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マムルーク朝のスルタンは後半からコーカサスのチェルケス人が治めるようになりま...

cim********さん

2019/4/2712:00:03

マムルーク朝のスルタンは後半からコーカサスのチェルケス人が治めるようになりました。このスルタンの一族はどのようにしてエジプトに入ったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

did********さん

2019/4/2823:14:42

マムルーク朝の後半、つまりブルジー・マムルーク朝を創始した
バルクークのことを調べれば答えが分かりますよ。
マムルークとは軍事奴隷のことですから、
マムルーク朝のスルタンたちは皆、
かつて奴隷商人に買われてエジプトに連れて来られた奴隷であったか、
あるいはその子供ということになります。
その奴隷が権力を握ってエジプトを治めたのがマムルーク朝です。
これは「王朝」とは言っても奴隷王朝ですから、
必ずしも世襲する必要はありません。
だからこそ、実権を持つスルタン以外に、
わざわざカリフを立てて権威の象徴としたのです。
特にブルジー・マムルーク朝では、
スルタン配下のアミール(司令官)たちの互選によって選ばれた
第一人者が次のスルタンになることが多かったため、
「スルタンの一族」というものは存在しないのです。
(世襲が全くなかった訳ではありません)
バルクークはたまたまチェルケス人だったので、
彼の配下のブルジー・マムルーク軍団もチェルケス人たちでした。
そこから選ばれるのですから、当然チェルケス人ばかりになります。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

nan********さん

2019/4/2723:30:03

歩いてエジプトに渡った。

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