ここから本文です

野村克也は捕手出身の監督以外評価しないのですか?「投手出身の監督と外野手出身の...

pho********さん

2019/6/113:03:50

野村克也は捕手出身の監督以外評価しないのですか?「投手出身の監督と外野手出身の監督に名監督はいない」などと述べていました。内野手出身と捕手出身なら良いということでしょう。

でも、長嶋茂雄や王貞治、原辰徳などの内野手出身の監督には辛口批評をしていましたよ。「捕手出身以外の監督に名監督はなし」と言わないのは、自画自賛を避けるための川上哲治に配慮したためでしょう。野村克也は川上哲治をお手本にしたなどと述べていますから。

閲覧数:
55
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

eks********さん

2019/6/116:46:21

申し訳ありませんが、野村克也に関する質問文が間違っているようです(笑)。
*あなたを責めているわけではありません。誤解ないように。以下の文章全体を見ればわかります。

(誤) 野村克也は捕手出身の監督以外評価しない
(正) 野村克也は 自分の子分で、かつ自分が手塩にかけて育て大成した選手・チームしか評価しない

日本では野球人気が年々低下している中、野村克也の世代の人間の役割は、本来ならベースボールの面白さ、楽しさを啓蒙し、将来を担う子供や 潜在的な顧客である女性にプロ野球情報をアピールすることです。そして他のスポーツ(サッカー)との競争でベースボールに優秀なアスリートをなるべく取り込む努力をすべきです。
(MLBでは引退したOB名選手は当然のようにこのような活動をしています)。

しかし野村克也の言動はそれとは真逆の方向に進む一方です。


冒頭の質問ですが、たとえば日本シリーズの優勝監督を少しさかのぼるだけでも
・2016年優勝 日本ハム(監督:栗山英樹 → 現役時代は外野)
・2014年、2011年優勝 ソフトバンク(監督:秋山幸二 → 現役時代は外野)
・2012年、2009年優勝 巨人(監督:原辰徳 → 現役時代はサードと外野)
・2010年優勝 千葉ロッテ(監督:西村徳文 → 現役時代はセカンド)
・2007年優勝 中日 (監督:落合博満 → 現役時代はセカンド、ファーストなど)
と捕手以外のポジションが本職の監督はつらつらとでてきます。

まず事実を見てから意見を言ってほしいのに、すでに老害・妄想の世界?に入っている野村克也にこのような発想がないようです。さすがは「すばらしきID野球」です。


>「捕手出身以外の監督に名監督はなし」と言わないのは、自画自賛を避けるための川上哲治に配慮したため

いや、川上哲治はたしかに1938年に巨人に入団した時は投手で最初の1,2年は主に投手として起用されましたが(通算39試合 11勝9敗)、スタルヒン(シーズン42勝!)など当時チームメイトだった大エースの前では存在が霞み、一方で打撃に非凡な才能を発揮したため、1939年から打者に転向。
同年に19歳にして早速首位打者になるなどして、以後は1958年の引退までずっと守備はファーストだったため、「捕手出身以外の監督に名監督はなし」は川上批判にもなるなんですけどね(笑)。


たしかに野村克也は「再生工場」の異名どおり、他球団で腐っていた選手を一流選手によみがえらせる能力は抜群で、古くは
・江本(プロ入団した東映をたった1年でクビ → 翌年南海で16勝)
・山内新一(1972年巨人で0勝、川上によって放出 → 1973年南海で20勝投手)
などがいました。

阪神で一流の先発投手だった江夏豊をリリーバーに転向させ大成功したのは語る必要もないでしょう。
また南海で腐り気味だった若き榊原選手を我慢して起用し、その後日ハムで長年レギュラーとして活躍できるようになったのは野村克也の影の努力が間違いなくあったのでしょう。

中期だとヤクルトの古田捕手が有名。直前のドラフト検討会では どの球団も
”プレーヤー能力はあるかもしれないが、眼鏡をかけた捕手なんてプロでは絶対通用しないよ....”
と二の足を踏んでいたところ、野村克也の強い進言でヤクルトが1位指名・入団。そしてその後古田捕手はヤクルトで通算2000本安打を打ち、チームの優勝に何度も貢献するなど活躍しました。

後年だと広島をクビになった小早川。翌年移籍したヤクルトで当時難攻不落の巨人斎藤投手から開幕戦で1試合3本塁打を打つなど奇跡の復活をしました。

晩年は、ヤンキースで長年実績をあげている立派なローテーション投手なのに、いまだメディアがなにかに’忖度’してニュースでは必ず ”マーくん” と呼ぶ(笑)田中投手を育成したのも有名です。


野村克也はこういった選手は今でもテレビや雑誌のインタビューでは称賛を惜しまない一方、自分が気に食わないか、あるいは自分が手を出したものの失敗に終わったケースについてはひたすら他責発言を繰り返しています。

(例1)
古くは南海の大監督だった鶴岡一人(通算1773勝)。無名でいつクビになってもおかしくなかった若き日の野村克也の才能を発掘してレギュラーに抜擢し、1968年まで何度もチーム優勝を共にした師弟関係なのに、1977年 自身が南海監督を解任されると、さしたる裏付けもないのに、
”鶴岡一人の陰謀で私はクビになった”
と怒りの記者会見。以後鶴岡一人とは絶縁し、鶴岡の葬式にも一切顔を出さず。追悼のコメントさえ出しませんでした(今オープン戦の際中だからコメントはしない、と発言)。

