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江戸幕府は、大名を譜代、外様などと分けたり配置をわけたり、参勤交代などによっ...

mat********さん

2019/1/400:49:13

江戸幕府は、大名を譜代、外様などと分けたり配置をわけたり、参勤交代などによって経済力を持たないようにするなど様々な工夫が行われ外様大名は原則的に幕政に関与できないようにしましたが、

室町幕府も同じように大名に力を持たせないようにすれば応仁の乱は起きなかったのでしょうか?それとも室町幕府の成り立ちや制度上それはできないですか?

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glo********さん

2019/1/401:20:41

江戸幕府では徳川将軍家とその親藩、譜代大名だけで一千万石を越えて将軍家の力が圧倒的だったのに対し、室町幕府は守護大名の連合政権的な性格であり、将軍家はその守護に正当性を与える事で存続していました。
このため明徳の乱などで有力大名の勢力を削ぐ事が行われましたが、江戸幕府のように徹底した大名統制は困難だったのです。

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met********さん

2019/1/600:48:34

応仁の乱は第一義的には、壮大な御家騒動です。
従って、幕府の凋落を防ぐにはまずお家騒動防止策が必要でした。

家康は、たとえバカ殿であっても第一子による機械的な相続というもめる余地の少ないルールを立てました。
この点、足利義教が畠山などの相続に介入して不自然な相続を強いたのは全く余計なことでした。

その次の対策が大きすぎる大名問題への対処です。
大名が大きすぎると将軍を圧迫します。
豊臣政権では百万石を越える大名がいくつもありましたが、家康は前田以外は百万石超えを許さなかった。
また、国政にタッチできるのは十万石未満、通常は数万石の大名に限った。
これはうまいやり方でした。

とはいえ将軍は大名という支持基盤の上に立っているのですから、大名が澪落しても困ります。
室町幕府は三管四職などの重要な大名に京都常駐を義務付けたために、これらの大名は国許の統治を国家老任せにせざるを得ず、結果、国家老に国許を乗っ取られてしまい、澪落して幕府を支えられなくなりました。

江戸幕府はこれを防ぐために、大名たちに一年おきに国許に帰らせて、国許の手綱を閉め直させました。これが参勤交代。
室町幕府も何か工夫が必要でしたね。

ojy********さん

2019/1/401:15:08

参勤交代で経済力を削ぐというのはデマだよ

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