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高校の倫理の内容についてです。アリストテレスは人間をポリス的動物とした一方で...

tqe********さん

2019/4/2015:45:25

高校の倫理の内容についてです。アリストテレスは人間をポリス的動物とした一方で、観想的生活が最も幸福だとしました。そうすると、ポリス的に生きることはあまりよろしくないと考えていたということになりますか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

i_s********さん

2019/4/2314:26:57

以下回答とは言えない、疑問のコメントです。

ポリス的動物とは、ポリス的生活をする動物、と言い換えても外れてはいないとしても、それが「観想的生活」と齟齬を来すとは言い難いのではないか。言わば次元が異なる。
たとえば、哲学者であろうと芸術家であろうと、ゴミは分別して出すべき、ということに変わりがない。
人が何を幸福と見なすとしても、それは、人間がポリス的動物である、という埒内にあるはず。

以上のような見方から、
>そうすると、ポリス的に生きることはあまりよろしくないと
---と、言われる意味が解しがたい。「ポリス的に生きる」とはどういうことを質問者さんは考えているのか、
と思いました。

しかし、よく考え直してみると、むしろアリストテレスが言う観想(テオーリア)の方が問題ではないか、と思えてきます。アリストテレスにとっては、人の活動の目指すべきものが「善」、その究極に位置するものが最高善=幸福としている。その幸福の究極が、観想(テオーリア)であるとするなら、じゃあその観想は何に向けられたものなのか。観想も活動の一種なのだから、それには対象があり向かう先があることになる。しかしそれはまずい。究極目標の先に目標があっては究極じゃなかったことになる。

アリストテレスの言う究極という所には「神」がいて、「神の活動=テオーリア」の類似を人間がする、という見方がある。そのあたりチャンと読んでみようという気は私には起きないので、質問者さんの疑問も理由がないとは言えない、ということで良いのじゃないか、と。

  • 質問者

    tqe********さん

    2019/4/2500:54:54

    ポリス的生活=他人と関わる
    観想的生活=他人と関わらない
    となると二律背反となり、どちらかを批判したのかな?と思ったんです。あくまで観想的生活は理想で、現実問題としてポリス的に生きざるを得ないということなのでしょうか?

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ベストアンサー以外の回答

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tyu********さん

2019/4/2401:48:36

アリストテレスはポリス的=政治的で行動実践的なものを幸福感と結び付けて考えました。ざっくり言うと幸福とは個人の状態ではなく、社会の状態と関係が深いということです。自分ひとりが幸せでも、周りがみんな苦しそうなら、それは自分にとっても幸せとは言えない。と、こんな調子です。

しかし、アリストテレスの崇拝するソクラテスは実践の末に民衆に疎まれ、殺されてしまいました。民主主義国家におけるソクラテスの殺害という経験が、後の後継者に重くのしかかり、プラトンは天(イデア)と地(現実)を分け、地には真実は一片もないと断言するに至ります。アリストテレスはその地(現実)の中にこそ本質はあるのではと考え、師匠プラトンを批判したのです。アリストテレスも人間ですので、頭では分かってはいても、つい地=民衆に対する不信が滲んでしまい、結局、観想的生活=イデアを最後まで乗り越えられなかったのだと思います。

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