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馬謖が 街亭の戦い の際も言いつけをちゃんと守り、その後も諸葛亮の英才教育を受...

夏海さん

2019/1/1713:00:35

馬謖が 街亭の戦い の際も言いつけをちゃんと守り、その後も諸葛亮の英才教育を受け続けたなら、蒋琬、費禕の次辺りの丞相になっていた可能性はあるでしょうか?

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sna********さん

2019/1/1809:20:17

まず、蜀漢において丞相は諸葛亮のみです、蒋琬は大司馬、費禕は大将軍です

馬謖に宰相たる器があるかは置いておいて街亭の敗北が無ければと言う仮定で想像すると、諸葛亮が丞相府を開府した時の馬謖の役職は参軍であり、諸葛亮が後継者に指名した蒋琬や彼と争った楊儀らも同じく参軍です、馬謖は第一次北伐で街亭の将軍に抜擢されている訳ですから、蒋琬や楊儀より立場は上かもしれません

ただ実際の後継者である蒋琬は丞相府に招かれる前は、尚書郎であり後に参軍、留府長史と出世して外征する諸葛亮の兵と兵糧を満たしており、これは劉備政権下での諸葛亮の役割と同じです、諸葛亮死後に最終的に大司馬、益州刺史、尚書令を兼任しますが馬謖は政治の中枢である尚書の経験は無く、前線指揮官に抜擢されているので蒋琬とは違うルートを歩んだでしょう、大司馬として馬謖が軍部のトップに立ち、蒋琬が益州刺史と尚書令を兼任して政務を見る、劉備と諸葛亮の様な体制がとられたかもしれません

質問した人からのコメント

2019/1/23 00:02:43

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冴子さん

2019/1/1715:07:59

ないと思います 馬謖は丞相を務められるほど優秀な人間ではないと考えられます
理由は3つ
①人物評で極めて優秀な劉備の評価が「口先だけの男であるから、くれぐれも重要な仕事を任せてはならない」というものであった点、つまり少なくとも国のトップという重要な仕事である丞相には向いてないないと評価されている点
②街亭の戦いで見られるように王平の諌めを聞かないなど部下のいうことを聞かない点(部下の発言を却下したという逸話は街亭以外にないものの同時に部下の献策を採用するという逸話もない)つまりある程度部下の献策を受け入れる必要がある国のトップには不向きな点
③若いイメージがあるが実は馬謖は街亭の時点で38才、つまり伸びしろがない点

以上の3つからたとえ諸葛孔明の英才教育を受けても本来の素質もなければトップ向きの性格でもないし、伸びしろもない
ので丞相はムリだと思います
しかし馬謖は諸葛孔明に積極的に献策し採用されていることもあるので丞相まではいかないものの優秀な官僚として名を馳せたと思われます

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2019/1/1713:18:42

馬氏の五常 馬謖ですね。故事成語「泣いて 馬謖を斬る」の論拠となっている「孔明涙を揮いて馬謖を斬る」との表現は小説『三国志演義』にしか出てこないので、創作との意見も多いです。

実際、白眉と謳われた兄の馬良も大した実績は残していないから、弟 馬謖も大したことなかったのではないでしょうか?

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