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殆ど知らなかったのですが、第二次大戦のヨーロッパ戦線の前半はフランスのみなら...

sar********さん

2019/5/1301:24:08

殆ど知らなかったのですが、第二次大戦のヨーロッパ戦線の前半はフランスのみならず、イギリスもかなり苦しいところまでナチスドイツ軍に追い込まれたそうですね。

当時でもイギリスやフランスはヨーロッパでは大国だったと思うので、装備や規模を含めた軍事力はそれなりに強かったと思うのですが、ナチスドイツ軍はどうしてそんなに大国を撃破できるほど強かったのでしょうか?何かスゴイ新兵器でも持っていたのでしょうか。その前のドイツは確かベルサイユ条約で経済的にかなり疲弊していて軍備を強めるほどお金がなかったような気がします。どなたかご教授ください。

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bot********さん

2019/5/1301:54:18

皮肉な話ですが
相対的な国力という観点から一番力をつけたのがドイツだからです
第一次世界大戦までは、ヨーロッパは5大国でした
イギリス、フランス、ドイツ(プロイセン)、オーストリア、ロシアです
しかし
第一次世界大戦でオーストリアとロシアは崩壊しました
つまりドイツは5大国から3大国にバージョンアップしたわけです
しかも
フランスが少子高齢化もあって相対的な国力を落としていきます
第二次大戦時点ではGDPや若年人口(若者は兵士や労働力となる)でみるとざっとドイツの半分です

もっと具体的に見てみます
ではフランス目線ではドイツに対抗するにはどうした戦略が適切か?
東方に有力な大国を味方につけてドイツを挟み撃ちにしてしまうことです
第一次世界大戦までならばロシアがそうでした
歴史を遡ればハプスブルク帝国に対してのオスマン帝国もそうかもしれません
じゃ39年時点では?
先に触れましたがオーストリアもロシアも存在しません
ソ連とフランスは犬猿の仲です(ソ連成立時にフランスからの借款を踏み倒した)

また
ベルサイユ条約で経済が疲弊した、、、、、
逆にいうと若者を格安で雇用できたわけです
なぜ不景気時に公共事業をやるのか?というと人件費や地代など諸経費が格安だからです
公共事業を軍拡と置き換えれば?となります
失業者(非自発的)とは労働力の「ゆとり」でもありますからね

要するに
・ドイツがかなり強かった
・連合国と呼ばれる国々が協調性がなく各個撃破された(イギリスは対ソ連の関係からある時期までドイツを応援していた節がある
・20年代の軍縮期に連合国は新規の軍備の投資をケチっていた(ドイツはソ連と組んでコソーリ技術を磨いていた、ラパッロ協定

ではラインラント進駐やポーランド侵攻時に軍主力が東方に向いている隙にフランスがベルギー、イギリスと組んで一気にライン方面に進軍したら?となると、、、、、、、歴史は変わっていたのかもしれません

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ベストアンサー以外の回答

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eko********さん

2019/5/1305:38:53

ベルサイユ条約の制約により、ドイツでは少ない兵力でいかに多くの敵を壊滅させるかという戦略研究が進みました。
それにより編み出されたのが電撃戦です。
そして、既存のものが少なかったおかげで、再軍備によりそれに特化できる体制を整えることができたのです。
大規模な既存体制があったイギリスやフランスは、軍を維持するだけで軍事予算のほとんどを費やさねばならず、新しい軍への移行が困難だったのです。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

