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日露戦争での旅順攻撃の何度かの失敗が 第三軍の参謀長の伊地知が無能だったから...

rir********さん

2019/2/2617:31:16

日露戦争での旅順攻撃の何度かの失敗が
第三軍の参謀長の伊地知が無能だったから、
と言われていますが、この鹿児島出身の
伊地知参謀長は、あの幕末の薩摩藩での
有名な伊地知の家族?親戚?ですか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ths********さん

2019/3/208:21:40

幕末の伊地知って伊地知正治のことかと思いますが、彼と伊地知幸介、日露戦争時の戦艦三笠艦長を務めた伊地知彦次郎は親戚ではありますが、大分昔に別れた親戚であり、遠縁に近い関係のようです。
なんせ伊地知氏は元々越前国(今の福井県)の武将だったのが室町時代に足利尊氏に仕えるも罪を得て処罰されるところ、同僚だった当時の島津家当主のとりなしで助かり、以後九州に渡って島津家臣となり、本家は大隅国に所領を得ています。
そうして幕末まで家臣として存続した一族なので分家が非常に多く、彼らの家同士の関係がどうなのかはよくわからないというのが実際のところではあります

後、伊地知幸介の能力に関しては坂の上の雲で大分間違った批判をされて低評価されてしまいますが、彼の批判の多くは見当違いや司馬の勘違いであることがわかっています。

28センチ榴弾砲を送るなと言ったという話は全く逆で、実際は「間に合わないかもしれないが送ってくれ」だったし、作戦を中々変えない頑迷さという話も、実際は第一次総攻撃をたった5日で止めて作戦方針を大きく変更している(当時の軍隊の組織構成では決めた作戦を5日で大幅変更することはできない。後年の第一次世界大戦でも西洋列強は何度も小手先を変えただけの作戦を繰り返して数年間戦っているし、児玉源太郎だって黒溝台や遼陽、奉天、紗河で前線からの報告を受けても信用せずに作戦を継続させ危機に陥いったりチャンスを逃したりしている)し、老朽変則と部下から批判されていたという話も実際は伊地知ではない別の人物に対する批判だったことが判明しているし(しかも批判者の手紙に書いているのは老朽変幻であり老朽変則ではない。司馬が見間違いをしていることが判明するというおまけ付き)、藩閥人事で出世したという批判も、実際は彼は欧州留学しているエリートで、砲術家というよりは情報参謀であり、日清戦争でも諜報面で功績を挙げている

などなど、最近では批判の多くは間違いであることが判明しています。

ただ軍参謀長の職が適任だったかといえば不適任だとは思います。
どうやら彼は参謀長として一番重要な、部下の参謀や麾下の部隊からの意見具申や作戦案取りまとめる事が不得手だったようで、実際第一次総攻撃失敗を受けて作戦を強襲から正攻法に変える際、麾下の師団参謀や工兵指揮官を集めて作戦検討をした際、強襲継続を叫ぶこれら現場の意見で会議が紛糾、これを参謀長たる伊地知はまとめることが出来ず、結局乃木軍司令官の決断で正攻法への変更が決定しています。

他にも性格が剛直だった事が評価を下げた一因だったようです

参謀「長」としては不適任でしたが、日清戦争等では参謀や情報将校として十分な実績を残しており無能な人間ではないと断言できます

  • 質問者

    rir********さん

    2019/3/412:15:46

    そうでしたか。
    なかなかお詳しいご回答、驚きました。
    確かに司馬遼太郎の「坂の上の雲」では伊地知幸介の
    評価が悪すぎで、「翔ぶが如く」でも上官の乃木希典も
    散々な評価でした。
    難しいでしょうけど公平に評価すべきだと思います。
    ありがとうございました。

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質問した人からのコメント

2019/3/4 12:16:06

感謝です。

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qqm********さん

2019/2/2617:39:42

先祖が優秀でも、子孫には、ぼんくらが生まれても仕方ない。

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