは洗脳とは根本的に違うものです。

洗脳においては一つの価値観しか認めないし、それ以外の考え方を一切させないのですが、幸福の科学においては多数の霊言が出されていて、正しさの多様性を学び、いろんな意見に正当性があるということをまず学ぶのです。

そのうえで、いちばんバランスの良い結論(中道)を学ぶように指導されています。
これは「自分の頭で考えて結論を選ぶ」という意味で洗脳とは根本的に違うものです。

もちろん明らかに間違った言論や思想とは一線を画します。
無神論・唯物論およびそこから導き出されるエゴイズムは完全なる間違いなので、これは排除いたします。

しかし基本的には寛容であり、いろんな価値観を学び、柔軟に結論を出せるような指導をされているわけですから、真面目に修行している限り、否定的感情としての疑いは出てくる余地はありません。

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may********さん

2018/12/614:36:19

疑問を感じた方は既に退会されてますから、感じられてないと推測します。

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h0q********さん

2018/12/502:28:58

会員さんたちが大川さんを神だとして受け入れるのは、
そうすることによって得られる見返りを
信者が受け取っているからと考えられます。信者が欲しいと思っている
当のものを大川さんが与えているからです。信者にとって大川さんは
「素晴らしい」のです。この逆賄賂のことを
「幸福」と呼んでいるのです。
「悪霊調伏祈願」「恋愛成功祈願」「支部行事案内」「特別勧請」
自分の性格がよくなる。夫婦不和や子育てなどの家庭の悩みが
解決する。病気が治る。人に言えない自分の過去の罪が許される。
お互いを思いやる仲間意識など。
上記にあげたような沢山のいいものが貰えるためには、大川さんには
どうしても神であってもらわなければ困るのです。
誰でも、大川さんについては「おかしい」と知っているのです。
信者さんたちも、馬鹿じゃないのですから、本当は心の底で
「おかしい」と気づいているに違いありません。
しかし、それを正直に認めてしまっては、約束された美味しい
「幸福」の数々を受け取ることはできません。だから、
見て見ぬふりをして、「大川さんは神様です」という
虚構を信じる者同士の小さな閉鎖社会のなかに引きこもって
生きているのです。彼らは、「幸福」という名の逆賄賂を
受け取るために、真実を凝視する自らの<良心>の声を
抑圧したのです。これが「幸福」を得るために
彼らが支払う大きな代償の一つです。

ken********さん

編集あり2018/12/620:41:10

疑問に思わないようにきちんと教育してと言う名のマインドコントロールがされてますからね。

それに疑問を持てる人は教団に残っていませんから

ook********さん

2018/12/420:44:23

もう少し具体例を挙げてくれると助かりますが?

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