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江戸時代の金貨は、大判小判ともに綺麗な形に成形されていますが、銀貨はなぜ同じ...

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ID非公開さん

2019/1/3105:05:32

江戸時代の金貨は、大判小判ともに綺麗な形に成形されていますが、銀貨はなぜ同じような小判形にはせず、握りつぶしたような固まりのままだったのでしょうか?
銀より金のほうが、性質上柔らか

く成形しやすいのは分かりますが。
お詳しい方、教えてください。

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dai********さん

2019/1/3112:27:51

これは、材料学的な部分が大きいです。
当時の造幣材料は現代のような電解精錬によるフォーナインの純金純銀だったわけではありません。

金はそれでも99.5%程度の生粋金が得られました。材質を脆くする不純物は少なく、延性展性を保っていましたので薄く叩き延した延金(のしきん)が比較的容易に造れました。

銀は灰吹法という鉛を使った製錬を行っていましたので、当時の純銀は鉛の他、ビスマスその他材質を脆くする成分が結構入っていました。南鐐と呼ばれる純銀でも98%程度です。さらに精錬して99%程度の花降銀もありましたが、材質を脆くする成分を完全に除くことは困難でした。

大判(小判)、丁銀は安土桃山時代辺りから造られてきたのですが、最初、金錠や銀錠のような塊では内部まで金銀かどうか判らないから、薄く延ばして内部まで金銀であると証明するために延金としたわけです。

一方銀の方は材質の関係上叩き延すとひび割れて薄くは延ばせなかったのです。古丁銀と呼ばれる叩き延して造られた石州銀などが現存していますが、何れも特徴的なひび割れが見られます。だから丁銀は薄く延ばさず塊状としたのです。

1695年の改鋳で登場した元禄小判は金品位を落として銀が多く加わり、そのため材質が脆くなり折れやすかったのです。現代の金銀合金ではこんなことにはなりません。

秤量貨幣だから不定形でも構わないのも尤もですが、その時代の技術的な部分が大きかったのです。

豆板銀と板銀(南鐐二朱銀、一分銀、一朱銀のことか)は根本的に違います。豆板銀はあくまで丁銀の分量(小額)貨幣で匁の単位です。豆板銀は元和年間(1615年頃)と江戸時代の初期に登場しています。「

南鐐二朱銀、一分銀、一朱銀は銀が材料ですが、分、朱という金貨の単位の貨幣です。これ等が登場したのは明和年間(1772年)以降、つまり江戸時代の後半です。

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質問した人からのコメント

2019/1/31 22:15:18

とても詳しく書いて頂いたので
ベストアンサーにさせていただきます。

一つ賢くなりました。
ありがとうございました。

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zeu********さん

2019/1/3109:17:49

江戸時代は銀は秤量貨幣といって、重さ(質量)で取引されていたからです。

銀は金よりも流通量が多いので価値の変動が激しく、このため重さを秤で測ってその時の取引価値に応じて、両替したり決済したりしていたからです。

小判や銭が定量貨幣なのに対して、銀はいちいち質量を計測して決済していたのでナマコ形のグニュグニュした銀(丁銀)がありました。

ただ、これでは不便ということで銀も次第に四角い形をした板銀や豆板銀が登場します。
『必殺!仕事人』などの時代劇で登場する板銀ですね。


ちなみに大判というのは流通していません。
江戸時代の大判は、諸大名への贈答用に一度だけつくられたもので慶長大判というのがあるだけです。

流通貨幣ではありません。

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ID非公開さん

2019/1/3106:07:18

金貨、銅貨については計数貨幣
(額面価値と枚数で価値を決める)

銀貨は秤量貨幣
(交換価値を検査して測って用いる)

の違い

測って使用するものなので乱暴な話し、形状はどうでもいいということ

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