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百年戦争ってなんで長引いたんですか?

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ID非公開さん

2019/3/1306:52:06

百年戦争ってなんで長引いたんですか?

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cel********さん

2019/3/1317:25:25

やや乱暴ですがわかりやすさの為に簡略して言うならば、「フランス王がフランス国内に、実効的な支配を及ぼせるようになるには、それだけの長い年数が必要だった」という事になると思います。

まず、百年戦争と言っても、百年間ずっと戦争をし続けたのではない、というのはご存知と思いますが、ザクッと言って、三つの段階に分かれます。

(1)1337年の開戦から1360年のブレティニー・カレー条約まで

イングランド王ヘンリー2世が、フランスの約半分を形式上はフランス王の臣下として領地として持っていたのはご存知と思います。これは、彼が、父が元から持っていたアンジューと征服したノルマンディーを父から、妻の持つアキテーヌを共同統治者として、イングランドは母方の祖父ヘンリー1世から内戦の結果、それぞれ手に入れていたものです。が、ヘンリー2世の子であるジョンの時に、大陸領土の大半をフランス王との戦争の結果奪われていました。(それでもまだそこそこ大領主だった、とは言えますが…)

イングランド王エドワード3世が戦争を始めた理由は、フランドル地方を巡るフランス王との争い、支配下に入れようとしていたスコットランドをフランスが支援した事、などいくつかありますが、直接的には、上記のイングランド王家に残った大陸領土をフランス王が没収すると宣言した事です。つまり、フランスに残った(イングランド王家からしたら)旧領の一部も、フランス王が取ろうとした、というのが直接的なきっかけです。(それ以前に様々な要因で対立はしていましたが…)
そして、概ね戦争はイングランド優勢に推移し、ヘンリー2世の頃の旧領には及ばないものの、ある程度取り返した条件で講和したのが、1360年のブレティニー・カレー条約です。

(2)ブレティニー・カレー条約以降の約半世紀

この期間は、戦争が皆無だった訳ではありませんが、概ね休戦状態が維持されました。むしろ、この期間の出来事として重要なのは、フランス国内で、王の後見(つまり国内の主導権)に関して、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立が生まれた事です。

(3)1415年から戦争終結(1453年)まで
ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立に於いてブルゴーニュ派を支援していたイングランドのヘンリー5世は、その対立が内戦状態までエスカレートした状況を利用し、フランス王シャルル6世に対しノルマンディーを要求し、そこから本格的戦争が再開されました。フランス側の分裂もあり、イングランド&ブルゴーニュ派連合軍が優勢に戦争を進めるも、ジャンヌ・ダルクが登場して(それ自身にどれだけの効果があったかは別として)フランス王(&アルマニャック派)が危機を脱したのはご存知と思います。
そして、1435年にはブルゴーニュ派とフランス王が和睦を結ぶと、イングランドの不利は明らかとなり、結局はドーバーの対岸にある港町カレーを除く全ての大陸領土をイングランド王家は失う結果で、百年戦争は集結しました。


…という訳で、全般を通じて(より正確にはジョン王の頃から考えて)言える事は、フランス王家がフランス全体に支配を及ぼそうとする過程で、フランス王の臣下としてフランス内の大領主だったイングランド王家を(敢えて、わかりやすさの為に乱暴に言えば)追い出そうとした、しかしそうそう簡単にはいかず、更にアルマニャック派とブルゴーニュ派の対立にイングランドが付けいった結果、かなりピンチにはなったものの、最終的には追い出す事に成功した、という様に理解する事が出来ます。



ところで…

百年戦争の頃の『国』を、近現代的なイメージで捉える事は勿論出来ません。王権の強弱は国及び(その国でも)時代によってかなり差はありますが、「封建制」というのは、王の権力が諸侯の領土には直接及ばない、そこに本質があります。国王の排他的権力がその国内全体に及ぶのは、絶対王政以降です。これがヨーロッパ史の大きなテーマであり常識でもあります。

百年戦争も、第三期は、現在の感覚でも、フランスの内戦にイングランド王が介入して領土の拡大(あるいはフランス王になる事まで)を狙った、と言えますが、第一期も、イングランド王家は、偶々イングランドを自分の領土としてもっていただけで、(それ以外の対立要因を無視すれば)フランス内の国王VSその臣下の中の有力者の戦い、と見る事もできます。

また、フランス王権は百年戦争に勝利した事で確立されたのに対して、イングランド王権は百年戦争に負けた事で、大陸での領土保全に力を注ぐ必要が無くなったという意味でそれが王権確立に寄与した、と言えない事もないかも知れません。その点、ドイツは、皇帝がイタリアを勢力圏に入れようと苦闘している間に、肝腎な本拠であるドイツ国内での諸侯の自立性が高まってしまった、という整理も可能でしょう。

ただ、近現代的な意味での「国家」ではない、というのはこの時期の英仏に限った話ではないので、百年戦争だけをわざわざ『戦国時代』と呼ぶ意味があるのか、単に近現代以前の「国」を、今のイメージでは考えちゃイカン、と思っていればいいだけじゃないか…、というか、そう理解するのが中世ヨーロッパ史の基本じゃないか、という気もしないでもないです…

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wak********さん

2019/3/1307:20:01

1)イングランド王がフランスに莫大な封建領土を持ち、この両国が文化面、政治面、経済面で密接に関わり合っていたため。
2)フランス国内、イングランド国内の分裂と対立が相互に絡み合い、一度落ち着きかけてもまた新たな内戦が始まってしまった。
3)この間の大半は戦争状態には無く、ただその間に同じ性格の戦争が何度も繰り返された、その期間が100年余りと言うことです。

つまりこれは、まだ近世的な意味での国家が確立されていなかったイングランドとフランスの、双方の王と領主を巻き込んだ「戦国時代」なのです。二つの国の戦争と考えるとなかなか理解できない。英仏を巻き込んだ巨大な内戦がダラダラ続いたと思う方が理解しやすい。この結果、イングランドとフランスという、互いに異なった二つの国家が成立した。それゆえその後封建的分裂の続いたドイツとは、西欧は異なる道に進むことになったと思うのが多分正しい。

封建的分裂が戦国時代を通して一つの統一にまとまった日本。同じ道を通っていくつかの核にまとまった西欧。分裂のまままとまらなかったドイツ。そう理解することにしています。

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