ここから本文です

西晋時代・291年の司馬瑋の誅殺について質問です。 張華は、司馬亮・衛瓘殺害事...

sad********さん

2019/7/408:57:54

西晋時代・291年の司馬瑋の誅殺について質問です。

張華は、司馬亮・衛瓘殺害事件の首謀者である賈南風に「司馬亮・衛瓘を殺したことで、天下の威光が司馬瑋に集まるのはまずい。

司馬瑋を誅殺すべきだ」と進言してます。

・・・張華は何故、このような進言をしたのですか?

司馬瑋は賈南風にそそのかされて司馬亮・衛瓘を殺害したのであり、司馬瑋は冤罪でした。
監刑尚書劉頌が司馬瑋の冤罪を理解しているのだから、張華がそれを知らなかったとは考えにくい。

となれば、張華の進言は「賈南風への忖度」ってことになりますよね?
もともと、張華は賈南風の父・賈充の時代から政敵同士であり、事あるごとに対立したり讒言を受けてきた間柄です。
皇太后楊芷を廃立するかどうかの話し合いになったときも、張華は賈南風に忖度せず、「楊芷を廃位するべきではない」と発言してます。

・・・なぜ、張華は今さらになって賈南風に配慮するような進言をしたのですか?
張華にとって、司馬瑋は邪魔な存在だったのですか?

閲覧数:
94
回答数:
2
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

kou********さん

2019/7/619:31:18

まあ、張華は王朝存続が第一なわけです。

なので簒奪をもくろむ気配のある司馬瑋は殺さなくてはなりません。
となれば、皇后の賈南風を動かすしかありません。

「楚王既誅二公、則天下威権尽帰之矣、人主何以自安。宜以瑋専殺之罪誅之(司馬瑋はすでに司馬亮と衛瓘を殺し、天下の権力を集め尽くし、皇帝は何をもって安心できるのか。ここは司馬瑋の専殺の罪をもって誅するのがよろしい」
は資治通鑑にあるお言葉。晋書では見かけないかも。

まあ、司馬瑋は詔を偽って兵を動かしたんで、そういうことになるでしょう。


もともと、司馬瑋は賈南風とべったりでしたから、このラインが構築されるのは非常にマズイというのが張華の考えではなかったかと思います。
そこで、賈南風の不安をあおり、司馬瑋を始末させたのでしょう。

賈南風に利用されまくった挙句に殺された司馬瑋も憐れと言えば憐れですが、部下の岐盛の進言(賈・郭を討って王室を安定させよ=事実上簒奪せよ)にためらったのが運の尽きでした。

張華は、その後は賈南風と上手く付き合って、10年くらいは比較的平穏な政治を実現しました。この辺が張華の評価されるところです。
最後は賈南風と司馬遹の廃位を巡って命を懸けて対立してますから、決して、賈南風とズブズブだったわけではありません。

この悪女にはとりあえず、地位と満足いく贅沢をあてがっておけばOK、という感じでだったんでしょう。
賈南風は権勢欲はエグイですが、政治には無関心でしたから。

最後の最後で賈南風と対立したのも、司馬遹を殺させては、司馬倫に挙兵(簒奪)の口実を与えることを、おそらく見抜いていたんじゃないか、という気がしますね・・・。
結局、実際はそうなりましたし。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

tun********さん

2019/7/410:09:57

>司馬瑋は賈南風にそそのかされて司馬亮・衛瓘を殺害した
そんな事実が記録されていますか?
衛瓘と対立していた司馬瑋配下の岐盛が、司馬瑋からの命令と偽って賈南風配下の積弩将軍李肇に「司馬亮と衛瓘は皇帝廃立を企んでいる」と告げたため李肇はこれを賈南風に密告した。賈南風は元々司馬亮と衛瓘を不満に思っていたので、彼らを除く事を決めた。
291年6月、賈南風は国政を掌握していた汝南王司馬亮と録尚書事衛瓘を排斥するため、楚王司馬瑋に密詔を与えて彼らの捕縛を命じた。
では、ないですか?そそのかしたのではなく、恵帝に出させた密勅で司馬亮・衛瓘の捕縛・免官を司馬瑋に命じています。この騒動の発端は司馬瑋の配下の誣告です。とりわけこの時、司馬瑋が詔を勝手に作って軍を掌握し、皇族の司馬亮を殺害(虐殺)したことは、大変まずかったですね。

>司馬亮・衛瓘を殺したことで、天下の威光が司馬瑋に集まるのはまずい。司馬瑋を誅殺すべきだ」
省略しすぎです。
「楚王(司馬瑋)が二公(司馬亮・衛瓘)を殺した事で、天下の威権は楚王に集まるでしょう。そうなれば人主(恵帝)も安泰ではいないでしょう。独断で重臣を殺した罪で司馬瑋を誅殺すべきかと」
ではないですか?
張華は恵帝に、司馬瑋が詔書を偽造して司馬亮と衛瓘を独断で殺害したと報告しています。それは事実です。晋王朝の忠臣とされる張華は、司馬瑋がいずれ皇位の簒奪に向かうと考えていたと思われます。
なおその後、賈南風が淫虐の限りを尽くして朝廷内をかき乱したとされますがが、それでも国内に平安が保たれていたのはひとえに張華の功績であると史書で称えられています。実際、賈南風に諫言する一方、その排除の動きを抑えています。排除に加担したら排除したものが帝位を簒奪することを見抜いていたからです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる