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日本の文明が畿内で始まったのは天災もなく住み心地が良かったからですか?

tan********さん

2019/3/1704:48:44

日本の文明が畿内で始まったのは天災もなく住み心地が良かったからですか?

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num********さん

2019/3/1710:42:09

そもそも日本の文明は畿内から始まっていないでしょう。

縄文時代は、遺跡が圧倒的に東日本の方へと偏っています。
鬼界カルデラの世界レベルでの大噴火によって九州の縄文人はほぼ全滅し
西日本の多くがまともに住めない土地になっていました。

弥生時代は、大陸に近い北部九州の方から文明と人が流入し
日本の文明をリードしています。

大和王権が奈良から大きく発展できたのは
灌漑技術の発展により平地の湿地帯開発が進み、
海へのアクセスが良い割には海からの塩害がなく
広大な平地が広がっていた奈良盆地が最適だったからです。
当時は、大阪湾に繋がる汽水湖が生駒山の麓まで入り込んでおり
すぐに海にアクセスできました。
この大規模水田開発による収穫量の飛躍的向上と
大阪の港を利用した交易力によって大和王権は急速に発達したのです。
むしろ、それまでは大湿地帯を持て余し、頻繁な水害に悩まされる
その他大勢の勢力の1つに過ぎませんでした。

ただし、湿気を含んだ盆地は
夏は蒸し暑く、冬は底冷えがして、決して住み心地は良くありません。
その後に湿地や湖の開拓が進んで発展した京都盆地も同じです。
『魏志倭人伝』に「冬でも生野菜が食べられ、裸足で過ごしていた」
と書かれている北部九州の方がよほど過ごしやすいしょう。

また、日本海側より遥かに地震が多く、
599年:奈良で推古地震(M7)。家屋倒壊
701年:京都・兵庫で大宝地震
734年:生駒断層直下型の畿内七道地震(M7)で死者多数
827年:京都で地震(M6.5~7)
868年:兵庫山崎断層帯で播磨国地震(M7台)
887年:7/29京都で地震(M6.5)
887年:8/22南海トラフ全域(?)で五畿七道諸国大震(M8~8.5)
京都・大阪・兵庫を中心に死者多数。
938年:京都で地震(M7)。死者あり
976年:京都・滋賀で地震(M6.7以上)。死者50人以上
などが記録されています。

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gen********さん

2019/3/1708:57:39

とりわけ自然災害が少なく住みやすいわけではないと思います。
難民が瀬戸内海を西に逃れれると、行きどまりが奈良盆地。そこにたまたま稲作に適した大平野があったので住み着いた。当時は陸路が整備されていなかったから、水路で自然とたどり着ける吹溜りのような場所に人、物、文化や技術が集積された。古代の先進地域と言われる出雲、越なども日本海を隔てて同じことが言える。

pik********さん

2019/3/1706:34:09

日本の文明の多くは、または一部は、いわゆる関西地方が起源です。

その理由の一つは、関西地方は地表が薄く、地上に住む人間とマグマとの距離が近いので、いつも熱せられているからと言われています。

kaw********さん

2019/3/1705:44:13

秀吉の伏見城(桃山)は慶長大地震で一瞬に倒壊しましたけど。

阪神大震災どころでなく災害はめちゃくちゃ多いです。

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