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恩を仇で返す戦国武将といえば?

邪神さん

2019/4/1209:22:44

恩を仇で返す戦国武将といえば?

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goo********さん

2019/4/1220:29:14

① 齋藤道三。

最近の研究では僧侶から還俗し油商人となって美濃で活動し、守護代の長井氏に取り入って家臣となる…、という今までの通説は否定されそれは道三の父の事績だとなっている。

それでもその後を継ぎ、主君の土岐氏を追い出して美濃を奪ったことは事実である。父が受けた恩を息子が仇で返したわけ。


② 松永弾正久秀は恩を仇で返すというより、裏切ることが大好きでそれが趣味のような性格破綻者だと思う。

③ スケールは小さくなるが主君の大内氏を滅ぼした陶晴賢も上げられよう。彼は主君に可愛がられていたにも関わらずである。
そんなもんだから、周囲の支持は少なく、結局毛利元就に滅ぼされた。

④ 他の回答に龍造寺隆信の名が出て頭に浮かんだのだが、隆信の家老だった鍋島直茂。
主君隆信が島津との戦いで戦死、首まで取られるという一大事が起きた。
それを家老直茂がお家立て直しに尽力し、何とか龍造寺家は滅びずに済んだ。
しかし、後を継いだ龍造寺政家が凡庸であり、秀吉の時代になると朝鮮の役に出陣するも大した手柄を立てることが出来ずにいて、秀吉の不興を買った。秀吉が政家を処罰しようとしたとき、直茂はうまく秀吉に取り入り、その政治力の巧みさで龍造寺を何とか救った。

ここで直茂に野心が芽生えたらしい。その実力に龍造寺家家臣たちは次第に直茂に接近するようになる。秀吉に政家隠居の命令を出してもらい、まんまと龍造寺家の実権を得た。この時の政家はまだ三十代で隠居する年ではない。
一応後を政家の嫡男の龍造寺高房が継いだが、高房はまだ要衝なので際に鳴るまで直茂が代わりに領主代行を務めることになった。

時代は家康の時代になったが直茂は成人した高房に政治の実験を明け渡す約束を反故にした。幕府にもうまく立ち回ってそれを黙認させた。

龍造寺高房は何度か幕府に政権奪回を望んだが無視された。挙句の果てに高房は絶望し妻とともに自害を試みた。その時は死ななかったが結局は傷が悪化して死んだ。
隠居していた前領主の政家も息子の死にショックを受けほどなくして死んだ。

これによって鍋島直茂は龍造寺家をまんまと乗っ取った。

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sar********さん

2019/4/1218:44:17

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going_mywayさん

編集あり2019/4/1217:32:21

肥前の熊こと龍造寺隆信。

隆信は若い頃主君である少弐氏に謀反の疑いをかけられて祖父と父を殺された時、筑後柳川の蒲池鑑盛の下に亡命し、彼の協力によって佐賀の領主に返り咲くことが出来ました。

しかし後年蒲池氏が邪魔になった隆信は恩人たる鑑盛の子で娘婿でもある鎮漣を謀殺した上に自分の娘諸共蒲池一族を徹底的に滅ぼしました。

この処置に対して筑後の国人達は強い反感を覚え、龍造寺の家臣団からも龍造寺家を滅ぼし兼ねないとの声が上がったそうです。

安藤昌益さん

2019/4/1211:56:33

一番著名なのは松永弾正少弼久秀。下克上の権化といっても過言ではないと思われる。
有名どころで中国大内氏を半壊に追い込み、毛利元就に厳島で討たれた陶晴賢。主家南部の一門衆を殺害し独立、次いで浪岡氏を滅ぼして戦国後期に東北情勢に滑り込んだ津軽為信。外交のためなら自身の姉や娘の嫁ぎ先である同盟国も裏切った武田晴信あたりでしょうか。

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pwb********さん

2019/4/1210:40:39

みんなそうですけどね。

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