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後漢は実際にはお飾り王朝だったんですか?

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ID非公開さん

2019/6/1809:27:22

後漢は実際にはお飾り王朝だったんですか?

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tun********さん

2019/6/1810:19:55

一般的に、後漢は、皇帝権力が弱体であったとされます。
特に光武帝と第2代明帝を除いた全ての皇帝が20歳未満で即位したため、豪族、特に外戚の力強くなりました。これを打破した第11代桓帝の時代には、宦官が権力を握るようになり、外戚と宦官の権力闘争が強まりました。
また財政的理由から地方の駐在軍を廃止し、徴兵制から少数の傭兵制に切り換えたことも、皇帝権力の弱体化に拍車をかけました。

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goo********さん

2019/6/1811:37:55

お飾りというほどじゃありませんが前漢と比べれば皇帝権力は弱い方でした。

前漢は郡国制によって中央集権と封建制をミックスした政治でしたが次第に中央集権的になっていきます。(各地の「王」を潰していったから。呉楚七国の乱)
一方で後漢は豪族たちの連合体から生まれたようなものでした。だから後漢の権威権力が落ちてくると地方の群雄割拠という三国志の世界が出現します

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