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2018/12/13 1:56

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屈原の漁父辞について質問です。 世を挙げて皆濁れるに、我独り清めり。 衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。 とありますが、「濁」「酔」というのはどういうことのたとえなのでしょうか?

屈原の漁父辞について質問です。 世を挙げて皆濁れるに、我独り清めり。 衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。 とありますが、「濁」「酔」というのはどういうことのたとえなのでしょうか? あと、「独」をわざわざ使っているのは、自分一人と言うことを強調するためですか? 濁る…世の中の政治がうまくいっていない、腐敗している 酔ふ…人々が堕落している と私は思いましたが合っていますか? 個人的にはもう少し具体的に言いたいのですがうまく言えません… 違う意見もあればぜひ聞きたいです。お願いします。

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違うと思います。 屈原曰はく、 「世を挙げて皆濁れるに、我独り清めり。 衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。 是を以て放たる。」と。 漁父曰はく、 「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。 世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して、其の波を揚げざる。 衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を餔ひて、其の醨を歠らざる。 何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たしむるを為すや。」と。 漁夫の言葉に、「世人皆濁らば」とありますので、濁っているのは世人の心で在り、「世の中の政治がうまくいっていない、腐敗している」ということではないですね。 すなわち、「世の中の人皆の心は、正しくなく間違ったことを考えている。」それに対して、「自分一人だけが清らかな心を持ち、正しいことを考えている。」→それ故、讒言を受けて追放された。と言うことになるはずです。 「酔ふ」は、そのままの意味で「酒に酔っている」ということでしょう。これを無理に別の意味に解釈しようとすると「何ぞ其の糟を餔ひて、其の醨を歠らざる。」の解釈が難しくなり、前の分と重複します。 「漁夫の辞」で検索すると、いろいろなブログが出てきますから、確かめて下さい。私が見た範囲では上記のような考えで合っています。

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「濁」も「酔」も比喩ですから、そのまま解釈してはダメに決まってますね。 また、それぞれ「清・濁」「醒・酔」の対比も押さえなくてはなりません。また、屈原の生涯も知っておいた方がいいですね。 戦国時代の末期、屈原の仕える楚の国は西方の秦の国の圧迫によって存亡の危機にさらされていました。秦の国が信用ならないことを見抜いていた屈原は、秦との同盟に反対しますが、秦の国から多額の賄賂を受け取っていた他の重臣たちの意見に押されて失脚します。そして絶望して自殺をするわけですが、「漁父の辞」はその自殺する直前の屈原をモデルにしているのです。 「清」はあきらかに屈原の清廉潔白な生き方を指していますので、「濁」は目先の欲望(賄賂)につられて汚職に手を染めた人々の心を指しています。ですから「人々の心が欲望によって汚れてしまったこと」をたとえていると考えれば良いでしょう。 次に「醒」は「はっきりと目覚めている」ことをいいます。飲酒運転が危険なのは、酔うことによって正しい判断ができなくなるからです。正しい判断力を持っている屈原は、秦と同盟を結べば楚の国は滅びるであろうことを見抜いています。しかし、他の重臣たちは、目先の利益(賄賂)に目がくらんで、将来を正しく展望することができなくなっていたのです。つまり「酒に酔っている」のではなく、「目先の利益に酔っている」のです。ですから、この「酔」は「人々が欲望によって正しい判断力を失っていること」をたとえているのです。 「何ぞ其の糟を餔ひて、其の醨を歠らざる。」は、意固地になっている屈原に対して「そんなにムキにならずに世情に合わせれば良いでは無いか。」というアドバイスなのです。 この辞は、屈原の死を惜しむものだと思われますが、歴史自体は屈原の「醒」めた目が見抜いたとおり、楚の滅亡、秦の天下統一という結果に終わりました。

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ご忖度したところは、大体正しいと思いますが、一つだけ、酔ふとは、「堕落している」ではなくて、人々が事態の深刻さ、将来のことについて何ひとつ知らないこと、つまり、先見の明がないことをいっているではないか、と思います。