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最強の漢文セクション4(呂氏春秋) ①線部(2)は、使役の構文ですよね。なのに、なぜ...

sna********さん

2019/3/2110:46:11

最強の漢文セクション4(呂氏春秋)
①線部(2)は、使役の構文ですよね。なのに、なぜ、秦が主格になるような訳になるのでしょうか?
訳は、
もし、秦が河内を求めてきたら、王様は、河内を(秦に

)与えようというおつもりですか?

となってます。
使役なので、「秦に、河内を求めさせる」的な訳になるのではと一瞬思いました。文脈的にはおかしいですけど

②孰与
の構文についての解説をお願いいたします。
この構文の上にくるものと、下にくるもののどっちが重要さが大きいのとかについてです。

③この時代には、どっかの国の王が覇者になったら、他の国の王が挨拶にいかないといけない的なルールがあったんですか?
ここの段落(Ⅰ)の背景知識がいまいちわかりませんね。
秦は、魏を騙して、魏王を殺そうとしたんですね?
覇権を磐石なものにするために

構文,河内,秦,おつもり,主格,魏王,孰れ

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plm********さん

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2019/3/2218:20:25

この写真だと、送り仮名や返り点が見えず、
問題集がどのように読んだかわからないので、
今度からは、もっと大きな写真を上げて下さい。



使役構文ですが、直訳すると
おかしな日本語になるので意訳しています。
使役は、命令してやらせるというだけでなく、
そういう行動をとることを
許可するという意味も含んでいます。

この呂氏春秋の文の使役構文は、
自分に不都合な行動を相手が取ることを
許してしまうという意味です。
日本語でも、例えば
「犯人に好き勝手させる」
という風に使役表現を使います。
それと似たようなニュアンスです。

領土の割譲を要求するというのは、
相手が弱いとなめている証拠です。
「秦が河内の領土を要求するという
なめた態度を取る事を
我ら魏が許してしまったとして、
王様は、河内を割譲するおつもりですか?」
というような意味ですが、
これでは訳文があまりに冗長ですので、
「もし、秦が河内を求めてきたら、~」と
意訳しているのでしょう。

②孰与
「A孰与B」は、「AはBと比べたらどうか?」という意味です。
どちらかというとBの方が優れているんじゃないかという
ニュアンスを含んだ表現のようです。
しかし、
「孰与君少長。長於臣。」
「君の少長にいずれぞ。臣より長ぜり。」
「(項伯は)そなたと比べて年少か年長か。
私よりも年長です。」
という例文では、別にBの方が優れているというような
意味合いはありません。
ですから、いつでもBの方が優れている
というわけでもないと思います。



春秋の五覇・戦国の七雄というように、
覇者は春秋時代の実力者の名誉称号のようなものです。
一方で、この文章で語られているのは、
春秋時代の次の戦国時代の紀元前288年に
西の強国の秦が西帝を称し、
東の強国の斉が東帝を称したときのことのようです。
ですので、この時の秦王は覇者ではありません。
むしろ戦国の七雄から、さらに一つ抜きんでた実力を
備えるようになった状態でしょう。
ウィキペディアの「昭襄王 (秦)」のページを参考にしてください。
なかでも「西帝自称」の項目の前後を読んでみて下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E8%A5%84%E7%8E%8B_(%E7%A7%A...

弱い国が強い国の属国になると、
弱い国の君主は強い国へあいさつに行くことになります。
ただ、この時は、魏が完全に
秦の属国になったというわけではありません。
そのことをⅡの1の文章が説明しています。

Ⅱの四角1の文は、
Ⅰの文の四角1の部分の注釈です。

以下は大学レベルなのでわからなくてもかまいませんが、
興味があるかもしれませんので、参考までに
呂氏春秋の古い本の画像を紹介します。

https://zh.wikisource.org/wiki/Page:Sibu_Congkan0423-%E9%AB%98%E8%A...


本文の「誕魏王」の下に小さい文字で、
本文の一行分の幅に二行で注釈が書かれているのがわかると思います。
こういうのを割注といいます。
割注の部分がⅡの文章です。
以上、注についての大学レベルのお話しでした。

では、その注釈の文を訳します。
「許綰は秦の臣である。
秦王はこの段階では、まだ本当には
皇帝にはなっていなかったけれど、
許綰は、秦王が皇帝になったと魏王をだまして、
秦王に挨拶に行かせようとした。」


魏は、属国ではありませんでしたが、
4年前に秦との戦争で大敗して
国力が大きく傾いた状況だったようです。
一方、秦はやがて始皇帝が登場して天下統一をはたしますが、
そこへむかって国力が充実していく時期にありました。
それで魏王は秦王に挨拶に行ってなんとか機嫌を取って
戦争をしかけられないようにしたかったのでしょう。

秦は魏王を殺そうとしたのでは
ないだろうと思います。
魏王が入朝すれば、魏王は秦王が皇帝と認めたと
国際社会に宣伝して、自称の西帝の称号を
本物にできるかもしれません。
逆に殺してしまえば、その後、
どの国の君主も秦に入朝しなくなりますし、
それどころか、諸国が一致団結して
秦に敵対するかもしれません。
秦王としては魏王を殺すよりも
生かしておいたほうがメリットが大きいでしょう。
ですから、魏王は秦に入朝しても
殺される可能性は小さかったでしょう。

しかし、魏の臣下としては、
それは容認しがたかったのでしょう。
秦の荘襄王は以前に入朝した楚の懐王を
拘束した前歴があります。
魏王が秦に行けば、そのまま身柄を拘束されて
人質にされる可能性はゼロではありません。
魏王が人質にされ、解放の交換条件で、
重要な領土の割譲を要求されるかもしれません。
領土よりも身の方が重いと言っていますので、
もしそうなったら、魏は
その要求を飲まなければならなくなります。
そういうリスクは冒せないという
判断だったのでしょう。
でも、結局、この二年後に秦から戦争を仕掛けられて
安邑という領地を失ったとウィキペディアに書かれていますね。
結局、魏王がこの入朝しようがしまいが、
やがて秦に滅ぼされる運命にかわりはありませんでした。

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fuu********さん

2019/3/2222:37:38

余計なようですが、私からちょっと付け足しを。
①は、使役を用いた仮定で、句形の参考書の仮定形を集めた項を見ていただけば、必ず出ています。お示しの例では「若」という仮定を表す接続詞が付いているので分かりやすくなっていますが、こういうものの付いていない(すなわち使役だけを用いた)仮定の表現もあります。
②も、句形の参考書の比較形・選択形の項をご覧になれば、「A孰与B」という表現では「B」の方がましだと言っているのだ、ということは載っています。
ただし、お示しの文は、前のplm********氏のおっしゃっているように、「AとB、どっちが重いですか」と尋ねているだけです。
余談ながら、「A与B 孰~(AとBと 孰れか~)」という本来の形から、「与B」が後ろに移動してできたのが「A孰与B~」という表現です。「河內孰与梁重」は「河内与梁孰重(河内と梁と 孰れか重き)」と言い換えれば意味が分かりやすくなると思います(「以」は「思う」という意味で、文全体にかかっていると思います。いまはややこしいので、ちょっと省きました)。同様に「梁孰与身重」は「梁与身孰重(梁と身と 孰れか重き)」と考えれば分かりやすいと思います。

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