ここから本文です

日宋貿易にて日本から銅を輸出し北宋から銅銭をわざわざ輸入していたのはなぜです...

wxm********さん

2019/1/1618:31:02

日宋貿易にて日本から銅を輸出し北宋から銅銭をわざわざ輸入していたのはなぜですか?大至急明日までに回答をお願いします。

閲覧数:
52
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

pla********さん

2019/1/1620:30:00

日宋貿易で日本から輸出されていたのは銅ではなく砂金です。

砂金を売った代価として銅銭を受け取る。つまり金で銅を買うと言う交易は、現在のような金の乏しい日本では想像もできないことですが、当時の日本は黄金の国でした。岩手県にある中尊寺の経堂に納まっている一切経は砂金10万5千両(1両=4・4匁として約1・7トン)で宋から購入されたものと伝えられていますし、平清盛が政権を掌握してからは、日宋交易を振興したため、つまり砂金を求めに来航する宋商を積極的に誘致したため、砂金に関する記事が史書にも頻繁に出てくるようになりました。かくて奥州の砂金は大量に宋にわたり、それがやがて伝説化して後世に伝わり、マルコポーロの「東方見聞録」となり、黄金の島ジパングを求めての大航海時代を招き、アメリカ大陸発見の遠因にもなるのです。一切経を購入するために2トン近くの金を惜し気もなく支払う国であれば、宋商の目にも日本が黄金の島に見えたとしても無理はありません。

中国人たちは日本に砂金が豊富なことを知っていました。遣唐使や留学生たちが現地での滞在費として携行していったのは砂金だったのです。中国大陸は金資源に乏しい。中国人たちは日本からの砂金を歓迎しました。宋商もまた砂金を求めて日本に来航し、砂金の代価として宋銭(銅銭)を支払いに充てていたのです。

  • pla********さん

    2019/1/1622:19:26

    当時の日本は貨幣を鋳造する技術を持っていました。奈良時代~平安時代にかけて、和同開珎を始めとする皇朝十二銭と言う12種類の銅銭を鋳造発行していました。

    荘園の発生と全国的な規模での広まりが銅銭の鋳造停止の一因で、荘園は荘園領主の支配下に置かれた自給自足的集団で閉鎖的なので、そこでは貨幣の必要はありませんでした。朝廷が応和三年(963)乾元大寳(けんげんだいほう)の鋳造を停止して約700年、日本で銅銭を鋳造することはありませんでした。
    しかし、平安時代後期、宋商の来航をきっかけに日本の貨幣事情は一変しました。つまり日本は、当時ゆたかに産出した砂金の見返りに大量の宋からの銅銭を受け入れました。それが一度死んだかに見えた日本の貨幣経済をよみがえらせたのです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2019/1/16 22:41:02

本当にありがとうございます

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kou********さん

2019/1/1618:34:45

その当時は未だ日本に貨幣を作れるほどの鋳造の技術が無かったのです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる