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古い話で恐縮ですが、トルシエジャパンの頃、3-5-2の両サイドに良くスピードも走力...

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ID非公開さん

2019/3/917:14:34

古い話で恐縮ですが、トルシエジャパンの頃、3-5-2の両サイドに良くスピードも走力もディフェンス能力も無いようなサイド向きでない選手をやたら起用してましたね。今更ですが、あれをどう思いますか?

アジアレベルならまだ良いですが、強豪相手だと両サイドが押し込まれて5バック気味になり、それでいてディフェンス能力も走力も無いなら良いパスは出せてもなかなか上がれないし、決定力無い上ツートップとトップ下ほぼ3人で攻撃する形となり易いですが、だからセットプレー以外であんなに点取れなかったんですね。
めちゃくちゃ遅いサイドチェンジもやってましたが、遅過ぎて何の意味も無かったですしね。
あれではCB3人の負担も大きく、サイドの裏も取られ易く、どうかと思います。

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blo********さん

編集あり2019/3/1216:10:48

解釈としてはサイドはウイングバックじゃないんです。

中盤の選手4人を横から並べ、加えてトップ下を置いただけです。

オプションとして、ウイングバック的な選手も持っておいたって話だと思われます。

その中盤4人で定着したのは、

●中央2人
・強さ(稲本、福西)
・守備(戸田、明神)
・ピッチ上の監督(名波)

●サイド各1人
・起点(名波、中村俊、小野、本山)
・バランサー(明神、伊東輝、望月、酒井友)
・オプション(三都主、三浦淳、平野、市川、波戸)

テストマッチでは色々試していましたが、01年コンフェデ杯以後は基本的には中央は強さ+守備、サイドは起点+バランサーでしたね。

トルシエは、デビュー戦で右サイドに伊東輝(身内に不幸があり結局は望月)を起用しています。また黄金世代を指揮した当初、彼らの高い技術と戦術理解力に感心しています。ですから総じて走力よりも技術でいこうと決めていたかもしれませんね。

その反面、当時マスコミが煽った、中村俊+名波+稲本+小野なんてことはせず、どちらかといえばリアリストでした。それに関しては理に適っていると思います。

もう一つ、リアリストが裏付けられる例として01年サン・ドニでの大敗直後です。いきなり走力に優れた波戸を招集し出しました。その後清水で好調だった市川、帰化が通った三都主を招集しました。当時鹿島で全盛期を過ごしていた名良橋は構想外でした。清水が3-5-2、鹿島が4-4-2であったことが要因かもしれません。

波戸招集と同時期に、ゼロックス杯でビスマルクを封殺した戸田も招集しました。名波のケガもありコンフェデ杯から不動のレギュラーにまでなるのですが、世界と戦う上で素晴らしい潰し屋でした。02年ワールドカップで名波とダブルボランチも想定していたでしょうから、名波の離脱は誤算だったでしょうね。トルシエは相当信頼していましたから。

攻撃はオートマティズムと呼ばれるもので、FWがボールを収めて落とし、左で作って右で決めると言われていました。ですから左サイドは起点となる選手が多かったですね。時間のかかるサイドチェンジよりも、敵陣が整う前にボールを前に進めることが多かったです。それは理には適ってるんですが、違う動き方をする人間(中田英など)が入ると機能が薄まりましたね。オートマティズムを機能させるには十分な戦術理解が必要でした。

守備はプレスで奪うか、オフサイドをかけてボールを止めるかが基本です。

理解不能だったのがトルシエはいきなり、しかも過度の敵へのリスペクトです。今まで築いたものを試さず、疑問が生じる選手起用、システム変更をしました(01年サン・ドニでのフランス戦、コンフェデ決勝でのフランス戦、02年ワールドカップでのトルコ戦)。

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質問した人からのコメント

2019/3/14 11:42:19

皆さん長文での詳しい回答大変ありがとうございました。
アジアカップの時はまさに名波のチームでトルシエも相当頼りにしてましたがその後残念でしたね。
左で攻める意識が強過ぎたのか、小野とか俊輔とか使ってましたね。
右には意外にも服部なんてこともありました。
中盤5人横一列に並べてたことまであって、迷走してたんでしょうね。
奇策のつもりか、大事な試合で試してないことやり出したりとかそこは仰る通り無いですよね

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yat********さん

2019/3/1219:39:22

フィリップ・トルシエはフランス人特有(失礼)の独善の権化でしたね。
そもそも,ピッチの横幅68メートルを3人で守り切れるわけがない。
単純に計算してDF一人当たり23メートルの幅を受け持ちますが,十数メートル向こうの,同じスプリント力の相手FWをカバーできるはずがない。
対戦相手が同格以上なら,当然,中盤5の両サイドが落ちてきて実質5ー3ー2にならざるを得ませんでした。
ラウンド16対トルコ戦(●0ー1)終了後のインタビューで,涙ぐんでいるのが印象的でした。
オシムとは比べるべくもなく,岡田,アギーレ,ハリルホジッチでももっと腹が据わっていました。
野心剥き出しでそれ自体は悪いことではありませんが,潜ってきた修羅場の違いを最後は感じました。

jiv********さん

2019/3/1100:29:55

トルシエ時代よりも後ですけど、マリノスの左サイドバックにドゥトラという選手がいました。守備が上手いのはもちろんですが、攻撃も単に縦に突破するだけではなく、真ん中に切れ込んでいってシュートを撃つこともあるし、パス出しも適確だし、左サイドにおけるゲームメイカー兼チャンスメイカーをやっていました。

トルシエもそういうプレーを要求していたんでしょう。もちろん、当時の日本にそこまですごい選手はいなかった(というより、サイドバックはこういうものという偏見が日本では強かった)んですが。

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nic********さん

2019/3/917:48:08

明神は守備力があったというか、
攻撃のほうは期待できないっていうタイプの選手でしたよ。

で、あのチームは所謂フラット3で、
中盤のプレス&オフサイドトラップが守備戦術であり、
3バックだろうが何バックだろうが、
そもそも最終ラインで守るという考え方ではなかったですね。

攻撃に関しては仰るとおり、
基本的にセットプレー頼み(トルシエ自身が認めてる)。
その手順は中盤で奪って今でいうショートカウンターを狙うか、
または早く鈴木に当てて彼のふんばりでファールをもらうか、
というやり方でした。

攻守においてそのような戦術なので、
まずはフラット3を機能させることが優先された起用だったんでしょう。
要するにサイドに走力のある選手云々といった「一般的な形」を、
必ずしも重視してなかったし、する必要もなかった。

勿論いい人材がいれば別だっただろうけど、
右サイドなら市川や波戸といった選手しかいなかったし。

そのやり方・考え方の良し悪しはともかく
(フラット3は既に時代錯誤の戦術で、個人的にはゲンナリだったけど)、
チームの戦術的な指向性と人材難が理由で、
ああいう起用になったんだと思いますよ。

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