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戦艦三笠の時代の砲撃照準ってどうやって決めてたのですか。 大東亜戦争になると...

yak********さん

2019/5/2817:17:58

戦艦三笠の時代の砲撃照準ってどうやって決めてたのですか。
大東亜戦争になると測距儀という光学的距離測定器がありましたが
さすがに三笠の時分はそれは無かったと思いますけど。

対艦戦闘の砲撃で狙いを決めるときには着弾位置はどうやって調整したのですか。
大東亜の戦艦同士の戦闘では艦砲ではほどんど命中しなかったといいますけど、
戦艦三笠は黄海海戦では26。日本海海戦の記録では35発も被弾していますね。
黄海海戦では露戦艦で46発も被弾していた戦艦もあって、
結構正確な照準ができてた印象がありますが。

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mor********さん

2019/5/3018:39:29

三笠には測距儀がついていますよ。

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iik********さん

2019/5/3001:11:27

初めに断っておきますが、「日本海海戦」での砲戦法については、いろいろな話、というか、滅茶苦茶な説明が多いので有名なんで、私の説明も汚染されているとは言い切れないかもしれません。

ですが、ともかく海軍軍人泣かせと言われた19世紀の海軍戦術の変化、10年で激変するといった状況を考慮しつつ書いてみます。

まず「射法」の問題ですが、一応海軍教本には、「指命打法」による「夾叉法」というのが出てきます(漢字変換がめんどい!)。
これは、同種の砲を何門か決めて同一諸元で試射、夾叉(目標の遠近、跨ぐと夾叉)の仕方で射程調整後、本射に移るといった方法です。
ただ、後世のような「方位盤」による調整などはありませんし、各砲台長と砲術長の通信も十分ではないので、結局「独立打ち方」後世に言う「砲側照準射撃」を行ったようです。

実は旧式の「方位盤射撃」とか「基準砲打ち方」といった、日清戦争ころまでの打ち方があるんですが、これと混乱している方?まあいいや。

んで、実際の射法というか、照準法ですが、これといった明確な方法が無いようです。

後における「変距射法」=前の着弾点から、自艦と敵艦の双方の動きを予測し、その分を修正する方法が可能になるのは、日露戦後の「距離時計」の採用からだし、「測距射撃」=連続した正確な測距により、目標の運動を捉え射撃する方法が可能になるのは、大正に入ってから、戦艦金剛の4.5mと3.5m測距儀、さらには、長門の10m測距儀採用からだそうです。

つまりは、各砲は、艦砲術長、あるいは砲台長の判断による距離データを元に射撃表から俯仰角を調整、砲台長、あるいは砲手は、「定編」「見越し角=未来位置予測=自艦運動+的運動」「風」といった射撃表をもとに「左右苗頭角(照準線と射撃線の差のこと)」を調整します。
この状態で、射手は照準を維持して発砲すれば、砲は必要な修整角を維持してるんで、砲弾は命中します…筈です。

まあ、この時代は「動揺補正」=スタビライザーが付いていない、二次大戦時の艦だと、二名の「動揺手」が揺れを補正してくれてるんですが、それが無いので、射手が揺れの安定時を狙って引き金を引くしかありません。
教本によると、揺れの頂点から下降に移る瞬間がベストで、底から上昇の点が次点とされていました。

さらに、当時の新鋭の「速射砲」=副砲以下は常時、照準線を目標に指向していれる性能があるんですが、つまり、目標を追尾可能なんですが、「主砲」あるいは大型砲はこれが出来ないので、艦の進行の先に照準を定めて、そこに照準線が達したタイミングで発射しました。
後の、「三式弾」による対空射撃法と同じですかね。

これでわかるように、「日露戦争時の射撃法」は後のものに比べると、オモチャみたいなものです。

これでもそれなりに当たっているのは、なんせ距離が近いからです。
有名な「東郷ターン」は、どっかの小説家が言うような奇抜なものでは全くありませんが、敵艦の進路を押さえて一気に近接する方法としては見事でした。
双方は6400mで砲撃開始、その後5000mで激戦、最短4000mで撃ち合っています。

こんな近い海戦は、第二次では「第一次ソロモン海戦」くらいですかね、この海戦で日本軍は味方の損害ゼロで米重巡を沈没4、大破1していますが、鳥海の砲術長の手記を読んだことがありますが、「艦隊司令にじきじき褒められたが、当たって当然と思った」と書いています、そんな距離ですね、むしろ日本艦の被弾がほとんどないのが不思議です。

ちょっと書いておくと日本海海戦は世界的に「中小口径砲の勝利」として知られているんです。
前記の射撃法でもわかるように、「主砲」はすでに時代遅れの旧式で、特に新鋭の日本艦隊はこの新型速射砲の数で優れていたんです。
だから、接近戦を選んだんですね。

ちなみに、主砲4門は射撃数128発、副砲14門は、実質片弦の7門で1069発を撃っています。

won********さん

2019/5/2820:54:51

旗艦がまず砲撃を始め、着弾位置を修正し、命中弾が出たところでその情報を各艦に伝え、すべての艦が一斉射撃に移ります。こうすることで艦隊全体の命中率が格段に上がります。

日本海海戦の時も日本艦隊はこれを忠実に守りましたが、ロシア艦隊は各艦が勝手勝手に砲撃を始めてしまったため、自分の撃った弾がどこに着弾しているのか分からず、日本とロシアでは命中精度が天と地ほど違いました。

eb7********さん

2019/5/2820:07:51

日露戦争当時の一般的な戦艦や装甲巡洋艦は、今と違って主砲だけの砲撃力に頼って砲戦を戦ってはおらず、少数の主砲に加えて舷側に並んだ多くの副砲やそれ以下サイズの多数の小口径砲を用いて弾数を稼ぐ事で敵艦に与える被害を蓄積する事で打ち負かす戦いを行っていました。

