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その名をインマヌエルと呼ぶ、とイザヤ書に書かれています。

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ID非公開さん

2019/6/704:41:56

その名をインマヌエルと呼ぶ、とイザヤ書に書かれています。

そしてそのインマヌエルはイエスキリストだとキリスト教は解釈します。

しかし、本当にイエスがインマヌエルなら、なぜ名前がインマヌエルではなく、イエスという名前を付けられたんですか?

その名をインマヌエルと呼ぶ。その名、ですよ。名
イエスの名はイエスじゃないですか?

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sya********さん

2019/6/715:18:26

もうすでに何人かの方がいわれていますが。
インマヌエルというのは、主が共におられる という意味です。

で、クリスチャンはイエス様のことを私たちと共にいてくださるイエス様と呼んだりしますよ。

インマヌエルに限った話ではないですが、聖書にでてくる三位一体の神様を示す呼び名はいくつもあって、それは固有名詞というよりはそのご性質を示す表現です。

神様は私たちの思いを超えたお方ですから色々なご性質を持っておられます。
共におられる ということもそうですし、聖霊様は助けぬしとも呼ばれます。
父なる神様の呼び名なんて聖書にはいっぱい出てきます。

でもそれらは主の固有名詞ではなく主の性質の一部をあらわす呼び名です。

聖書をみればイエス様が私たちと共にいてくださるというのは、クリスチャンであればだれもが認識していることであり、その思いで主を呼びますから別に預言は間違っていませんよ。

実際、イエス様も天に昇られるときこのようにいわれましたからね。

28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

いつもあなた方と共にいる。
そういわれて天に昇られたわけですから、主はインマヌエルです。

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dol********さん

編集あり2019/6/715:40:31

キリスト教徒はグチやグチや詭弁を弄していますが、

その話はキリスト教団による「捏造の予言成就」で作り話だというのが最も素直な見方です。

sai********さん

2019/6/713:18:58

インマヌエル=陰間縫う得る=南無(日向無し、幸せ無し=陰間、淫魔)妙法蓮華経、宗教の根源は一つの創造主の丰が証されて崇銘五道が成る、魂の結実の人類史の秋(最後の審判)が来た時に、イエスの陰間縫う得るの働きが明らかになるのである。

イザヤ書=イザッ、邪蛇と戦う意座矢(戦い)の秋が来た。
成長して天国に迎えられる人は皆無に等しい、地上に人影は見えず主の本願の産土力だけが寂しく輝いている)

:1ユダ(憂蛇)の王、ウジヤ(蛆邪)の子ヨタム(外田謀)、その子アハズ(阿波図)の時、スリヤ(主の裏邪)の王レヂン(裂地雲)とレマリヤ(烈真理矢)の子であるイスラエル(意主裸に得る)の王ペカ(裴化)とが上ってきて、エルサレム(選て得る咲く霊謀)を攻めたが勝つことができなかった。
7:2時に「スリヤ(主裏邪)がエフライム(得負嘘謀=生詐欺)と同盟している」とダビデ(蛇毘弟)の家に 告げる者があったので、王の心と民の心とは風に動かされる林の木のように動揺した。

7:3その時、主はイザヤ(意座矢)に言われた、「今、あなたとあなたの子シャル・ヤシュブ(謝瑠、矢主武)と共に出て行って、布さらし(クロス=十字架を運ぶ)の野へ行く大路(ウオールST=壁)に沿う上の池(譬えを翻訳する奴、ポンド)の水道の端(水の世の終わりの秋)でアハズ(阿を開く運の図)に会い、7:4彼に言いなさい、『気をつけて、静かにし、恐れてはならない。レヂンとスリヤおよびレマリヤ(裂治雲、主裏,烈真理矢=腹の虫の蝮)の子が激しく怒っても、これら二つの燃え残りのくすぶっている切り株(実と殻、魂と皮、日月の残り火があればコンピUターンして天の朝の誕生を迎えることができる)のゆえに心を弱くしてはならない。

7:5スリヤ(主裏謀)はエフライムおよびレマリヤの子と共にあなたにむかって悪い事を企てて言う、7:6「われわれはユダに攻め上って(憂蛇=物欲を刺激して)、これを脅し、われわれのためにこれを破り取り、タビエル(他美得る=場美論=商人)の子をそこの王にしよう」と。
7:7主なる神はこう言われる、
この事は決して行われない、また起ることはない。
7:8スリヤのかしらはダマスコ(騙す子)、
ダマスコのかしらはレヂン(裂璽雲)である。
(六十五年(謀蘇の力)のうちにエフライム(恵負嘘謀=場美論)は敗れて、国をなさないようになる。)
7:9エフライムのかしらはサマリヤ(真理矢に詐差)、
サマリヤのかしらはレマリヤ(真理矢を裂)の子である。
もしあなたがたが信じないならば、立つ(竜として天に入る)ことはできない』」。

7:10主は再びアハズ(阿開頭=運しない商人)に告げて言われた、7:11「あなたの神、主に一つ)(⦿)のしるしを求めよ、陰府(ブラックホール)のように深い所に、あるいは天のように高い所(不動の芯)に求めよ」。7:12しかしアハズ(肉体本能の蝮心)は言った、「わたしはそれを求めて、主を試みることをいたしません」。7:13そこでイザヤ(意座に矢=神向き心)は言った、「ダビデ(蛇美出)の家よ、聞け。あなたがたは人を煩わす(命の燃えを怠ける)ことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとする(人間の応答がなければ神の張り合いも下がる)。

