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豊臣秀吉は淀殿を側室に迎える際に、淀殿が絶世の美女だったのもありますけど織田...

ang********さん

2019/3/1210:47:32

豊臣秀吉は淀殿を側室に迎える際に、淀殿が絶世の美女だったのもありますけど織田信長の姪っ子ですから織田家と関係を良好に保つ為にあくまで政略結婚の形もあったと思いませんか。

単に淀殿が美人で若いからだけでは無く、秀吉は考えていたと思う。

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ook********さん

2019/3/1220:33:29

肖像画を見る限りお市は当時の美女の条件を兼ね備えているので美女だったと思えるし母にそっくりな淀殿も同様でしょう
ただ信長の他の弟や妹も記録に残るレベルの美形だから単純に織田家は美形一家だっただけなので秀吉は美女だから、お市の娘だからという理由で淀殿を側室にしたわけではないと思います

秀吉は織田一族では信長の娘三の丸殿、信長弟で織田をまとめていた織田信包の娘姫路殿を側室にしましたが三の丸殿は幼く、姫路殿は父信包から差し出されたとはいえ織田家臣時代に側室にしたことから姫路殿の母は身分の低い秀吉を嫌い娘を一時引き取ったりと揉めてます
そのため天下取りを果たした秀吉に更なる関係強化や補強策として信包は保護者として長年養育していた妹お市の長女を姫路殿の予備として秀吉側室に送り込んだのではないでしょうか
つまり秀吉でなく織田信包側からの政略結婚だったのだと思います

質問した人からのコメント

2019/3/19 00:14:07

力関係的にもあったでしょうね。

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the********さん

2019/3/1417:29:03

織田家と良好な関係を結ぶ必要があったなら、側室ではなくて正妻にする。

最上氏が秀次に可愛い娘を差し出したのと同様、基本的には力関係に過ぎない。
織田家臣団が、秀吉が織田信長の姪を「側室」にすることに反対できなかった。

秀吉の力を誇示するもの。京極氏の姫であろうと浅井氏の姫であろうと、当時の秀吉の妾に差し出された。


茶々の母、市の方は浅井長政・柴田勝家の『正室』で婚姻関係にあったが、
茶々は側室・妾の地位でしかなかった。(政略『結婚』ではない)

秀吉の妹/朝日は、家康の正妻。茶々の妹は秀忠の正妻(先妻は信長の孫娘)。

ここでも、秀吉と家康との力関係を見せつけようとした。
秀吉が妾にした血筋でも家康家は正妻として婚姻関係を結ばせた。


また、「淀殿が絶世の美女だった」のは江戸時代の創作と言う説があるし、
織田系美人のお市の方にくらべ、浅井系面立ちの茶々は(当時の好みからしても)絶世の美女とまでは言い難い肖像画の存在が言われている。
その肖像画が江戸期作であればまた意を持った創作ともいえるか。

ban********さん

編集あり2019/3/1400:17:30

淀殿が絶世の美女だって、誰が言ってました?
茶々の価値の九割九分までは「信長の姪」だってことです。かつて自分が犬のように(いや、サルのように)仕えた雲の上の主人の家の「お嬢様」だから、秀吉は執着したんです。自分の人生への復讐、みたいなもんです。「ついに俺は、アイツを超えたぞ」ってことです。
それはまあ、絶世の美女といわれたお市の方の娘ですから、美人じゃないはずがないですが。
ちょっと待て、お市が絶世の美女だって、誰が言ってました?
みんな言ってる? それは、信長の妹だからですよ。位の高い女性への「ハロー効果」です。
秀吉も勝家も若い頃からお市に惚れていた、というのは、後世の創作です。本能寺のあとでお市を勝家と再婚させたのは秀吉、という説もあります(少なくとも、秀吉を含めた重臣一同の周旋です)。
さらに、日本では、悲劇的な運命の女性を「美人」としてカサ上げするものです。「戦国一の美女」と言われているということは、戦国時代でいちばん可哀想な目に逢ったからです。
お市の方は、小谷城と北ノ庄と、二度の落城を経験しています。二度とも夫をなくし、二度目では自分も死んでいます。いくら戦国時代でも、二度は珍しい。こういうひとは鎮魂の意味を込めて「美女」と呼ぶのが、日本の風習なんです。
ところが、このお市を上回る、「生涯で三度の落城経験」という記録を持つ女性がいます。
もちろん。淀殿のことです。これはもう「絶世の美女」と呼んであげなければ、化けて出てきて祟られるでしょう。
淀殿については、後世の物語では壮絶な下駄を履かされていることが容易に想像できます。
茶々が正直、どれくらいの容姿だったかなんて、分かりませんけど。秀吉にとっては、あの信長の姪というだけで絶世の美女に見えたに違いありません。同じ顔でも、ぜんぜん違う家の生まれの女性だったら、別に何とも思わなかったでしょう。
秀吉は「美女好み」と言われていますけど、実際に側室として集めた女性は、みんな身分の高い(あるいは没落したけどかつて身分の高かった)家の娘ばかりです。街から身分は低いけど美しい娘を探し出してきて、ということは全くありません。
ということは、秀吉にとては「女性は身分がすべて」だってことです。というか、親の身分の高い女性は、美女に見えちゃうんです。秀吉は、そういう根性の男です、所詮は。

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jun********さん

2019/3/1212:05:23

もちろん、それは大きかったでしょう。
秀吉の家臣の多くは、織田家の旧家臣団です。
従って、織田家の血を引く姫が、秀吉の子を産めば、
より強固な忠誠の対象になります。
実際、淀殿の他にも、信長の娘の三の丸殿や、
織田信包の娘の姫路殿など、織田の血を引く女性を、
多く側室として迎えていますから、
秀吉としたら、彼女らとの間に子を成して、
豊臣の血と織田の血を融合させたかったのだと、
考えられます。

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