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創価学会員の方のみ回答願います。

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ID非公開さん

2019/5/523:19:48

創価学会員の方のみ回答願います。

祈伏しないと祈りは叶いませんか?

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tub********さん

2019/5/607:24:12

創価学会では「折伏」は使いません。死語になっています。
「仏法対話」に変えました。

「御書」根本にして居りますが「折伏」をしないと、祈り、願いは叶わない
・・・一文の記述も有りません。

しかし、入会するのは相手の都合です。入会に関わらず「下種」=仏法対
話するのは、法華経の行者の使命です。必然です。
「我も致し、他人をも教化候へ」 「力あらば、一文一句たりとも語らせ給
うべし」と下種の重要さは御書に記述されています。

広宣流布とは、仏法対話が基本・根本です。自分だけ信心すれば良い=エ
ゴです。仏法は利他の実践なのです。自分の幸福は他者にも影響し、も
たらされる「助けられる」人間関係に有るのです。
孤立、単独、孤独の幸福など無意味です。「有り得ないでしょう」

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m99********さん

2019/5/1119:45:57

そんな事はないとは思いますが、折伏すれば近道と言えば近道ですよね。ただ今の時代難しいものがありますので、やはりお題目ですね。先々月の幹部指導で、その方はいやと言うほどお題目上げる方ですが、指導の中でたくさんお題目を上げると笑っちゃうくらい願いが叶うそうです。その方は年齢は69、年の数だけ百万遍上げたそうです。つまり69百万遍(-_-;)
私でも気が遠くなるような数です(汗)
お互いに頑張りましょう!

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uru********さん

2019/5/800:38:20

祈りを叶えるためには折伏行が一番の近道。
ただし、祈りを叶えるのは折伏だけではない



「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、
二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、
未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、
剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経
と唱へん事は大地を的とするなるべし」

何方かが「広宣流布」とは御書のどこに書いてあるか?
との事だったので・・・。

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たきまささん

2019/5/722:41:29

私は、創価学会員ですが、教学を勉強して日蓮自体に疑いを持っています。一生成仏と言いますが、菩薩の境涯ではない人物が、いきなり六道輪廻を通り越して仏になれるでしょうか?

私は無理だと考えています。そもそも折伏とは何ですか?それで祈りが叶うとは何ですか?祈りを叶えるために、他者を巻き込むのは迷惑ではありませんか?

私には祈りを叶えるために折伏をするという発想がありません。祈りはあくまで自分の努力で叶えるものだと思っています。折伏をしないと祈りが叶わないと言うのは、日蓮お得意の方便です。

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2019/5/717:48:10

折伏をしないと祈りは叶わないというわけではないと思いますが、祈りを叶えるまでに時間がかかってしまうでしょう、折伏をする、それが一番の直道でしょうね。

池田名誉会長も

「(最短で)人間革命したい(つまり祈りを叶えて自己実現していくということです)ならば折伏をしないといけない」

と指導されたことがあると思います。


信力と行力(自行化他ですね)が強いほど、仏力、法力も強くなり、より大きな祈りが叶っていくのです。

信力、行力が弱いと大きな祈りを実現できないのです。


お金がたくさんあるほど、大きな買い物をできるでしょう。100円しかなければ100円のものしか買うことはできない。10000円あれば10000円のものが買えるのです。

信力、行力が100なら、100の仏力、法力が出るのです。そして100の願いが叶う。

信力、行力が10000なら、10000の仏力、法力が出るのです。そして10000の願いが叶うのです。

仏法は道理であり、仏の願い(すべての人を幸福にしたい)のために働いた分だけ、自分の祈りが叶っていくのです。

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hab********さん

2019/5/708:46:54

「南無妙法蓮華経」の題目の功徳は大きいので、折伏せずに題目だけでも一定の祈りは叶います。しかし、より大きな祈りを叶えたいのであれば、やはり折伏やそれに準じた実践が必要です。

「末法に入(いり)て今日蓮が唱る所の題目は前代に異(ことな)り自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法禀承事)と、日蓮大聖人は仰せです。末法においては、日蓮が唱える題目は(正法時代・像法時代という)前代と異なって、自行と化他行の両方にわたっての南無妙法蓮華経である、との仰せです。自分が題目を唱えるのみならず、人にも南無妙法蓮華経の功力を語っていく。そこに、大きな功徳が生じるのである、ということです。

よく言われる例えですが、鐘を突く場合、割り箸でちょこんと突くのと、長くて太い撞木(しゅもく)で全力を込めて突くのとには、出る音に大きな差が出ます。また、大海の水を汲み上げる場合、小さなコップに注ぐのと、大きなプールに注ぐのとでは、その水の容量には大きな差があります。

信心もまた同じです。「信力・行力」に応じて、信心の功徳(法力)も大きいか小さいかの差となって現われるのです。何の活動もせずに学会の組織から離れている人と、題目をたくさん唱え、なおかつ多くの人々に南無妙法蓮華経の功力を語るという「折伏」などの活動を行っている人とは、同じ学会員と称しても、その功徳の差は大きいものとならざるを得ません。単に学会の組織から離れているということで、謗法(仏法を謗り傷つける行為)を行わない限り、罰はないでしょう。しかし功徳のほうも、行いに応じた範囲でしか現れないということです。原因があって結果が生じるという「因果の理法」から言って当然です。

日蓮仏法の功徳を十二分に引き出すためには、やはり、自行化他の両方にわたる実践が必要です。日蓮仏法は、自分だけの成仏ではなく、自分も他の人も共に成仏することを目指す大乗仏教の真髄だからです。

「いよいよ強盛の御志(おんこころざし)あるべし、冰(こおり)は水より出でたれども水よりもすさ(凄冷)まじ、青き事は藍(あい)より出(い)でたれども・かさ(重)ぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志(こころざし)をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり」(乙御前御消息。通解:いよいよ強盛な信心を起こしていきなさい。氷は水からできますが、水よりも冷たいものです。青い色は、藍という草から出ていますが、重ねて染めれば、藍よりも色が鮮やかになります。同じ法華経ではあっても、信心を重ねれば、他人よりも生命が輝き、利益もあるのです)と、大聖人の仰せのとおりなのです。

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