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日露戦争により満州は日本に割譲されましたが、開戦前に北朝鮮と満州の間には白頭...

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ID非公開さん

2019/2/1606:58:00

日露戦争により満州は日本に割譲されましたが、開戦前に北朝鮮と満州の間には白頭山という高山があるのだからそれを自然の国境にして不可侵条約を結ぶことなどはできなかったのでしょうか?

また、朝鮮半島とソビエトとの緩衝地帯として満州を植民地化しなくてもそもそも朝鮮半島自体が大陸と日本との緩衝地帯みたいなものだから必要なかったのではないかと思うのですがどうなんでしょう?

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sar********さん

2019/2/1613:44:28

できませんでした。
それって、開戦前の日露交渉に日本が提案した満韓交換論ですよね。
ロシアは日本など恐れてませんので、こらを突っぱねます。そして回答されたのが朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯にすると言う案。もちろんそれじゃ、事実上、日本の敗北ですから日本は飲めません。
そして、小村寿太郎外相は、ロシア公使に対し国交断絶を突きつけました。

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yuu********さん

2019/2/1610:46:29

>日露戦争により満州は日本に割譲
事実として割譲されていません。
得たのはあくまで南満州の鉄道に関する権益です。

>開戦前に北朝鮮と満州の間には
あり得ませんでした。
歴史の話になると参考書や学習指導要綱を持ちだしたがる愚人が時折出現します。この件で言えば、質問の条件で伊藤などが日露協商論を唱えたとされていますが、大間違いです。
そもそも、日本とロシアは満韓交換関係が成立していました。山縣・ロマノフ協定、西・ローゼン協定がそれでした。
ところが、1903年にロシアは朝鮮北部に侵出する龍岩浦事件を起こします。これは上記の協定を明らかに無視するものであり、日露戦争前の事前交渉とはロシアのこの冒険外交の処理を巡ってのものでした。
ところが、ロシアは己の所業を棚に上げて、日本に対しては「日本は朝鮮半島を中立化しろ」と主張する高踏な態度で出ます。日本の歴史家にはこの部分だけ注目して日本は朝鮮の利権に執着したという司馬よりましでも真相からは的外れな主張をする例もあります。
挙句にロシアは中央政府としてこれ以上の外交案件とすることを拒否、極東府と交渉をせよと返事するという誠意の欠片もない態度をしたがために、日本は戦争を決意するに至りました。この事件は日本では軽んじられていますが、同盟国イギリスのみならず、ロシアの同盟国だったフランスも驚愕した(日露関係を決定的にさせるものでこれがために軍事比重が欧州から極東に移ることで、露仏関係の実効性が低下するため)無視できないものです。

>朝鮮半島とソビエトとの緩衝地帯として
現代の日本人は鈍感になっていますが、前進政策と呼ばれるものがあります。
本国の安全を確保するために外縁部に拠点を設け、その拠点の安全を設けるために更なる外縁部に拠点を設ける、というものです。
19世紀、20世紀初頭の帝国主義時代の列強の政治家や外交官は特にそうした考えにとらわれていて、しばしば帝国維持コストからこれを批判する別陣営の政治家たちと論争を繰り広げました。
昭和期になると日本も含めて政治家はそうした考えを持つ者は少なくなったのですが、軍人はそうした考えから脱却できませんでした。昭和期の軍人も、開発した朝鮮の安全確保のために前進地帯をとの考えがありました。

そしてもう一つ重要なのが、満州問題について歴史家の大部分も、これらの著作をだらだら引用する人間ほど、もう故意に無視しているとしか言いようがない問題があります。
それは満州を含む中国に移民していた邦人の安全の問題です。
戦前の中国の治安は最悪で、しかも、今日に続く民族の正義を盾に、権力者や行政府が暴動やテロを主謀、教唆して、在留外国人の安全を脅かす事態が頻発していました。満州でも日本人の安全問題は無視できず、満州某重大事件の河本大佐は犯行の理由にそれを持ちだしていますし、満州事変の際にも国際外交の場で俎上にされました。
ですから、正当性の是非は別に満州について「朝鮮があるのだから手を出さなくも良かった」という問題ではなかったのです。

kir********さん

2019/2/1608:04:01

おおきな誤解があります。

満州地域は、ロシア帝国時代に中国(清)領と条約で確定していました
ただ、東清鉄道を建設しシベリアからハルピン経由でウラジオストックとを結ぶとか、ロシアの利権が充満していました。

さらに日清戦争の勝利ででいったんは日本が得た遼東半島の租借権を三国干渉で撤回させて、その後はロシアが中国から借りて、不凍港・大連を支配して極東進出を果たしていただけです。

>日露戦争により満州は日本に割譲されました

割譲というのは領土を移行することですが、ロシア領ではなかったから根本的に間違い。

日露戦争後に日本が得られたのは、南満州鉄道と付属鉱山の利権を中国から得て、豊かな満州の資源を集散する権利です。
良質で無尽蔵な撫順の石炭、鞍山の鉄鉱石が鉄道で大連に運ばれ、八幡製鉄など日本本土の鉄鋼業の重要な資源になります。

北朝鮮でも 石炭、鉄鉱石が産出され、これも本土の近代化のために重要でした。
その山岳地帯を水源として河川にダムを設置し、今も稼働している水力発電で、化学工業を起こし肥料などを生産しました。

朝鮮半島で稲が栽培され、人口で増加する日本本土のコメ需要を支えました。米騒動などで不足しているのが明白だったので、組織的に朝鮮の人たちからコメを奪い、代わりに雑穀を当てました。

ですから日本帝国は、絶対に朝鮮を維持しなければならない宿命だったのです。

また、広大で平坦な満州では、大豆(食用油の原料)、高粱(食用・飼料)が栽培され、これらは日本にとって外貨獲得の手段となります。
他にも羊毛(毛織物の原料)、岩塩(ガラスや肥料の原料)を大量に産出するので
本土に運んで、工業に投入し、日本人の生活を豊かにしました。

大正昭和の日本帝国にとって、輸出商品が生糸・陶磁器ぐらいしかなく外貨が不足気味でしたから、勢力圏内に重要な資源や原料を供給してくれる地域が絶対に必要でした。

kaw********さん

2019/2/1607:55:09

割譲とは?

そんなこと教科書で習いましたか?

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