7:14それゆえ、主はみずから一つのしるし(処女受胎=人間は真の我を孕んで育てている妊婦である)をあなたがたに与えられる。見よ、おとめ(真理矢を教える母)がみごもって男の子(真運の旅人=真の我を天国に出産する)を産む。その名はインマヌエル(陰間縫う得る=天国の門の鍵を持つ=MONKEY=猿田彦尊=イエスキリスト)ととなえられる。

7:15その子が悪を捨て、善を選ぶことを知るころ(人類史の秋)になって、凝乳と、蜂蜜とを食べる。7:16それはこの子が悪を捨て、善を選ぶことを知る(イエスの再臨=真理正法が明かされる)前に、あなたが恐れているふたりの王の地は捨てられる(東西、霊物の統合=911テロ、ノートルダム大聖堂の火災、4月16日)からである。

( 7:17主はエフライム(恵負嘘謀=仮の幸せ)がユダ(腹の蝮の商人根性)から分れた時からこのかた、臨んだことのないような日(6七の安芸の反省浄化の原爆)をあなたと、あなたの民と、あなたの父の家とに臨ませられる。それはアッスリヤ(阿津主理明)の王である」。

7:18その日、主はエジプト(台、枠作りの月世)の川々の源(日本)にいる、はえ(FRY=負瑠卸)を招き、アッスリヤ(阿津主理明)の地にいる蜂(8=6+9)を呼ばれる。7:19彼らはみな来て、険しい谷(どん底生活)、岩の裂け目(追いつめられる)、すべてのいばら(考え方の反省)、すべての牧場(生きざまの反省)の上にとどまる。

7:20その日(往路→復路の天意の転換期)、主は大川の向こう(彼岸=男気、侍)から雇ったかみそり(火水の反りを整える)、すなわちアッスリヤ(阿津主理明)の王をもって、頭と足の毛(思いと行動の獣性)とをそり、また、ひげ(傲慢性)をも除き去られる。

7:21その日、人は若い雌牛(COW=負預憂=南無の苦労)一頭と羊二頭を飼い(卵の左右の濁点を取る=昴、主張るに生きた)
7:22それから出る乳が多いので、凝乳を食べることができ、すべて国のうちに残された(真珠湾攻撃をする)者は凝乳と、蜂蜜(般若波羅蜜多=阿運アメンのマントラの魂のパン)とを食べることができる。

7:23その日、銀一千シケルの価ある千株(左右に参途する智恵を育てる)のぶどうの木(WINE=憂芽枝火=武道の為の嵐)のあった所も、ことごとくいばら(荊=薔薇場、場美論の英米)と、おどろ(穢泥)の生える所となり、7:24いばらと、おどろとが地にはびこる(火の洗礼を受ける)ために、人々は弓と矢(肉体と精神の力=6と9=8、W+M=∞、永遠の生命)をもってそこへ行く。

7:25くわ(鍬=結実の安芸にGOAL都に入る=苦に和す)をもって掘り耕したすべての山々(野の真の悟りの智恵に救いを期待する)にも、あなたは、いばらと、おどろ(火の洗礼の激しさ、厳格さ)とを恐れて、そこ(彼岸、天国)へ行くことができない。その地はただ牛を放ち、羊の踏むところとなる。(国破れて山河あり、城春にして草木深し=成長して天国に迎えられる人は皆無に等しい、地上に人影は見えず主の本願の産土力だけが寂しく輝いている)

天国の鍵、漢字,地理、歴史,高麗犬、一切神の声、最後の学問「秀思學」のすすめ

インマヌエル=陰間縫う得る=南無(日向無し、幸せ無し=陰間、淫魔)妙法蓮華経、宗教の根源は一つの創造主の丰が証され...

twx********さん

2019/6/709:13:53

「その名」とは、父と子と聖霊の名によって、の「名」と同じで、奥深い意味を秘めた名と言うことです。
イエスに向かって「主よ❗主よ❗」と言う者が全て王国に入る訳ではないと言われています、聖霊によって「イエスは主なり」と言うことが出来なければキリストの花嫁ではありません。
この花嫁と成る人々のみインマヌエル(神、我々と共に)と言う名で呼んでいるのです。

n_a********さん

2019/6/708:29:03

インマヌエルの意味として「神が共におられる」だそうです。

イエスの同義と聞きます。

言い方が少し変わっただけかと…

goz********さん

2019/6/707:58:30

イエスが人となって、いるということは神が共におられると言うことです。インマヌエルは、「神が共におられる」という意味です。要は、形容詞です。古い例えですが、「エレキの若大将」みたいなもんです。

あと、イエスは特別な名前ではなく、ごくありふれた普通の名前です。昔話で言う太郎的な。

神がごくありふれた名前をもって、貧しい家に生まれて人の中に住むことを選ばれたんです。それって、イエスが地上にいる限り、どんな人でもイエスと会うことができたってことですよ。だからこそのインマヌエル。

もし、イエスが律法学者や王の家に生まれてしまったら、イエスは限られた身分の人のために生まれたことになってしまいます。共におられない神になってしまうんです。

あと、名というのは、聖書の中ではその人の本質を表す意味でも使われます。平凡な人として平凡な名前をもって生まれた、というのが大切なのです。共におられるんだから、平凡な人。そして、真の神。それがイエスがインマヌエルと呼ばれる所以です。

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