pla********さん

2019/5/1307:50:53

ボ、ボクは小学生でしゅが・・・

ドイツ資本主義の極北としてナチスが登場したと理解できます。世界恐慌によって外国資本が脱出すると与信原則による貿易処理は不可能となりますが、ナチスの自足経済は為替取引を通用させず戦争外交にて外国資材を奪取することを計画したのです。これがヒトラーの戦争経済でこれにはドイツ資本主義の発達と協同していて、軍需が民需に優先され発注元が価格を決定する原価原則の統制経済をいたしました。軍の発注により経済方針が決定され排他的経済圏の確保のもとで軍資本を拡充させることがこれにて可能となります。おかねが無いとはどういうことかとすると、それは返す必要があるおかねのことなのです。また、ナチスのスペンディングポリシーとは完全徴兵制の軍管理化社会でした。これは戦争国家と当時呼ばれていてイギリスが対抗宣伝によって約束した福祉国家と真逆の価値観だとされております。ナチス社会では社会弱者を法的根拠により抹消させる政策が根本原理でした。第一次世界大戦から継続された戦争国家概念は、社会弱者保障の経済分析でした。戦争と対極の福祉を究極に削減すれば、ただ合計の対価として費用だけが有益化されるわけではない、というのがドイツ優生学の発見でした。生存権利が前提条件として全部に装備されているということはありえなく、自然原理の淘汰により権利が獲得されるという主張です。このような動向自体が戦争行動の本質であり、資本が進化していく動機であった現実がナチスの戦争経済なのです。厚生経済を停止すれば戦争に利する効果は何倍にもなったわけなのです。いちど不況により人間の尊厳を喪失した集団はこのオプションを選択した、またオプションはもっと以前から概知の存在となっていてナチスが意思決定しただけだった、ドイツ資本主義のストレッサーであったドイツ共産党の末路が戦争協力行動の源泉となったのも注意なのです。

>>ナチスの独裁体制は、他の全体主義と同様に暴力的な国家的強制のメカニズムとともに、体制に対する国民の一定の合意や協調を必要とした。しかもナチスがめざす4か年計画と戦争準備態勢、さらに戦時体制は、既存の資本主義経済を土台にして編成されねばならず、それにはその担い手として企業と労働の積極的な協力が不可欠だった 。
https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/choryu/289879.html
http://www.arsvi.com/2000/0606ak2.htm
http://blog.livedoor.jp/goldhagen-ikidane/archives/49170688.html

ris********さん

2019/5/1310:07:10

ドイツは工業地帯を回復したり、軍拡に努めたため、経済力は全世界中上位2~3位を争う程度で、その経済力を軍事力にほとんど費やしたことから世界最強の軍隊を手に入れました。

一方でただ軍事力を拡大しただけでなく、第一次世界大戦を反省し、塹壕戦や要塞攻略に適した戦術を編み出しました。またその戦術に合せた兵器開発もしています。一部にすごい新兵器というのもありましたが、V2ロケットやパリ砲のような巨大砲など超兵器であっても全体に影響を及ぼすほどのものではありませんでした。ドイツが超兵器を導入していったのは戦争の後半からです。


ドイツは第一次世界大戦後半に当時初かつ史上最大の本格的な戦車戦を経験しました。そこでドイツは戦車の迎撃方法を考案しましたが、自軍には数台の自作戦車以外、大半は鹵獲(相手から奪った)戦車しかなく、戦況も決定的に敗北で戦況を覆すことはできませんでした。

またドイツはその時、こう着状態になる要塞塹壕戦を簡単に攻略できる方法を知りましたが、既に敗戦決定的でやはり効果を示すことはできませんでした。

この方法を改良したのが浸透戦術や電撃戦と言って、速攻で相手の弱点を集中突破して裏からも攻撃を仕掛け、敵の中枢を即破る方法でした。フランスは第一次世界大戦後に備えて国境に要塞と塹壕を配備していましたが、ドイツ軍は大量の戦車と突撃銃で開戦すぐにフランスを下すことができました。

ドイツはこれに備えて突撃砲、重戦車、突撃銃を開発し、Vシリーズロケットなどでロンドンを爆撃しました。突撃銃は現在の全世界のアサルトライフルの元祖になり、ロケットは現在の全ての弾道ミサイルの元祖となりました。かなり先進的な技術と戦術を使用したのです。


しかし海軍力が乏しく、潜水艦もアメリカの支援を受けたイギリスに迎撃されるなどしてドイツはイギリスに進めなくなり、更に航空部隊もレーダーが開発されてイギリスに迎撃され、ロケットも迎撃機で対策されてしまい、ドイツは英国本土への攻略が不可能となり、フランス海岸線に要塞網を建築しました。

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