このような戦い方だと、初弾命中はさほど期待されません。砲弾や砲身の特性が一定しませんし、砲座からしても船体が揺れますからその揺れに合わせて砲撃を行う程です。ですからどれだけ正確に照準しても砲弾はバラツキます。

幸運にも当時の日本海軍主要艦には英国のバー&ストラウド社製の最新測距儀が配備されていました、まずこれで日本側は”初照尺”…つまり最初の目標艦に対する彼我の距離を測ります。ロシアは持っていなかったようです。光学機器が無いと距離は目測ですね。
初照尺に基づいて試射を1発、または2発を撃ちます。または、初めから全砲門で撃つこともあったようです。
発砲と同時に砲術士官の補佐が計時を開始します。想定距離分の飛翔時間で「弾着」(だんちゃーく)と叫びます(これを省くと、僚艦の発砲との区別が付きません)。その時、敵艦の周囲に立ち上がる水柱の位置で近差/遠差を知ります。
次は修正射と呼びます。目標との誤差を詰める形で多くの砲で同様に砲撃します。夾叉(きょうさ)…つまり目標艦の奥と手前に水柱が上がればそれは平均的には距離がほぼ正しい事(=適正照尺)を示しています。夾叉が得られれば、全力射移ります。

この頃になると、敵弾もこちらに命中して来ますから、艦内は阿鼻叫喚になっています。ですが、指揮命令系統が生きている内は全艦の砲を統一的に射撃する”一斉射”が命中精度を高めます。

この頃は、敵も味方も艦砲は斜め横から当たりました。例えば三笠の30.5cm主砲は仰角15度で俯角5度の低伸弾道が想定されたものでした。ですので、艦の装甲も側方が主で主要部分(バイタルパート)は敵の主砲弾でも基本的には撃ち抜けませんでした。しかし、砲門などの開口部はあるし上甲板などに当たれば敵の副砲でも被害が出ます。

以下に代表的な両軍の戦艦(旗艦)の砲構成を示します。

【三笠】
30.5cm(40口径)連装砲2基=計4門
15.2cm(40口径)単装速射砲14基
7.62cm(40口径)単装速射砲20基
4.7cm(40口径)単装速射砲12基
【スヴォーロフ】
Pattern 1895 30.5cm(40口径)連装砲2基=計4門
Pattern 1892 15.2cm(45口径)連装速射砲6基=計12門
Pattern 1892 7.5cm(50口径)単装速射砲20基
オチキス 4.7cm(43.5口径)単装速射砲20基


いずれも主砲は艦の前後に連装砲塔を1基ずつ置き、合計で4門になります。 船体側面に副砲が並びます。低伸弾である事から分かるように、当時の砲戦では、敵より大きな砲を積んでアウトレンジする発想がありませんでした。敵も味方も互いの副砲の射程内まで接近してズタボロになるまで撃ち合っていたと考えられます。

「結構正確な照準ができてた印象」
いえいえ、夾叉後も1割も当たっていませんよ。照準が悪いのではなく、発砲でますます揺れる艦の動揺に合わせて砲術士官の合図で発砲していたのですから、”散布界”が敵艦の周りに広がっていたんです。




ロシアのボロジノ級戦艦『クニャージ・スヴォーロフ』(上)と戦艦『三笠』(下)

日露戦争当時の一般的な戦艦や装甲巡洋艦は、今と違って主砲だけの砲撃力に頼って砲戦を戦ってはおらず、少数の主砲に加え...

dhi********さん

2019/5/2818:44:52

三笠は武式1米半測距儀という光学式測距儀を搭載していました。イギリス製です。Wiki↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%26%E3%82%B9%E3%83%...
有名な日本海海戦の絵画 Wiki↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E6%B5%B7%...
で東郷平八郎の頭の奥にこの武式1米半測距儀が描かれています。測距儀をのぞいている砲術長・安保清種少佐の「距離7,000メートル!」の絶叫が聞こえます。

>大東亜の戦艦同士の戦闘では艦砲ではほどんど命中しなかった・・・
艦砲は当たらないのです。それでたくさん発射します。WWⅡ直前の射撃訓練では最高でも10%。実戦ではその5分の1以下。つまり100発撃って1、2発です。アイオア級戦艦でいえば毎分100発以上は撃てますが。
当たらないのは距離測定の問題だけではないからです。
実戦では艦同士が互いに運動していているので弾着までの未来位置を「見越し」て発射します。日清・日露の時代は艦の速度が遅く、艦砲の射程も短く、せいぜい15秒後の見越しで十分でした。
WWⅡに時代になると艦の速度が速くなり、戦艦の主砲の射程も38,000mを超えるようになりました。距離だけを正確に測っても、弾着までの60秒後の見越しはとても難しいことになります。
昔の艦砲が当たらなかったのはほかに、
自艦のピッチング(縦方向の揺れ)とローリング(横方向の揺れ)と砲の仰角制御または発射管制、
弾が通過する過程(弾道)での気圧・湿度・温度などの大気密度や風向の影響、
長距離射撃でのコリオリの力の算定など、複雑な計算にコンピューターがなかったからです。

osh********さん

2019/5/2818:44:44

射撃方法に関しては前の回答者様が仰るとおりだと思います。
黄海海戦や日本海海戦での命中率の高さについては、シンプルに「交戦距離が近かった」これに尽きると思います。
そもそも第二次世界大戦(大東亜戦争)では戦艦同士の正面からの殴り合いなんて殆どありませんでしたから...

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