(例2)
その野村に対して、
”もう年月もたったからいいかげん仲直りしろよ、世話になったのは確かだろ!”
と諭した昭和30年代 南海のチームメイトで大エースだった杉浦忠(通算173勝、 1959年にシーズン38勝4敗で日本シリーズ優勝に貢献)にも容赦なく、彼をほめたたえることはまれで、もっぱら話すのは、
”ワシ(野村)は当時最新鋭の映写機でライバル西鉄のエースだった稲尾投手のクセをついに見つけ、痛打を浴びせ始めていたのに、杉浦のヤツ、オールスター・ゲームのベンチで稲尾の横に座ったとたんそのことをべらべらしゃべりおって。おかげでワシはまた稲尾を打てなくなった。”
とボヤいていました。

(例3)
1970年に野村は南海の「’監督’兼’捕手’兼’四番打者’」という独裁的なポジションに就任しましたが、就任早々、”選手のえこひいきがやり過ぎですよ。” とアドバイスした当時南海のレギュラーだった国貞選手と三浦投手をいきなり他球団に放出。
「ワシ(野村)に逆らうとどんなメにあうかわかっただろう!」 というドヤ顔をしたそうです。

(例4)
このころ 例えばある試合で負けて、帰りのチームバスに選手が乗りこみさぁ出発という直前にバス運転手に中断を指示し 長々とお説教をしたことも多々あったそうです。

”1番広瀬! お前は武器の俊足を生かせてない!。 2番富田! お前は同期の田淵や山本浩二と比べて全く活躍できていないな!それでいいのか!。 3番門田! お前はホームランじゃなくて二塁打を狙うバッティングをしろ! ワシが打点を稼げなくなるだろ!”
そしてなぜか4番の自分はスキップして(笑)、”5番XX! ... (以下省略(笑))” という流れだったそうです。

(例5)
1973年、それでも南海は2シーズン制度の盲点をついて見事にリーグ優勝(日本シリーズでは巨人に1勝4敗で完敗)。
しかしこのころから後に奥さんとなる沙知代さんがチームの運営方法や選手起用にまで口出しはじめたようです。独裁者の野村克也なのにどういうわけか沙知代さんだけには全く頭があがらず彼女の意見は通りたい放題。

当然のごとく選手からは、”コーチでもチームの幹部でもない女がこんなわがまましほうだいとは何事だ!” という険悪な雰囲気が出始めたようです。これが結果1977年の監督解任につながります。

(例6)
野村克也はヤクルト監督の実績を買われて、長年低迷していた1998年オフに阪神タイガースの監督に就任。しかしチームは3年連続(1999~2001年)最下位に終わりました。
この間、”英語には’忖度’という言葉はない!とばかり(笑)” ダレル・メイ投手が
「ノムラという監督はチーム勝てばすべて自分の手柄として横取りし、負ければすべて選手に責任を押し付ける。」
とメディアに語ったことがありました。メイはほどなく解雇されました。

それでも野村は2002年シーズンの監督にやる気満々でしたが、またしても奥さんで当時はあつかましくもTVタレント活動もしていた沙知代さんが脱税容疑で逮捕となり、野村監督はシーズン開幕を前に辞任を余儀なくされました。

当時阪神に所属し選手として晩年をすごしていた元ヤクルトの広澤克実選手は「2000年の阪神はヤクルトが最下位争いをした時代と同じ色がしました。ベテラン、外国人、若手はみんなバラバラ。不協和音が流れて選手が育たない雰囲気。自分も選手生活の晩年で故障がちだったが、なぜか4番一塁で使ってもらうことが多かったんです。でもそれは本来のレギュラー一塁手で まともに使えば立派な成績が残せる大豊泰昭が野村監督と揉めていたからなんです。大豊は台湾出身という理由だけで野村監督から、お前は台湾人だからワシの日本語がいまだに理解できないのか! なんてひどいことも言われていたし。」
と語っていました(Wikipediaによる)。

後年、阪神タイガース時代の監督経験について野村監督は、
”あのチーム(阪神)は勉強できない選手が多すぎた。ヤクルト時代の選手はワシのID野球の薫陶を一時一句きちんとノートにメモし、それを実践に移していたもんだ。しかし阪神のヤロウどもは野球しかやってこなかったせいか、まともに文章を書くことさえできない。しょうがないんでワシの薫陶を紙文書にして選手にコピー配布したんだが、選手が自分で心を込めて字を書くのと、他人から回されたコピーをざっと見るだけじゃ、それは差が出るわな。”
とまるで他人事のようなコメントでした。

申し訳ありませんが、野村克也に関する質問文が間違っているようです(笑)。...

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

len********さん

2019/6/122:17:10

野村は幼少時代に苦労しすぎて性格が曲がってしまったのでしょう。
一生それを引きずっていると思います。
’三つ子の魂百まで’のことわざの通り。

80歳過ぎてまで、
自分を自慢し、自分と相いれない者を著書で批判する。
この貪欲さには、ある意味頭が下がります(笑)

球界の大御所なら、
自分のことなど語らず、
他人で思いつくことがあったら、直接アドバイスすべきでしょう。
著書でネチネチ批判などせずに。

リアルタイムで見た者としては、
当時のパリーグが人気が無かったのは、看板選手の野村が地味で、鈍足、弱肩、容姿がイケてなかったことが大きな要因だと思っています。
累積ホームランが多いのは、箱庭のように狭い大阪球場で一発ばかり狙っていたからだと思います。
監督として唯一成績が良かったヤクルトは、
明らかに、選手に恵まれたからだと思いますよ。
阪神で3年連続最下位は最悪です。

川上哲治さんや広岡達朗さんを批判しないのは、
自分がマネをしているからです。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる