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カトリック・プロテスタントのクリスチャンの方にお聞きします プロテスタント...

ful********さん

2019/4/2421:53:18

カトリック・プロテスタントのクリスチャンの方にお聞きします

プロテスタントは信仰義認で
良い行いをしたりすることによって聖化されるではなくて
全ての罪が許されるといいます

義となるのでさえなく、義と認められるといいます。
義と認められても、依然と、神と一致しない
不純な部分があると思います。

それに対してカトリックの方は
天国で神様と完全に一致するためには
洗礼を受けても不純物が自らの中にあるーー
だから神様と完全に一致する期間として
煉獄があるといいます

プロテスタントのかたは
洗礼を受けた時点で神様と完全に一致する
自分になるのですか?
カトリックみたいに清めの期間がいらないのですか

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ベストアンサーに選ばれた回答

chi********さん

2019/4/2511:08:45

プロテスタントについてもカトリックについても、教理の誤解があるようです。
もう一度勉強し直してください。

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ベストアンサー以外の回答

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blv********さん

2019/5/112:06:29

信仰によって義とされる必要もありますが、行いによっても義とされる必要があります。(マタイ7:21、ヤコブ書等参照)

行いができていないクリスチャンは、復活して千年王国の時代に訓練されることになります。

その訓練の結果、すべてのクリスチャンが成就されて

新しい天、新しい地の時代に、新エルサレム(神の王国)に入ることができます。

昔の神学者のアタナシウスという人の言葉に

神が人となったのは、人が神となるためである という言葉があります。

人が神化しないと新エルサレムには入れません。

aku********さん

2019/4/2516:29:12

横レスで失礼します

私は今日神を見ました
下の方です

お金の方の書き込みは
たとえ自分が絶対出会って相手の宗教が間違っていると思っていても
何々を信じていますというスタンスで書いておられます
そして他の宗教もちろん無神論であってもそれに対する敬意が感じられます

私が絶対的に正しい
他の宗教はまちがっている
と言ってはいけないと思います

私はカトリックを信じている
私はプロテスタントを信じている
私は神がいないということを信じている
私は共産主義の世界が実現することを信じている
と信じているというのが正しい言い方だと思います

私はありてあるもの
絶対正しい
と言えるのは神様だけだと思います

私は勉強してすべてを知っている

素晴らしいですね
あなたは絶対者ですね

the********さん

2019/4/2508:52:58

>神様と完全に一致する

これは聞いたことがないのでよく分かりません。

キリストは、
「水浴した者は既に全身が清いのだから、足だけ洗えばよい。」と言われ、「足を互いに洗い合いなさい」と言われたのです。
ということは、煉獄に行かなくても、信者同士で清くし合うことが出来るということですよね。
お互いにかかわり合いながら、戒め合い、支え合い、祈り合い、愛し合う中で、私たちは清められていくのだと思います。

『イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 ・・・ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。』
ヨハネによる福音書 13:10 , 14 新共同訳

神様と天国で共に過ごすために、「新しい朽ちない体」に変えていただけるのは、「キリストの再臨の時」のようです。(第一コリント15章後半)

人が「義」と認められるのは、「行い」によらず「信仰」によりますが、聖書は「信仰には善い行いが伴う」ということを示しています。

すべてをご覧になられる神が生きておられ、日々、私たちを見ておられることを信じているのに、悪いことを出来る人はいないと思いますよ。自然と善い行いをするようになると思います。

信仰義認↓
『人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
・・・イエスを信じる者を義となさるためです。 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。』
ローマの信徒への手紙 3:23 - 24 , 26 - 28

a15********さん

2019/4/2507:10:05

いくつかのトピックに分けて説明します、

1.信仰義認について

信仰義認とは、「☓信じた結果として義と認められる」のではなく、「◯決してゆるされるはずのない罪人である自分が、恵みによって義と認められていることを信じる」と言う意味です。つまり、罪人である自分が決して得ることの出来ない神の義を神様がプレゼントしてくれる、と信じることを意味します。

2.義認について

プロテスタントとカトリックの神学的相違点です。プロテスタントは義認を一回限りの天の法廷における無罪宣告としています。つまり有罪か無罪かで中間は無い。ある人が別の人よりも「より、もっと、さらに義である」とも言えない。つまり「善行を積んだAさんは、信者になったばかりのBさんよりも、より義である」と言うのはプロテスタント的には間違い。

ところで義認は時間的にいつ起こるのかは、あまり重要な問題ではない。私達は「義と認められた」ことを信じ、現在「義と認められる」存在であり、将来において「義と認められるだろう」ことを信じています。単純に「△信仰を持った時に義と認められ、信仰を持つ前は義と認められていなかった」と考えがちですけど、そうも言えるし、そうは言えない。それは、自分サイドから見たときと、神様から見たときの、見解の相違みたいなもの。

3.聖化について

聖化とは、信仰を始めた人がキリストに似たものに変えられていく成長のプロセスです。聖化を信仰の証としてみることが出来ます。しかし、聖化は救いの条件ではありません。また、時間的に、「義認」→「聖化」→「栄化」と見るのも単純すぎます。あんまり「ああしてこうしてそうすりゃどうなる」とか杓子定規に考えないほうがいいね。

聖化はこの世界では決して完成しません。私達は常に自分の罪の性質からくる問題を抱えたまま生きていかなければなりません。「だからこそ」救ってくださるのです。つまり、自分のうちには神の義と認められる要素は一切ない。これを信じるなら、あなたも信仰義認を理解したことになる。

4.煉獄について

忘れましょう。

xrj********さん

2019/4/2504:03:58

神様の言葉を聞くこと
聖書では神は言葉であると書かれています
創造主の言葉を伝えに来た方がイエスキリストです
イエスキリストの言葉を聞く事
それが人生でもっとも大事なことです
自分の考えではなく神様の言葉
神様の言葉に耳を傾けることです
そこに人生の答えがあるのです

だんだんと白くされるのです
すぐには白くなりません

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