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自分の家は神道らしく、仏教の宗派は特にないそうです。

nov********さん

2019/6/416:31:58

自分の家は神道らしく、仏教の宗派は特にないそうです。

ですが、そんなことあり得るのでしょうか? 江戸時代には新官ですら人別帳に記載されて檀家に入っていたということですし、僕の実家は神社でもないので、なぜ神道とされてるのかが不思議で仕方ないです。
どなたか、こういう事情なのではみたいなことを教えて頂ける方はいないでしょうか?

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iku********さん

2019/6/622:05:55

江戸時代、街道から外れているとかの田舎ならあり得ると思います。
そもそも日本全国津々浦々に寺があったとは考えられません。
また、寺があっても住職が亡くなり、次の住職が来なければ廃寺になります。
寺に人別帳を管理する機能がなければ庄屋(名主)と五人組頭が管理します。
*寺があっても庄屋(名主)と五人組頭は人別帳を管理します。

宗門人別帳はキリシタンではないことを証明することが目的で、上記のような村の庄屋からもらった人別帳をその土地を管理する侍が適当な寺に持ち込み形式上檀家ってことにして「我が藩にはキリシタンはいません」と報告。幕府のミッション完了とします。
当の村民たちにはこうした事は伝えられたと思いますが、村には僧侶は居ないし死んでも坊さんは来ないわけですから信仰心は生まれません。

江戸時代にあった実話です。
四国のとある漁村には寺がありませんでした。そこに旅の僧侶がやって来て村民了解のもと庵をつくりました。僧侶は故人を弔い余生を送ろうと考えていました。僧侶は元武家だったかもしれません。
村民はお経が読めるなら俺たちの先祖も弔ってくれと僧侶に依頼し、僧侶は庵を寺に変えました。
そこには神職も居なかったため、村民はついでに神様の祠の世話も頼みました。
村民は自分たちが行なっている神事に不安があったようです。
僧侶はこれも承諾して寺内に神様を祀りました。

この村にはたまたま僧侶が来ましたが、もし、来なければ仏教に対する信仰心は生まれず、信仰としては神道のみになったと考えられます。

これが質問者さまに当てはまるかは不明ですが、参考事例として記載しました。

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shi********さん

2019/6/508:07:04

神職をしています。

檀家制度というのは幕府による強制です。
そのため江戸の中頃から離檀運動というものがはじまります。「もともと神道(儒教)なのに、○○宗で葬式しないといけないのは嫌だ」とか「菩提寺と反があわない」という理由で檀家を辞めることを幕府や藩に認めてもらう運動です。
簡単には許可されないのですが、少しずつ許されるようになり、明治維新で自由になります。

そのため、明治時代に檀家をやめて神道式の葬儀に変えた家は少なくありません。

jaj********さん

2019/6/417:11:25

単に明治以降に寺との関係を断ち神社さんと繋がりを持ったんでしょう。明治の廃仏棄釈参照。何も変なことはありません。いっぱいいます。既に日本は100人亡くなっても、仏式で葬儀する人は60人台かと。とっくに日本は(個々人の)信教が自由の国です。
江戸時代の寺請≒寺檀≒檀家制度(寺への帰属を強制+他宗派の信徒への布教禁止+新しい寺院建立禁止)。~寺の(門徒や)檀家という言葉自体時代錯誤だし、家単位で宗教を語ることも変な話。

宗教の信者数は、文化庁『宗教年鑑』平成29年版によると、神道系が8473万9699人、仏教系が8770万2069人。
個々の国民へのアンケート調査などでは、「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人は2割から3割という結果が出ることが多い。
日本人は宗教に無知で無頓着かつ滅茶苦茶なので、実際に信者と呼べる人ってほぼいません。

十川仁史(つじかわひとし)のブログ or facebook(十川仁史)に宗教の話〜寺への苦情まで、身を持って受けた質問に答えた布教用ページを公開してます。興味あればどうぞ。そこそこ役に立つ筈。

man********さん

2019/6/417:03:41

明治維新後に、天皇への忠誠を示すために、多くの藩主・武家が、菩提寺の檀家から抜けて神道に鞍替えしました

各地方の藩主(知藩事)や地方行政府では過剰に反応して、岐阜の一部の藩では、藩主以下、武家も領民も寺の檀家から一斉に抜けたりしてます
寺の打ち壊しに加担したり、僧侶を還俗させたりしている藩もあります

藩主は、幕府から天皇親政に変わったため、地位を守ろうとピリピリしていたからです。

その為、廃仏毀釈運動が、過激化して、寺の打ちこわしや焼き討ちにつながったり、神道への大量改宗の動きが出てます

仏寺が一時期ゼロになった薩摩藩の事例もあります

この時期に神道の家が沢山生まれたわけです

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kou********さん

2019/6/416:43:59

江戸時代にはどうだったか、は別にしても現在 神道というのは立派な1つの、と言うより日本古来の伝統の宗教ですから何も疑うような余地はありません。

『 日本人のルーツはユダヤ人だ 』( 古代日本建国の真相 )小谷部全一郎著 たま出版 や

『 神道の中のユダヤ文化 』( シルクロードからやって来た人々 )久保有政著 学研 も 興味深い事が出ています。

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