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三国志の呉の武将である『徐盛』と『丁奉』って実際はどんな武将だったのでしょう...

fap********さん

2019/1/1123:35:41

三国志の呉の武将である『徐盛』と『丁奉』って実際はどんな武将だったのでしょうか?

「だいたいコンビで投入される」「誰かの指揮の下で行動することが多い」「個人的な武力は並」「孔明とか司馬懿みたいなチート級にはボロ負けするが、それ以外の相手ならある程度は戦える」というのが私の中での印象なのですが、史実(演義?)での徐盛 丁奉の評価を教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

kum********さん

2019/1/1209:39:48

正史では徐盛は曹丕を追い返した一発屋的な武将です。他にも戦功はありますが、失態も結構記録として残っており、立伝されている武将の中ではやや格が落ちる評価になるでしょうか。

一方の丁奉ですが、当時皇帝だった孫休の腹心の張布は「事務的能力はないが、計略を巡らすこと、それを実行する能力に優れている」と丁奉を推挙しています。そしてその通りに丁奉は上手く立ち回ってクーデターを画策していた孫綝一族を誅滅しています。

個人的武勇にも優れており、後年傲慢になった、と言う欠点はありますが、後期呉を代表する武将だったと思いますね。

個人的評価になりますが、両者の能力を自分は大体以下のような感じに見ております。

徐盛 武勇73 統率67 知略76 政治36
丁奉 武勇95 統率73 知略58 政治35

軍事に直接関係する武勇、統率は丁奉が圧倒的に上と評価しています。
徐盛は大胆な策略で曹丕を追い返した、と言う一点のみを評価して、知略だけは丁奉よりも高めとしました。丁奉の知略も武官としては決して悪くはない値です。

ベストアンサー以外の回答

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num********さん

2019/1/1418:43:04

二人の事績に関しては、kumさんの仰る通りです。

実はこの二人、『演義』ではコンビのように描かれていますが
活躍した時代が全く異なります。

徐盛は、孫権が孫策の後を継いだ時に別部司馬になっており
200年前後に孫家に仕官したものと思われます。
そして、224年に偽の一夜城で曹丕の大軍を撤退させていますが、
黄武年間に没したとありますので、229年までには死去しました。

一方、丁奉は孫権時代から仕えてはいるものの
甘寧・陸遜・潘璋の下で活躍し偏将軍に昇格したとあるだけで、
詳細な記録が残るのは孫権が没した252年以降が中心です。
甘寧は215年に死んだと思われますので
その下で働いていたということは徐盛とも面識があったはずですが、
『正史』には二人の絡みについて一切記録されていません。
甘寧の死去した215年に20代前半だったとすると
丁奉は没した271年には80歳近い老齢だったことになります。

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